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近藤喜文

こんどうよしふみ

近藤喜文(1950~1998)は日本のアニメーター、演出家、キャラクターデザイナー、映画監督。スタジオジブリ後継者とされていたが、47歳の若さで死去した。愛称は「近(こん)ちゃん」または「こんどうきぶん」。
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人物・経歴

1950年3月31日生まれ、新潟県出身。

幼い頃から病弱だったが、絵を描くことや工作、作品作りに強く関心を持っていた。
後に高畑勲宮崎駿大塚康夫ら俊英が携わったアニメ『太陽の王子 ホルスの大冒険』に出会い、衝撃を受ける。本人は児童文学に関わる仕事に携わりたいと漠然と考えていたが、本格的にアニメーターを目指すようになったようである。

高校卒業後、大塚康夫が講師を務めるアニメーション学校に入るも、アニメーターにいち早くなるために大塚康夫に頼みこみ、Aプロダクション(現シンエイ動画)に入社した。この頃に宮崎駿高畑勲らに出会った。


性格は寡黙で穏やか。
かなりの取材嫌いで有名で、近藤自身が答えたインタビューの数は極めて少なく(取材拒否した近藤のかわりに、宮崎が代わりに答えたこともある)、もちろん自分自身に関して言及した本はほぼない。宮崎のように強烈な個性と圧倒的なリーダーシップで人を牽引しアニメを作りあげていくことは苦手としていた。
根っからの職人的アニメーターであった。

近藤が宮崎の後継者と目されたのは、宮崎の絵コンテやイメージボードから演出意図を十分に汲み取って言葉に翻訳し、他のアニメーターに指示として伝える事ができるほとんど唯一のアニメーターだったからである。(※宮崎は画力が非常に卓越していたため、逆に言葉で自分のビジョンを伝える事が苦手であった)

一方で、宮崎の強烈なアニメーションに染まることなく、自分自身のアニメーションを模索することができる強さと個性も持っている。

また、アニメーターにはよくあることだが、近藤も様々なアニメーション会社を転々とし、最終的にスタジオジブリに入社している。

Aプロダクション(現シンエイ動画
 ↓
日本アニメーション(諸事情により退社、テレコムを経て契約社員として後に再入社)
 ↓
テレコムアニメーション
 ↓
日本アニメーション
 ↓
スタジオジブリ

どのアニメーション会社でも多くの名作に携わり、宮崎・高畑らと親交を深め、これから作っていきたい作品について熱く語り合ったようである。児童文学に造詣の深い宮崎とは、よくアニメ化したい児童文学について話し合っていて、度々アニメ化企画を立ち上げているが、ほとんどが没になっている。
また、関わった多くのスタジオで近藤に強く影響を受けた後輩アニメーターも数多くおり、今現在も近藤のアニメートは、古参・新参問わず多くのアニメーターに影響を与えている。

政治的には左翼で、日本共産党員として活動していた(ちなみに左翼として知られる高畑勲は、日本共産党支持者ではあるが党員ではない)。







近藤喜文の仕事に対する評価

近藤のアニメーションは、大きく分けて二つの面がある。

  • いわゆる日本的アニメーション技法を得意とする面。
  (例) わざと使用する原画の紙枚数を急激に減らしてアニメーションにメリハリをつける、
      パースを一点に集中させてキャラクター及びその動きを魅力的に見せる等。

  • 緻密でリアルなアニメーションを得意とする面。
  (例) 『火垂るの墓』、『おもひでぽろぽろ』、『耳をすませば』等のアニメーションでは
       最も難しいとされる日常風景を徹底する等。

昨今、どちらの面も使いこなすことのできるアニメーターはほぼおらず、それに加えてエロ・グロ・カオスに頼ることなく、技術的な凄さや自分自身の個性がしっかりとアニメに現れるアニメーターは、今となっては近藤の弟子格にあたる田辺修くらいと言ってもいいかもしれない。

宮崎や高畑らは、近藤が原画マン時代から彼のアニメーションを高く評価している。
宮崎は、自分が彼の才能を見出したのだと自負し、今まで出会ったアニメーターの中では屈指のアニメーターだと近藤を評している。また先述の田辺修をはじめ、現在はジブリの外で活躍している田中敦子(アニメーター)安藤雅司のアニメートに大きな影響を与えている。

