目蒲線物語
めかませんものがたり
概要
目蒲線物語とは、1983年におおくぼ良太が歌ったコミックソングである。
- 作詞・作曲:おおくぼ良太
当時練馬の売れないバンドマンであったおおくぼが、たまたま目蒲線に乗った際に「ほかの電車はみんなキレイなのに目蒲線だけそのまんま」という状況に着目し、この曲を作るに至ったとインタビューで語っている。この曲のおかげでおおくぼが売れるようになり、知名度も上がったといわれている。
随所にネタが散りばめられているため、当時の事情を知る鉄道マニアが聴くだけでニヤニヤできること間違いない曲である。
タイトルからすると当たり障りのない曲のように思えるが、実際の内容は……
歌詞の内容
以降の項目はネタバレが含まれています。ネタバレが問題ない方のみご閲覧ください。
綺麗なシルバーメタリックのステンレスカーが走り回る父・東横線と母・田園都市線、そして新しく生まれた弟の新玉川線(現在の田園都市線渋谷-二子玉川間)とは違い、草色の醜い3両編成の目蒲線。
そんな彼に同じ境遇である兄の池上線は、本当の父親は東武東上線だということを打ち明ける。
また夢枕に現れた本当の母は赤羽線(現在の埼京線)という事実とともに、どうして池上線共々蒲田に棄てられたのかという衝撃の事実が語られる。それでも母に2両編成で頑張る世田谷線でも生きていると元気付けられ、出世して新幹線のレールの上を走ることを誓う目蒲線。
鉄オタ的な視点から…
この曲には歌われた当時の首都圏における鉄道の様子が描写されている。
まず目蒲線や池上線が「草色の醜い3両編成」や、「電車の中にゴキブリホイホイが置いてある」(ただし、そのような事実はないらしい)と揶揄されているが、これは当時使用されていた東急3000系(初代)電車があまりにも老朽化していたことを指している。目蒲線には青ガエルこと初代5000系電車の運用実績がある(池上線は五反田駅の有効長の都合で入線できなかった)が、池上線共々ほとんどの車両は3000系であったほか、地方私鉄へ譲渡の必要などから青ガエルの方が先に全廃されたため、不本意ながら平成初頭まで3000系が使用されていたくらいである。
なお、このような歌詞であるにもかかわらず、某曲とは異なり東急からの苦情は全くなく、逆にイベント時にはバックアップをしてくれたと、おおくぼは後のインタビューで語っている。
※ しかもジャケット写真のおおくぼの背後には、「海坊主」と呼ばれた東急3000系更新車が写り込んでいる。
本当の父とされる東武東上線については、「東京都内で一番陰気と言われている」、「駅を5つか6つ過ぎると全部埼玉」、「忘れ物にクワとスコップが1番多い」と揶揄される場面があるほか、大会社になった西武に対して「年金暮らし」と揶揄されている。これは当時の同線の印象が全体的にパッとしていないことに由来するものと考えられる(そのためか、この曲が発表される5年前には沿線で児童虐待が主題の映画が撮影されたほどである)。ゆえにこの曲を東武マニアが同席するカラオケで歌うと、印象を悪くする可能性があるため控えた方が吉である。
真偽は不明だが東武百貨店で放送を禁止されたという噂があるらしい。また、スポーツ新聞の誌面で東武が苦言を呈していたことがあったと、おおくぼが後のインタビューで語っている。
本当の母とされる赤羽線と転生先の南武線であるが、「余った電車でつなぎ合わされているから赤だの黄色だの緑だのってバランバラン」や「つぎはぎだらけの電車」と歌われており、これは当時運用されていた池袋電車区(現在の池袋運輸区)の103系電車や中原電車区(現在の鎌倉車両センター中原支所)の101系電車が他区所から転用された車両で組成されており、ゆえに塗装変更が間に合わず混色編成で運転されていた事実に基づいている。混色編成はこの2線区に限らず、総武線や常磐線、武蔵野線、横浜線などでも運用されており、常磐線のものに至っては当時放送されていた刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で犯行の動機のネタのひとつにされていたくらいである。
シングルのB面は、おおくぼが道行く人々に目蒲線の印象を尋ねる「実録目蒲線」。利用者からは当たり障りのないことを言われているが、他地域の人々には結構な言われようであり、最終的には「流山線(現在の流鉄)には勝っている」、「マニアは結構好きなんですよ」、「これからも緑色の3両編成で頑張ってほしい」と微妙なエールを送られている。
現代まで続く当楽曲の怨念…?
2024年現在、目蒲線は東横線のバイパスとしての整備目的や、東京メトロ南北線ならびに都営三田線との直通のため多摩川駅を境に目黒線と多摩川線へと分離されている。よって地下鉄南北線へ入れば、歌詞中で遊びに行きたいと漏らしていた赤坂へいつでも行けるようになった。
また本当の父とされた東武東上線は東京メトロ副都心線や東横線・新横浜線、本当の母とされた赤羽線は相鉄新横浜線を経由して目黒線の車両と顔を合わせるようになり、ここで晴れて親子が再会できるようになったと捉える向きもある。
この新横浜線への直通のおかげで、2024年3月から目黒線で使用している3020系電車1編成に東海道新幹線の塗装をイメージしたラッピングを施して走らせることとなり、新幹線のレールの上を走ることは叶わずとも自身が新幹線になるという事象が起きた。
目蒲線の後身のひとつである目黒線で使用される5080系電車は、6両から8両へ増結するにあたり、出自の異なる6000系(2代目)電車の余剰車を繋いだものがあり、当該の編成は新造された付随車を含めて内装のパターンが3種類も混在している。つまり本当の母・赤羽線のように、余った電車が繋がれたつぎはぎだらけのバラバラな電車が目黒線を走るという、因縁めいた出来事であった。加えて同線で使用される3000系(2代目)電車も8両化にあたって増結された中間車は、既存の車両と異なる仕様であり、やはりつぎはぎだらけのバラバラな電車が目黒線を走る格好となっている。
以上のことから、当楽曲を予言の曲とみる鉄道ファンも少なからず存在する。
派生作品
この歌には歌詞が異なる全国編も存在する。
大まかな話の流れは本編と同様であるが、本当の父と母が次のような設定となっている。