概要
当て馬の子ながら1988年の優駿牝馬(オークス)を勝利しクラシック馬となった。
父:ブゼンダイオー 母:スイートドリーム 母父:ラッキーソブリン
生産者:上田牧場(白老町)
略歴
スイートドリームは未出走馬ながらラッキーソブリンの子であることに期待し、上田牧場に繁殖牝馬として購入された。しかし気性が悪く後ろに立つ者を蹴る癖があり種付けは困難を極めた。何とかモガミをつけたものの不受胎。種付けの練習のため上田牧場で当て馬をしていたブゼンダイオーをつけ、1985年6月13日に産まれたのがコスモドリームだった。
当時、田邉廣己は持ち馬を次々と喪って馬主資格停止の危機にあり、どうにか見つけたのが遅く産まれたコスモドリームであり、血統的に全く見るべき点がないのに中央で競走馬となることができた。
コスモドリームは上田牧場代表・上田武司が調教師時代の弟子・松田博資の厩舎に入厩。デビュー3年目の熊沢重文騎手が主戦となった。
1988年
1月10日、京都競馬場の4歳新馬戦(ダート1200m)でデビューし、3着。6月生まれだったためデビューが遅れた。
1月23日、京都競馬場の4歳新馬戦(ダート1800m)に出走し、1着。初勝利を挙げる。
2月13日、京都競馬場で梅花賞(ダート1800m)に出走し、3着。
3月13日、桜花賞のトライアル・レースとして阪神競馬場でチューリップ賞(芝1600m)に出走するが、スタートで騎手を振り落とし競走中止。桜花賞へは出走できなかった。
3月27日、熊沢が中京競馬場への遠征に帯同するため新人の岡潤一郎騎手に乗り替わった。阪神競馬場で4歳牝馬限定400万下(芝2000m)に出走し、1着。
4月16日、阪神競馬場ではなみずき賞(芝2200m)に出走し、1着。コスモドリームが優駿牝馬へ出走する資格を得たが、岡は「31勝以上」というGⅠレースの出走資格に引っ掛かり、熊沢が鞍上に復帰する。
5月22日、東京競馬場で優駿牝馬(芝2400m)に出走し、1着。熊沢は優駿牝馬の最年少勝利記録を更新した(20歳3ヶ月)。スーパー競馬(フジテレビ)では堺正幸アナウンサーがゴール後までコスモドリームを同枠のサンキョウセッツと間違えて実況中継するという珍事があった。
7月10日、中京競馬場で高松宮杯(芝2000m)に出走し、3着。敗れたものの1着のオグリキャップと互角に戦える実力を示した。
8月28日、小倉競馬場で小倉記念(芝2000m)に出走し、2着。
10月9日、京都競馬場で京都大賞典(芝2400m)に出走し、2着。その後はエリザベス女王杯へ向けて調教が行われたが骨折。長期休養を余儀なくされた。
1989年
4月30日、京都競馬場でオーストラリアトロフィー(芝2200m)に出走し、1着。
6月11日、阪神競馬場で宝塚記念(芝2200m)に出走し、14着。持前の末脚が発揮できず大敗。
7月9日、高松宮杯(芝2000m)に出走し、9着。良いところなく敗れ引退することとなった。
1990年から下河辺牧場(門別町)で繁殖牝馬となる。13頭の仔を産んだが活躍馬は出なかった。
2009年、繁殖牝馬を引退。フラット牧場(むかわ町)で余生を送る。
2015年2月、老衰のため死亡。30歳。