概要
中国語には本来「神話」という概念はない。
神という概念はあったが、実のところ歴史時代の前に神話時代があったという世界観ではない。
むしろ、人と神と仙人とが混然としたカオスをなしていると言ったほうがよい。
このあたりが、日本神話やギリシャ神話などとの大きな違いである。
そこで、以下でそのカオスについて概観してみよう。
儒教の神話
天地開闢
最初は混沌とした世界である。やがて清んだ陽気が天となり、濁った陰気が地となった。
ここに盤古という巨大な神が生まれ、吐息から風、涙から雨、またその遺体から山岳や草木等が生まれたという。
三皇五帝
盤古の死と共に世界の創造はおおよそ終わり、三皇五帝という神もしくは聖なる君主が世界を治めかつ創造を完了する。まずは三皇が次々に現れる。
三皇にも女媧に代えて祝融を入れる等諸説あるが、概ね人間離れした姿で神と認識されていた。
だが、伏羲や神農が陳の街に都をおいて王に即位したり、
後述する黄帝と戦った伝承があったり、既に人間の王との区別があいまいである。
次に現れた五帝は、最初の王とも呼ばれる黄帝や善政の代名詞とされる堯舜など、
もはやほぼ完全に人間の王となってしまう。
これらの物語は儒教成立以前から伝えられてきたもので、
『楚辞』『淮南子』等にまとめられている。
このような神と人との区別の曖昧さについては、当時の神話を文字に書き記した人々、
すなわち孔子を始めとした春秋時代諸子百家の思想家たちの合理主義に原因を求める意見もある。
彼らは自説を例証する材料として、神秘的な神話を人間たちの歴史的故事に
書き換えたというのだ(伊藤清司『中国の神話・伝説』他)。
殷周以降の王と神話
さて、殷周時代は考古学的裏付けもあり、歴史上の王の時代といえる。
殷の神話は、「帝」という神を王が祭祀することを骨格としていた。
その方法が犠牲を捧げることや占いなどであり、現代に残る甲骨文字は占いの遺物である。
殷を滅ぼした周は「天」という信仰対象を持っていた。
天は天命という形でその意思を下して王を選ぶ。ゆえに王は天の子、天子である。
実際には殷を武力で滅ぼしたことが天命の力によるもの、と正当化したため、
逆に武力で王を倒して自ら王となった者が天命を得た者である、という論理が成立した。
こうして天命の行方は武力次第という、神の影が薄い図式が強化されたわけだ。
周の主神たる天は敗れた殷の神たる帝の概念を吸収し、「天帝」と呼ばれるようになった。
他に周は、社稷(それぞれ土地神と穀物の神)、宗廟(神となった祖先)等を祭祀した。
この周における祭祀のルールを体系化したものが儒教であり、ここまでが公式の中国神話となる。
後に始皇帝が三皇五帝以上の業績を自らが挙げたと称し、
漢の君主が皇帝、すなわち三皇五帝を超える存在となり、天や社稷、宗廟の祭祀を行うとなると、
上述の神話はほぼ全て皇帝権に吸収されてしまうのがわかるだろう。
すなわち儒教の神話は皇帝の祭祀権独占を保証する神話であり、民間には祖先祭祀ぐらいしか残らなかったのだ。
だが、ここで終わりではなかった。
道教の神話
道教の成立と神話復興
時代は漢の末に下り、三国志の時代となる。
この時代に活動した黄巾賊(太平道)と五斗米道はいわゆる草創期の道教教団である。
公式の神話が皇帝権に還元された一方で、民衆の間に別の神話体系が生まれつつあった。
それがこの道教とその神話である。
創始者は人か神か
道教の創始者とされるのは儒教の孔子とほぼ同時代の人物とされる老子である。
だがこの老子、五斗米道によって太上老君という天の最高神に祭り上げられた。
人から最高神への出世である。
太上老君は唐王朝が老子を祖先として崇拝したことでその人気が頂点に達した。
やがてその唐代に、天の最高神は元始天尊となり、天地開闢以前からの最高神とされた。
その都は天にある街、玉京であるともいう。
道教教義上の至上倫理は「道」というが、これを神格化したのが太上道君(霊宝天尊)だ。
これに太上老君(道徳天尊)を加えた三清が最も尊い神々ということになった。
元始天尊は自然の気から生まれたといい、人ではなく普通に神である。
だが元始天尊は逸話が乏しく、その部下たる玉皇大帝の人気がこれを凌ぐようになる。
やはり人気のある神々は人の出身
玉皇大帝とはいわゆる道教での天帝を指す(玉帝、天公など別名も多数)。
玉皇大帝は元始天尊を支える神々の一柱であるが、
宋代に入って人気が高まったことで天の最高神であるとされるようになった。
もとは光厳妙楽国の王子であったともいい、これも元は人間であったらしい。
娘に織姫がいて、牽牛(彦星)との恋にパパマジギレするのもこの神様である(七夕の伝説)。
関帝聖君も人気の高い神である。三国志の英雄、関羽のことである。
歴代の王朝から武人の鏡として崇拝されるうち、武神とされるようになった。
さらには算盤の発明者とされ、商売の神ともされるようになった。
かくして中華街には関帝廟が置かれて華僑の信仰を集めている。
周の軍師太公望も、仙人とされる他、軍略の神様としても崇拝された。
この頃中国にも仏教が広まっていた。道教と仏教は一応は別の教団だが、
時として混淆されることもある。その典型が西遊記である。
これはお釈迦様の命で旅立つ仏教説話だが、多くの道教の神々が登場する。
つまり道教神話でもある訳だ。
そして主人公の孫悟空は道教の神「斉天大聖」としても祀られる。
女神にはどんな神々が?
- 西王母:月の女神あるいは女仙の主。長命をもたらす仙桃を授けてくれる。
- 媽祖:航海と漁業の守護神。黙娘という宋代の官吏の娘、幼少時から神通力があって仙人から神となった。
- 碧霞元君(天仙娘々):万能のご利益がある女神という。出自は黄帝の娘であるとか、民間から仙人として修行を続けて神になったとも。
死後の世界について
儒教と道教とで神話はやや異なるが、共通する大きな特徴の一つは、死後の世界が不在なことである。
儒教では祖先霊として子孫を守ることになるが、
孔子の「怪力乱神を語らず」とあるように死後の世界の実態は曖昧だ。
また道教の目的は、長命を得て仙人となり、自らが神となることである。
それは上述の神話に人→仙人→神の出世があることからもわかる。
儒教より死後の世界はハッキリしており、有名なのは山東省の聖なる山、
泰山の地下にあるという。
キョンシーなど、祀られない死者の怪談も多い。
しかし死後の幸福を求める神話や信仰はほとんどない。
歴代の道教を保護した皇帝は、仙薬を飲んで自ら不老不死の仙人になろうとした。
民間でも三尸説にあるように罪科を避けて長命を願うことが信仰の中心であった。
中国神話における神の位置づけ
キリスト教をはじめとして死後の世界での幸福を信仰の中心とする宗教は多い。
しかし以上のように、中国神話の世界では、信仰の中心はむしろ長命であり、できれば不死の仙人となることである。
そして神とは人が仙人の修行の果てになる存在という側面が強い。
かくして神と人、仙人が入り混じったカオス状態としての中国神話が存在しているのである。
神一覧
天地開闢と三皇五帝
儒教の神々
三清
その他の道教の神々
妖怪一覧
こちらを参照。