「君たち魔法少女にとって元の身体なんていうのは外付けのハードウェアでしかないんだ」
概要はさっき君が投げて捨てちゃったじゃないか
元ネタは特撮番組『仮面ライダー龍騎』のキャッチコピーの「戦わなければ生き残れない!」。
『魔法少女まどか☆マギカ』において
インキュベーターと契約した魔法少女は、その魂をソウルジェムに変化させられることで、たとえ心臓が破れてもありったけの血を抜かれても魔力で修理すれば死には至らない不死身に近い肉体を得る。(第6話におけるキュウべぇの台詞より)
しかし、この事は契約した魔法少女達には一切知らされていなかった上、これはこの事実を知った佐倉杏子が思わずキュウべぇに言い放った通り事実上ゾンビにされた=既に死んでいるに等しく、要するに「戦わなければ生き残れない」どころか「戦おうと思った瞬間から既に生き残れていなかった」のである。
キュウべぇ「だが僕は謝らない」
さらに、この事実にショックを受けた視聴者達に追い打ちをかけるかのごとく、魔法少女が限界を迎えた時、ソウルジェムはグリーフシードへと変化して魔女を生み出すということも判明。
つまり、魔法少女という存在は所詮は最初からインキュベーターの目的のための使い捨てに過ぎず、契約した時点でいずれは自分達が戦っている魔女と同じ存在になるということを運命づけられていたのだ。
これもインキュベーターって奴の仕業なんだ。
一見するとネタ要素が強い言葉のように思えるが、実際には魔法少女達の不幸な運命を表しているのである。
では原作ではどうなんだい?
同じ。
『仮面ライダー龍騎』におけるライダーバトルの勝者になるということは、他の12人のライダーをどうにかしてぶっ殺した後というわけであり、殺人犯の汚名を背負ってゲームマスターたる神崎士郎の元に辿り着いても、何も願いはかなえてもらえない。あれは嘘だ。
満足のいく結果が得られるまでタイムベントで時間を逆行させられてしまうだけであり、今までやってきたことは全て徒労に終わる。賽の河原のようなものである。
何故なら、ライダーバトルの真の目的とは『13人の仮面ライダーを戦わせ、その中で最も強い力を持った一人の命を神崎士郎の妹である神崎優衣に与える』という、云わば蠱毒による蘇生だからであり、いずれの結末においても神崎優衣は新たな生命を受け入れず、最終的にライダーバトルそのものが破綻している。契約した時点で願いをかなえてもらえるだけ、まだ魔法少女の方がマシかもしれないという鬼畜っぷりである。例え途中で戦いを放棄しようとしても、契約破棄によりモンスターに食い殺されるか、ゲームマスターの神崎に脅されて戦いから降りられず、結局は悲惨な死を迎える等、ろくな末路がない。
なお、先ほど「魔法少女はいずれ魔女と同一の存在となる」と書かせていただいたが、よくよく考えてみれば仮面ライダー自体がたまたま脳が元のままだった怪人バッタ男にすぎないと言うことを考えれば、これも言いえて妙である。他にも戦いを続ければそのうち単なる怪人に成り果てる仮面ライダーはいくらでも存在する。龍騎の場合、自身が怪人になることは無いが、自身の願いの為に契約モンスターに無関係の人間を食い殺させたりする場合もあるため、ある意味で契約した時点で魔女と同一の存在になっていると言えなくもない。
どうして関連タグなんかにこだわるんだい?
アナザーライダー:作中でアナザーライダーになることを契約と称している場面があるため、比べられることがある。なお、こちらは龍騎やまどマギと比べれば最終的には概ね幸せになっているか一歩踏み出せているパターンが多い。例外ももちろん数人いるが
VERSUSROAD:該当するものが参加者に送られてきた段階で契約完了という事では類似ケース。むしろ、後述タグの「戦わなくても生き残れない!」も含まれる。