概要
『仮面ライダーガヴ』の主人公・ショウマが第1話で吐き捨てた啖呵であり覚悟の言葉。
仮面ライダーへの初変身を果たし、始を襲うグラニュート・ハウンドに立ち向かうショウマ。
切りつ切られつの大立ち回りの最中、始の母が彼を探しにやって来るや、「ば、バケモノ!!」とハウンドだけでなくライダーにも恐怖してしまう。始は弁護しようとするも、彼女は聞く耳を持たず慌てて始を連れて立ち去ってしまった。
「ハハハ、聞いたか!?お前バケモノだってよ!!」
何も知らない一般人から見ればライダーも怪人だと、ハウンドは嘲笑いながら突き付ける。
「そうだな…バケモノだ。オレも、お前もな!!」
しかし動揺するどころか、ショウマはその現実を真っ向から飲み下し、ガヴから赤い剣を吐き放った。
自分は人間とグラニュートのどちらの共同体にも居場所がない異分子で、得体の知れない力や外見は忌避も拒絶も免れないことなど百も承知。
それでも守りたい光景のため、仮面ライダーは奮い立つ。
自分より弱い者しか相手にしてこなかったハウンドは、自分より圧倒的に強い仮面ライダーに一方的に攻撃された末、最後の情けをかけられる。
「答えは“お前をブッ倒す”だぁぁぁッ!!」
屈辱のあまりに激昂しながら襲いかかるも、必殺のライダーキックを食らいあえなく爆殺された。
その最期はショウマをバケモノ呼ばわりした「本当のバケモノ」にふさわしい末路だった。
この一件を境に、周りから恐れられようとも、名も知れぬ誰かの幸福を犠牲に際限無く快楽を貪る凶行を止めるため、例え同族が相手だろうと、ショウマは眷属達と共に戦い抜く覚悟を決めるのだった。
通常はこの手の作品にて人外であるキャラクターが「バケモノ」呼ばわりされると必死に否定するか激昂する・悲しみに打ちひしがれることが多いが、ショウマは否定するどころか真っ向から受け止め相手にも切り返した為、視聴者からは「この手のキャラの中で覚悟が決まりすぎている」と大きな反響を呼んだ。
ショウマの不幸と孤独の原因
しかし話が進むと、このセリフはショウマの幼少期の経験に因んだ、自分含むグラニュートへの悪感情を如実に示した言葉であったのも判明する。
- その実父の要請に答える格好で、幼い自分に人体改造を施した大叔父
…生を受けてから、ショウマはグラニュート側から幸せを与えられた記憶、グラニュートとして幸せを感じた感覚、体験が無かった。そしてそれが積み重なり、自分に半分流れるグラニュートの血と力、引いてはグラニュート全体への強い憎しみと嫌悪等を心の奥底に溜め込んでいたと思われる。
そしてこの悪感情故に、「(自分の半身も含めて)グラニュートは人間に不幸しか与えない“バケモノ”」との価値観がショウマの無意識に根付いてしまったと考えられる。だからこそ事情を知らない人間に「バケモノ」呼ばわりされた際、ショウマはその場から逃げる事しか出来なかったのだ。
人間界に渡って以降、上記の価値観に振り回されるまま、グラニュートを倒しながら人間から逃げた結果、半分バケモノである自己を否定する行き詰まりにショウマは陥りかけた。しかし半分人間であるもう一つの事実と、自分を恐れる人々との溝を飛び越えて自分を肯定してくれた初めての人間と出会う経験を得たショウマは、グラニュートから人間とその幸せを守る『仮面ライダー』として戦う道を選ぶ。
しかしそれは、グラニュートとしての自分に背を向け拒絶する行為の裏返しでもあったらしく、自分を肯定してくれた人間=辛木田絆斗が仮面ライダーヴァレンとなり共闘関係を得ても「自分を人間だと思っているから共に戦ってくれる⇒グラニュートとしての自分が知れてしまえばこの関係は終わる」というネガティブ思考を勝手に導き自分から擦れ違い、心理的に一人孤立してしまう。
確かに、ショウマのグラニュートとしての過去は不幸な記憶や体験しかなかった。だがその過去に従い、グラニュートとしての自分に悪感情を感じて拒絶する事を選び続けているのは今現在のショウマである。そして拒絶する手段として、今現在ショウマが触れている人間界での経験や知り合った人々の見方を歪める愚行までもが発生していた。
すなわちショウマはグラニュートへの悪感情に従うまま、不幸と感じる経験を自己再生産しているのであって、その結果が心理的な孤独として現れよりグラニュートとしての自分を拒絶する、悪循環に陥っているのも窺わせる。
要するに、ショウマの不幸と孤独は彼のネガティブ思考=マイナスの努力の産物とも評せるのだ。
しかし、自分をその命諸共否定する選択を拒否し“生きる”事をショウマが選んだ時点で、自分のルーツの片割れにして「バケモノ」と蔑むまでに憎んだものへ逃げずに真正面から向き合う=上述した思考の悪循環を断つ試練に挑む覚悟を決める事でもあった。この選択の先でショウマは一体何を見るのだろうか。
関連タグ
自罰:ただしその手段はその時の周りを歪めるやり方で行われるので、同時に周りの他者を侮辱してもいる。
被害妄想:「グラニュートとしての自分は人間の自分から幸せを奪う」とショウマは無意識で思い込んでいるとも考えられる。
Over"Quartzer":2番目の歌詞「孤独なんて独り善がりさ」が、ショウマの心理的な問題点を端的に言い当てている。