過去、近藤に原画の手伝いを頼んだことがある友永和秀は、背景の道具や小物にまでキャラクターらしさを追求しようとする熱心かつ誠実で、気迫の漂う近藤の緻密な仕事に驚愕し、尊敬の念を深めている。
また、間接的な影響ではあるが、『思い出のマーニー』の監督米林宏昌は近藤監督作品『耳をすませば』を見て、スタジオジブリに入ることを決めたという。

スタジオジブリ取締役の鈴木敏夫は、宮崎も含めた日本のアニメーターの中で、近藤喜文は唯一かつ最も異質なアニメーターであり、彼のアニメーションは彼にしか描けないと評している。

また、アニメ作画者としてだけでなく、キャラクターデザイナーとしても数々の名作に携わっている。






逸話

近藤喜文争奪戦事件

あまり知られていないが、1988年公開の『となりのトトロ』と『火垂るの墓』は同時上映のアニメーション映画である。

以前から近藤を高く評価していた宮崎は、是非とも『となりのトトロ』の作画監督にと強く推しており、近藤本人にトトロの原案を送りつけては粘り強く説得していた。一方で、日本アニメーションに新たな一石を投じるものを、と考えていた高畑は、『火垂るの墓』の作画監督には是非とも近藤を、と考えていた。

が、高畑勲は宮崎駿のように熱烈な交渉には行かず、ただじっと待って近藤に無言の圧力をかけていた
結局、板ばさみになった近藤は鈴木敏夫に助けを求め、「宮崎駿は自分で絵が描けるから」という理由で『火垂るの墓』の作画監督になったものの……

宮崎   「僕は腱鞘炎だ、入院する。僕が降板すればトトロも火垂るもなかったことになる」
宮崎駿、相当頭にきていたようである。(言わずもがな腱鞘炎は仮病)
結果的に、夢の中で近藤喜文を殴った宮崎は気持ちに折り合いをつけ、こうして名作二作が完成した。
何とも大人げない名作の舞台裏である




日米合作作品『リトルニモ』

1980年代半ば、日米アニメーション合作作品として『リトルニモ』の制作企画が進められることになり、宮崎・高畑両氏とともに近藤は渡米し、作品のイメージボードを作り上げていった。
その過程で、あるとき、ディズニー熟練の古参のアニメーターたちのもとで、日米屈指のアニメーターたちの力量を試すテストのようなものが行われた。数あるアニメーターたちのアニメートの中で、最も絶賛されたのは近藤のものであり、「ディズニーに来たらすぐ通用する」とお墨付きをもらった。
しかし、制作陣側の身勝手かつ杜撰な計画によって、宮崎・高畑両氏は離脱、ほどなくして近藤も離脱することとなったが、書き溜めたイメージボードをもとに、一つの成果として約3分間ほどのパイロット版『リトルニモ』を制作した。このパイロットフィルムはビデオの特典映像としてのみ収録された幻の近藤喜文監督作品となっているが、今現在、ニコニコ動画やyoutubeで公開されているので、気になる人はぜひとも視聴することをおすすめする。圧巻のアニメーションは、制作から数十年たっても色あせない、日本アニメ史上の名作であるといっても過言ではないだろう。




宮崎駿の信頼

アニメーションを作る上で重要な設計図ともいえる絵コンテは、スタジオジブリにおいては絵コンテの時点で作品の明暗を分けてしまうといわれるほどさらに重要度を増す。

宮崎は監督として関わる作品のほとんどの絵コンテを自分自身で描いているが、唯一、短編アニメ『そらいろのたね』の絵コンテを近藤喜文に全て任せている。
自分の監督作品に強い執着をもつ宮崎駿にとって、絵コンテを人まかせにするのは異例中の異例のことであり、近藤に対する絶対的な信頼が垣間見える逸話である。




