概要
世界では人気作品を数多く制作していた事で有名なアメリカのエンターテインメント企業、ディズニーことウォルト・ディズニー・カンパニー。
しかしディズニーは2020年前後辺りからポリティカル・コレクトネスを推し進める活動を積極的に行っており、人気作品のブラックウォッシュ(黒肌化)や思想を盛り込んだ作品制作などといった作品を用いた思想活動を行ったが、そのせいで人気や収入が低迷してしまった(ディズニーの子会社となった企業にも同様の事が起きている)。
そしてバウンディングインフォコミックの記事によると、ディズニープラスジャパンの責任者がインタビューにて「多くの人に見てもらうためには、人を傷つけたり、誤解を与えたりしない表現が当たり前のことであるべきだ」「それはネガティブなことではなく、おそらく進化です」と発言していたようであり、【- どんぐりこ - 海外の反応】の記事の反応コメントには、ディズニー幹部の発言に対する不安や不満を表すコメントが確認された。
ディズニープラスにおいて日本のアニメが多数配信され始めたのも、いずれは日本アニメにもポリコレを推し進めるある種の文化的侵略への布石ではないか、という声もある。実際にはまだ不明だが。
因みに内部告発と思しき情報の中には「ディズニー社内にはポリコレ思想の持ち主ばかり」「社内会議で同性愛シーンを沢山入れる案を出したり同性愛者の男性主人公が出る物語について語っていたりしていた」「ウィッシュは4か月で製作された」といったものがある。
どれもこれもあり得ないと思える内容だが、「ディズニーというマンパワーや影響力などといった様々な力がある大企業が批判や客離れを無視してここ数年ポリコレ的活動を行い続けていた」という根拠なり得る事実があるだけに否定し切る事が出来ない。(ただし、ウィッシュに関しては経験の浅い若手アニメーターが重要な部分の制作にまで関与するというこの上ない地獄絵図が形成された部分もあり、あくまで噂でしかないことは忘れてはいけない)
そんな中、James O'Keefe(ジェームズ・オキーフ)のX(旧Twitter)アカウントからの映像付きポストが注目を浴びた。
映像にはディズニーのメンバーらしき男性が映っており、その男性によるとディズニーは人種や見た目で採用などを決めているようだ。
このようなポストによって内部告発と思しき情報に信憑性が出る結果となり、批判の声が更に高まる要因となった。
傘下のポリコレ
ディズニーの傘下となった企業にもポリコレ活動が行われるようになっている。
ディズニーへの売却に伴いジョージ・ルーカスの手を離れたルーカスフィルムでは、就任した新たな社長が「強い女性像」の制作に拘る性格だったようで、「ルーカス・フィルムのストーリー担当者6名のうち、5名は女性」という女性優遇アピールをしており、監督や俳優の起用に加えて作品作りにも思想を入れている。
更に「『スター・ウォーズ』に飛び込む女性たちの多くは、さらに苦労していると思います。なぜなら、ファンベースが非常に男性支配的だからです。彼女たちは時々、極めて個人的なことで攻撃されてしまいます」といった具合に既存のファンを攻撃するコメントをインタビューで出していた。
これらのツイフェミと疑われそうなやり方は代表作であるスター・ウォーズののエピソード8以降の不評を招いており、エピソード4(最初に制作された作品)の編集をしていたマーシア・ルーカスは新社長になってからの作品を以下のように酷評していた。
「ルーク像も崩壊させ、ハン・ソロも殺した。ルーク・スカイウォーカーも殺してしまって、レイア姫はもういない」「そんな映画を毎年吐き出している」
これに関して「叩かれたのはアジア人だからでも女性だからでもなく、単純にそのキャラクターが足手纏いで活躍しておらず、足手まといだったから」という意見が出ている。
確かにそれへの対策を行わなかった(繰り返してしまった)ことも問題であり、「役者に非は無いのに演じたキャラクターの影響で誹謗中傷を受ける」という事例はディズニー傘下になる前の作品でも起こった事例でもあった。(この手の話はディズニー以外でもある上に、フェイスモデルが関わった作品に否定的な発言をした例もある)
しかしディズニー傘下になってからは上記の「男性支配的」を始めとした作品の批判や非難に対して反発する動きが目立っており、新社長の意向によって抜擢された監督が制作したエピソード1より100年前の宇宙を舞台にした『ザ・アコライト』でも作品の関係者による批判への反発があり、「役者に非はないのに」という事例とは違ったものとなっている。(主演女優はファンの非難を「極度に保守的な偏見や悪意、偏見、憎悪、憎しみに満ちた言葉」と称していた)
また、「ファンに問題がある」と言っているような主張は他の傘下企業でも確認されており、MARVELでも『マーベルズ』の監督が批判に反発していた。
尚、『ザ・アコライト』はフェミニズム活動家でもある女優を主演にし、監督と同性婚約している女優も役者に採用するなど役者起用の段階から思想が入っており、思想ばかりを考えて作られた為にストーリーの出来が悪く、不人気の末の打ち切りになった。(ジェダイの腐敗描写を評価する声もある)
因みに批判の声に対して思想の強さと作品の出来を分けて考えさせようとする声が出る事もあるが、作品というものは作る側(或いは作らせる側)の動機や感情あってのものであり、分けた所で「じゃあ何であんな出来になったんだ?」という疑問が生まれ、作る側を調べていく内に結局「やっぱり思想の強さが原因じゃないか」という結論に行き着いてしまう。
