概要
実力があっても運が良くなければ成功しないという意味だが、「そもそも自分で運を掴むことも実力に含まれる」という意味を兼ねている。
批判
現代社会において、この諺は「働かざる者食うべからず」や「長い物には巻かれろ」と並び、最も嫌われている諺の一つであると言われている。
実際には表向きは階級社会じゃないと言われる日本国などの先進国であっても、社会的に成功している人の多くは、親も成功者だったという事例がとても多いからである。
例えば、高学歴(大卒以上)の人の多くは親が金持ちだったり親も高学歴であることが多く、逆に貧困家庭や児童養護施設(孤児院)、里親家庭出身者は少ない。
特に医学部医学科の場合、富裕層の子供であれば学費が超高額な私立医科大学に行くという選択肢もあるが、一般家庭の子供は国公立大学に合格するか私立で特待生になるかしなければ医者になるという選択肢はほぼ閉ざされてしまう(ちなみに国公立の医学科は地方の大学でも東工大並みかそれ以上の難易度はある)。
「学歴社会は努力すれば報われるから公平な制度だ」という意見は多いが、実際にはそもそも生まれた家や親に問題がある場合、努力する環境すら与えられないという事例が冗談抜きであり得るのである。
「家が貧しくても奨学金制度があるじゃないか」という意見もあるだろうが、そもそも貧困家庭などでは勉強するための時間や環境が不十分なことが多いということを覚えておこう。
また、人種問題を抱えており日本国以上の学歴社会とされるアメリカ合衆国ではこの傾向がさらに顕著となり、白人や裕福な家庭の出身者は成功者が多く平均寿命も日本などの他の先進国と大差ない程度に長いが、逆に黒人や貧困家庭の出身者は発展途上国並みに平均寿命が短くなっている。
ハーバード大学のマイケル・サンデル教授は「実力も運のうち 能力主義は正義か?」という本を出版しており、「そもそも環境(運)が恵まれていなければ、実力を身に付ける機会すら得られない」と主張している。
また、サンデル氏は「人種差別や性差別が嫌われる現代社会において、唯一黙認されている差別が学歴差別である」とも主張している。
ましてや、失敗国家に生まれたならば、学歴や実力はおろか、基本的な衣食住を確保することすら難しくなるだろう。