概要
かつてJR東日本が上越新幹線で新潟駅まで運行される列車に付与されていた愛称。1997年10月以前は速達列車用として、それ以降は新潟駅まで行く全ての列車に使用されていた。
列車名の由来は新潟県と山形県の県境にある山・朝日岳から取られた。また、同時に設定された在来線特急「かがやき」と合わせて『朝日の輝き』が由来とも言われている。
なお、1962年から1982年までは在来線で「あさひ」が運行されており、こちらは新幹線開業と同時に「べにばな」に改称されている。
上越新幹線「あさひ」
1982年11月の上越新幹線開業と同時に誕生し、速達型として設定された。公募18位だった。1位の「とき」は新幹線開業とともに廃止された上野⇔新潟間の特急電車名であったが、既に絶滅寸前の鳥だったため速達型には使いづらく、2位以降(「雪国」など)は反対意見が出てきたため中々決まらず、最終的に時間切れとなって「あさひ」となった。「とき」は各駅停車型として使用されることになった。
その後1994年7月にE1系、1997年12月にE4系が誕生。オール2階建車両で運転される「あさひ」には「Maxあさひ」と名付けられた。
開業からしばらくは特に変化はなかったが、1997年10月にJR東日本が管内新幹線の愛称をそれまでの停車駅別から運転区間別に整理した。その際に新潟駅に行く列車は各駅タイプ速達タイプ問わず「あさひ」となった。一方、各駅タイプとして運転されてきた「とき」は「あさひ」と「たにがわ」に統合されて一度消滅した。
E2系による運用
1998年12月から2002年11月までは「あさひ」2往復にE2系を投入。当初はJ編成8両編成、またはN編成8両編成による運用だった。案内上では「ニューあさひ」や「あさま型車両」と呼称された。
「あさひ」は「とき」の消滅と同時に誕生した長野新幹線(現:北陸新幹線)「あさま」と一文字違いで紛らわしく誤乗車が多発し、高崎駅を過ぎたところで誤乗車に気付くなどのケースも多かった(高崎駅を通過する速達「あさひ」に使われていた車両の多くが「あさま」でも使われているE2系だったことも誤乗車が多発した原因の1つとなっている)。また、「とき」の復活を求める声は新潟県を中心に強く、新潟県の関係機関からも「とき」に変更するよう要請が行われた。
このような経緯から2002年12月に「あさひ」が「とき」に改称され、「あさひ」は消滅。「とき」が復活した。同時にE2系もはやて用と同じJ編成10両へ変更され、使用車両も差別化された。
275km/h運転
1990年3月に200系F90番台を使用した速達「あさひ」による275km/h運転を開始。これは世界最速をフランス国鉄のTGVに奪われた事と日本最速を山陽新幹線に奪われかけたため、大清水トンネルの下り勾配を利用して無理やり275km/h運転をして、世界最速を取り戻すために行ったのである。しかし1993年にはTGV、1997年3月にはJR西日本自社開発の500系が300km/h運転を開始したことで存在意義が薄れたため1999年12月に取り止めとなり、以降は240km/hとなっていた。
2023年3月には全列車をE7系に統一。大宮~新潟間で最高速度を240km/hから275km/hに引き上げ最大7分短縮。勾配等の利用はなく、車両性能で高速化されたため、これこそ真の275km/h運転と言えるだろう。
戦前の「あさひ」
国鉄における「あさひ」の名を持つ列車は1960年に運行を開始した急行列車が初だが、戦前には内地・外地で計2つの「あさひ」が運行されていた。
南満州鉄道「あさひ」
南満州鉄道が1936年から朝鮮半島の羅津駅から新京駅までの間を運行していた急行列車。起点となる羅津駅では新潟行きの航路と接続し、奇しくも「とき」の前身にあたる上越線急行との連絡を行っていた。
愛知電気鉄道「あさひ」
名古屋鉄道の前身にあたる愛知電気鉄道が1930年9月から神宮前駅~豊橋駅間を運行していた特急列車。当時最新のデハ3300形が投入され、従来の特急が所要時間60分だったところを57分に短縮し、「超特急」という種別が設定された。
試運転時点では「神風」という愛称が仮称として付けられていたが本採用には至らず、1930年10月に「あさひ」と命名。これは国鉄の「燕」に対抗したともいわれている。
1936年に特急に統合され愛称も消滅した。