生涯をかけて闘った

近藤は生まれつき体が弱いこともあって、作品を作り終えるたびに入退院を繰り返し、時には針治療で体の不調をごまかしていたようである。本人曰く、「アニメを作り終えたらまた病院に連れ戻される」とのこと。スタジオジブリ入社後も、体調を幾度となく崩し時に手術を受けることもあったが、その度に仕事に舞い戻り、あたかも命を削るように作品作りに没頭した。そんな近藤の姿に、どれほど病魔に倒れようとも、必ず戻って来ると宮崎をはじめとするスタッフたちは信じて疑わなかったいう。
しかし、『もののけ姫』公開の直後、解離性大動脈瘤を発症し緊急入院となったが、その僅か1ヶ月後の翌1998年1月21日に47歳の若さでこの世を去った。スタジオジブリの次世代の後継者と目された近藤喜文の早すぎる逝去に、スタジオジブリの面々、アニメ業界が愕然とした。
現在、スタジオジブリは後継者問題に直面している。








告別式にて


近藤の告別式において宮崎・高畑らは、涙を流しながらこんな弔辞を読んでいる。

高畑
「(キャラクターの)感じの出る絵、感じを出す動き、それを描き出せる人、それがぼくにとっての近ちゃんでした」

宮崎                               
「坂を登り、ついに山のむこうに青い海の広がりを見た時のような、晴れあがった空のようなつきぬけた解放感が、彼の仕事にありました」


また、映像研究家叶精二は、
「近藤氏を失った日本アニメーションの損失は多大なるものであり、後進のアニメーターたちにも影響を与えるだろう」
と、近藤の死を悼んでいる。






近藤喜文死後の動き

作品と原画展

近藤が亡くなった後、近藤喜文唯一の画集『ふとふり返ると』が刊行された。
また、高畑勲・宮崎駿作品研究所及び近藤喜文に関わる全ての人々の協力によって、スタジオジブリが近藤の業績をまとめあげた『近藤喜文の仕事』を自費出版本として製作した。通販のみの限定販売だったものの、即完売した。
以後、再販予定はなかったものの、2014年7月~8月まで新潟県で、2015年の8月から9月末まで香川県で開催された近藤喜文展でのみ図録として再販されている。
どちらの本も読む価値は余りあるほど素晴らしいものなので、機会があれば是非とも読むことをおすすめする。
アニメーターを目指す人間、アニメーションを愛する人間ならば必ず読むべき名著である。

なお現在、2015年の10月から2016年の4月の間、宮城県の石ノ森萬画館にて近藤喜文展が開催されている。






金曜ロードショーオープニング

1997年4月から2009年3月まで、近藤喜文が原画・演出を担当した金曜ロードショーのオープニングが、同番組内の冒頭で毎週放映された。あの映写機のおじさんである。音楽久石譲が担当している。
製作が宮崎駿となっているため、宮崎駿が製作したとよく勘違いされるが、実質的にこの作品を作ったのは近藤喜文である。

製作が宮崎駿となっているので、近藤喜文が原画を描いたとしても、宮崎の手でかなり手直しが加えられ、宮崎色の強いものになってしまっているのではないかと思われるかもしれないが、元々、原画マン時代から近藤喜文の原画には、基本的に手直しを加えず(あまりにも手癖が強くでたものには修正を加えたようだが)、近藤の原画を尊重する場合が多かったようである。近藤喜文の技術の円熟期であったこの時期は、なおさら近藤の原画に修正を加えなかったと考えられるため、宮崎の手が加えられていない近藤喜文が製作した作品であるといっても過言ではないだろう。

このよくなされる勘違いには、アニメーター及びアニメーションの世界に対する無関心さを痛感せざるをえないとともに、アニメーターの仕事に対して正当な評価がなされていないという問題を垣間見ることができる。
また、単調なマーカー線で作られているため、とるにたらないアニメーションだと思われる人が多いかもしれないが、映写機を回す単純なキャラクターをカットを変えず、また動きに乱れなく回転させることは容易ではない。これができるアニメーターは、ごく一握りだけである。



