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佐川和夫の編集履歴

2024-09-08 20:38:13 バージョン

佐川和夫

さがわかずお

佐川和夫とは、日本の特技監督。

来歴

1939年10月29日生まれ。

日本大学芸術学部映画学科技術コース卒業。在学中に円谷英二に弟子入りし、東邦特殊技術課を経て円谷プロダクションに入社。

ウルトラQ』で撮影助手、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』で撮影を務めた後、『マイティジャック』で特技監督デビューを果たす。

1977年に円谷プロを退社。1979年東映バトルフィーバーJに参加後、1980年特撮研究所1982年にデン・フィルム・エフェクトに属していたが85年にふたたびフリーになる。


1993年電光超人グリッドマン』で円谷プロに復帰。ウルトラマンティガからウルトラマンコスモスまで特撮監督を担当していたが、コスモス最終回以後は演出作品はなく、雑誌などのインタビューに答える程度に収まっている。



作風・エピソード

ド派手でアクロバティックな殺陣、ケレン味溢れるメカニック描写が持ち味で「飛びの佐川」「メカの佐川」の異名を持ち、また「さがっちょ」の愛称で小学館の学習雑誌の記事に登場した事もある。


円谷英二直伝の巨大感を表現するための遠近法や、撮影・合成技術の特殊な応用にも精通している。有名なウルトラマンガイアの土煙を上げる着地を考えたのもこの人である。(厳密には前作『ダイナ』でテストケースとして考えていたものを使ったところ好評だったため取り入れたらしい)

カメラマン出身であることからカメラやフィルムに精通しており、『マイティジャック』でのハイスピードカメラによる撮影や『スターウルフ』でのネガフィルムの反転を応用した半ダブラシ合成などでそのノウハウが活かされている。


半面職人気質を地で行く性格であり、他の演出家なら妥協するような場合でも良しとせず突き詰める性格であった。そのこだわりの強さゆえに初期話数だけで1クール分の予算を使い果たすなど予算を大きくオーバーしてしまったり、テレビ局への納品がギリギリになってしまう事もあったとの事。現場のスタッフやスーツアクターも佐川の厳しさに意地になってやっている時もあったという。『ガイア』のオープニングも含めた制作には、1話と2話だけで40日以上の日数と従来の4倍もの予算が掛かってしまったとか。ある意味では平成初期の円谷プロの放漫経営、どんぶり勘定を象徴する人物の一人ともいえる。


主な監督作品

TV作品


劇場作品




関連項目

特技監督

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