プロフィール
- 本名:円谷寛(読み仮名は芸名と同じ)
- 生年月日:1964年3月8日
- 没年月日:2001年7月24日(37歳没)
- 星座:魚座
- 血液型:O型
- 出身地:東京都
- 身長:180cm
- 体重:68kg
- 芸能活動期間:1982年-2000年
来歴
「ウルトラシリーズ」などで知られる円谷プロダクションの創業者一族の一人で、祖父に円谷英二(同社初代社長)、父に円谷一(同社2代目社長)をそれぞれ持ち、このうち一については後年『ウルトラマンティガ』にて演じたこともある。また兄である昌弘、英明も、やはり円谷プロの社長を歴任している。
堀越高校在学中より役者を志し、卒業後に円谷プロダクションに入社し同プロダクションの芸能部に所属。1982年、『特捜最前線』(テレビ朝日系列)へのゲスト出演で俳優としてデビュー。翌々年の1984年には、『宇宙刑事シャイダー』(テレビ朝日系列)に沢村大(シャイダー)役として初主演を果たし、注目を浴びる。
同作終了後、『真田太平記』(1985年、NHK)に出演して以降は主に時代劇に活動の主軸を移す一方、『ウルトラマンをつくった男たち』(1989年、TBS)など、円谷プロ作品にも度々出演していた。
一方で、俳優活動の中心であった東映京都撮影所時代には、健康意識の低さから撮影後にスタッフや共演者と飲み歩く日々を過ごしてもおり、これが後年肝機能障害を引き起こす結果に繋がったことを、次兄の英明が自著において記している。
そうした事情もあり、1990年代末頃には既に体調も大幅に悪化しており、当時出演していた『ウルトラマンガイア』(1998年、毎日放送)においても当初は第3クール以降の出演はできないと宣告されていたことを、同作にてシリーズ構成を務めた小中千昭も証言している(参考リンク)
2000年、体調不良を理由に俳優を引退。引退後はデビュー当初所属していた円谷プロダクション芸能部のマネージャーを務めていたが、その後も病状が好転することなく、翌2001年7月24日に肝不全のため逝去。37歳の若さだった。一の子供達の男きょうだいの中で一番年下の浩が一番先に亡くなった形となった。父の一も、浩がまだ幼い頃に過労が元で41歳の若さで急死しており、才覚ある親子が、揃って「仕事に殺される」格好で、惜しまれつつ世を去った格好となった。
主な出演作
『若大将天下ご免!』:石松
『ウルトラマンをつくった男たち』:黒河進(黒部進に相当)
『翔んでる!平賀源内』:青木二郎太
備考
『シャイダー』への出演直前、NHKの取材に応じて祖母のマサノ夫人、叔父の円谷皐、従兄の円谷一夫と共に座談会に出席している。
円谷の死後、プレイステーション2用ゲームソフト「宇宙刑事魂」では沢村大(シャイダー)の声は声優の川村拓央(現在はかわむら拓央)が担当。「宇宙刑事シャイダー」の30年後が舞台のオリジナル新作「宇宙刑事シャイダーNEXT GENERATION」ではアニーの思い出の写真で登場した。また、アニーを演じた女優森永奈緒美は、製作記者発表の場で「本来の相棒がここに居ないのが悔やまれます」とコメントを残している。
関係の深い人物としては、脚本家の上原正三が挙げられる。かつて円谷プロに所属していたこともあり、浩のことも幼い頃より知っていた上原は、彼が『シャイダー』の主演候補に挙がった際にはこれを強く推し、同時にかつて円谷一から受けた恩を返すという意味合いも込め、劇場版も含め全51本の脚本を上原が一人で執筆してもいる。後年、浩が円谷プロ作品に出演するようになってからも、前出の『ティガ』や『ウルトラマンダイナ』において、上原は浩のために複数本の脚本を提供している。
同じ俳優仲間では、『人造人間キカイダー』や『大鉄人17』などで知られる神谷まさひろが高校時代の同級生でもあり、後に神谷が『シャイダー』にゲスト出演したのもその時の縁であろうと後に振り返っている。また俳優デビュー後に出来た友人の一人に小西博之がおり、後に円谷プロ制作の『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』への出演が決まった際、若くして亡くなった浩に捧ぐ意味合いから、自らの役名を「日向浩」に変更してもらったという逸話がある。
『シャイダー』の撮影現場では、役名にちなんで「大ちゃん」と呼ばれていたが、何故かアクション監督の金田治には「ダイスケ」と呼ばれており、これが後年誕生した自身の息子(大介)の命名の由来ともなった。
関連イラスト
外部リンク
関連タグ
川村拓央:浩の没後に発売されたゲーム『宇宙刑事魂』において、沢村大/シャイダーを代演している