ハウルの動く城』 近藤喜文との約束

宮崎駿は近藤の告別式において、「近ちゃんの持ち味を生かすことができる、『トムは真夜中の庭で』のような作品を作れたら、とずっと思っていた」と語っている。
『トムは真夜中の庭で』は、近藤自身も深く愛していた、イギリス児童文学の名作である。この作品を、宮崎駿そして近藤喜文はいずれアニメーション作品として作ろうと考えていたようである。
この作品中に現れる数々のモチーフは、どこか『ハウルの動く城』と共通するものが多くみられることから、近藤のアニメ化の夢を宮崎が叶えた、ということがいえるのではないだろうか。
文学作品の内容は割愛するが、気になった方は読んでみることをおすすめする。




思い出のマーニー』 近藤に憧れた人々

2014年の夏に公開された『思い出のマーニー』には、近藤喜文のアニメーションに最も影響を受けた米林宏昌安藤雅司らがそれぞれ監督、作画監督として携わっている。
宮崎アニメーションにはない『耳をすませば』のような繊細さに満ち溢れたこの作品は、近藤喜文が次世代のジブリを継いでいたならば、と思わず想起せずにはいられない労作である。

鈴木敏夫は、ラジオ番組「ジブリ汗まみれ」及びNHKの番組「アニメーションは七色の夢を見る」にて、近藤喜文のアニメーションに最も影響を受けた作品であり、若さ故の甘さはあるものの、次世代ジブリの正当な後継作品ともいえる、と評している。
また、『思い出のマーニー』の副題として、「近藤喜文に捧ぐ」という題案が検討されていたようである。












宮崎・高畑のメッセージ

※注意! ここから先、資料を重々参考にしたものの、前述よりも確証性に欠ける話となります。


2013年に公開された、宮崎・高畑両監督のおそらく最後の長編作品といわれている『風立ちぬ』と『かぐや姫の物語』は、どこか近藤喜文を連想させる作品になっている。

風立ちぬ』は“職人”を主人公に据えた作品であり、主題歌『ひこうき雲』で象徴されるように、作品では青い空が印象的に描かれている。”青い空”は近藤が最も愛した児童文学作品のある一節にあり、宮崎駿はこれを使って、前述の弔辞を書いたとされている。また、宮崎作品には珍しく恋愛を作品の軸においており、どこか『耳をすませば』の愛する人への揺れ動く心の繊細さを感じられる作品になっている。

かぐや姫の物語』は、高畑勲のアニメーション表現の新たな次元を模索した作品である。
元々、水彩や色鉛筆のような淡いタッチの絵を描こうとする試みは、画集『ふとふり返ると』でも分かるように近藤喜文自身も行っている。そして、『耳をすませば』から『もののけ姫』の作品の間に、近藤は金曜ロードショーオープニングに代表される3つの短編アニメを制作している。
どの作品も単調なマーカー線によって描かれており、近藤喜文自身も『線でどこまで表現することができるか』を追求していたため、おそらく新たなアニメーション表現に水彩のような、色鉛筆の様な淡いタッチの表現を、次回作品に取り入れることを視野に入れていたものと考えられる。
ある意味で、高畑勲は近藤の目指そうとしたアニメーション表現を追求しようとしたのではないか。

宮崎・高畑両監督の意図は分かっていない。憶測にすぎないかもしれない。
このことは全く偶然の一致の可能性の方が非常に高いものの、両監督ともに近藤に対する愛着は強く、2013年の夏頃からスタジオジブリが高畑勲・宮崎駿作品研究所に、『近藤喜文展』開催の打診をしていたことから考えると、作品に何らかの近藤喜文に対する意識があったのではないかと考えることも、出来ないことはないだろう。







携わった主な作品




参考資料

  • 近藤喜文の仕事  
  • 近藤さんのいた風景(近藤喜文追悼文集)
  • ふとふり返ると
  • 宮崎駿全書
  • 日本のアニメーションを築いた人々
  • アニメーションの本~動く絵を描く基礎知識と作画の実際~
  • リトルニモの野望


 なお、『近藤さんのいた風景』は、高畑勲・宮崎駿作品研究所が出版した、近藤喜文のアニメーション研究成果及び近藤喜文と親交のあった人々の追悼文をまとめた同人誌である。




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