ポリコレと多様性
ポリコレ問題によって多様性とポリコレが同一視されがちになっているが、実を言うとポリコレと多様性は同じ意味ではない。
ポリコレことポリティカル・コレクトネスとは政治的正しさを意味しており、結局はその国その人にとっての正しさでしかない。
そして多様性というのは人には様々な種類や状況、状態の人が居る事を示す言葉なのだが、ポリコレ問題を起こしている企業や団体は、その多様性を理解しているとは考えられない行為ばかりしている。
ディズニーのような有名企業でさえ差別を減らすどころか差別を助長してしまっており、それこそ傘下となったルーカスフィルムでも「ディズニー傘下になってからはヒューマノイド以外の宇宙人があまり登場しない、登場してもすぐ退場」という出番的な差別を生み出している。
そしてポリコレ問題の何よりも酷い所は、問題を起こしている側が「自分たちは正しい事をしている」と本気で思い込んでいる所にある。
作品の質の悪さや無理やりな思想の導入を指摘されると「人種差別」や「憎悪」などとレッテルを貼って反発するなど、自分にとっての正しさを否定する者達に対する攻撃性が高く、それによって「多様性」や「包括性」などのような言葉も、ポリコレによって掲げられたせいでイメージの悪化などの悪循環を招いてしまっている。(例え発信したメッセージが正しいものであったとしても、やり方や動機が間違えていたらそのメッセージが伝わるわけがなく、寧ろ制作側の思想や事情が作品を通して伝わり客側の反感を買う結果を招く)
要するに多様性とポリコレを履き違えた、もしくは異なるものであるのにそれを混同した思想の強い者達による押し付けと言える。
加えて上記のように、人種、性別だけを意識し、人の中身、および人間以外の存在を一切考慮せずに抹消してしまっている以上、その多様性すらもむしろ狭い意味で解釈している可能性もある。
「人種主義が人類主義になっただけで他の生命体を蔑ろにしている以上根本的には何も変わっていない」といった声も存在する。
そもそも、アメリカの歴史を見ても人種差別は白人が無条件に高い地位にいるというような単純なものではなく、過去にはイギリス系(アングロサクソン)かつプロテスタントを信仰する者(WASP)が幅を効かせ、白人であってもカトリック系や、母国が植民地であり「二級市民」扱いであったアイルランド人(第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディもアイルランド系である)、移民の中でも低い扱いを受けたイタリア系アメリカ人のように差別を受ける立場の人もいた。
このように人種差別はもっと複雑であるという点を描けば、また評価も変わるかもしれないが、現状は期待できないだろう。
- ついでに言うとイルミネーション(企業)制作の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』で明らかにイタリア系アメリカ人として描かれているマリオを見て「さすがイルミネーションはディズニーと違ってポリコレに配慮してないぜ!」等と言ったら普通に勉強不足と突っ込まれるので注意しよう。
何せポリコレは大抵の場合、「自分が正しい」という自己肯定感と「『自分が正しい』と認められたい」という自己顕示欲が根っこにあり、マイノリティーと称されている人種や趣向を優遇させようとするのも『マイノリティーを立てる事が出来る自分』をアピールしているに過ぎない(要するに差別を消したいわけでもマイノリティーと言われる人達の事を想っているわけでもない)。
余談
因みに、ディズニー映画はアニメ映画の時点でだだでさえ原作の童話などから改変される事が多い。(「喉に詰まったリンゴが出て息を吹き返す→王子様のキスで起きる」や「泡になって消えた→そもそも泡にならなかった」など)
それを理由に『童話などの原作ファン』を引き合いに出して「ポリコレ云々はその通りだが改変された作品を楽しんできたくせに今更文句を言うな」と批判に対して反論する者もいる。
ただ作者ごとのバリエーションがある童話や初版以降の改変があった童話がある為、『原作ファン』を引き合いにした上記の反論の説得力が薄い。
また、「白人とも有色人種とも言っていない容姿に言及がなかった作品であれば、想像の一種としてまだ受け入れられる」との声もあるのだが、リメイク前があった作品に関してこの発言をする者も居る。
『実写版リトル・マーメイド』に関しては、リメイク元のイメージとかけ離れた主演女優(やその提案)に加え、高い歌唱力と十分とは言い難い演技力という極端に分かれた評価点と問題点(要は歌手としては素晴らしいが女優としてはちょっと…ということである)も合わさり「ミスキャスト」「二時間掛けたMV」などと言われ、フランダーら海洋生物たちもあまりにもリアルすぎる部分もまた、元のイメージとかけ離れている為に話題となった。
このように様々な事を理由にした意見が出ているのだが、そもそもの話、以前のディズニーなら評価された作品を犠牲にしてまで思想活動目的のリメイク作品を作るなんてやり方をして来なかった。
人気作を利用するにしても、思想に沿った特徴を持った現存キャラクターを主役にしたスピンオフ作品を作るなど色々とやり様があり、以前からある人気作のイメージを大きく捻じ曲げてまでリメイクする必要性はない。
尚、「やるならせめて童話や過去の映画のリメイクや映画化ではなく完全な新作でやってくれ」といった声も数多く存在するのだが、オリジナル作品に関しては思想を詰め込んだとして知られる『ストレンジ・ワールド』が批判されており(『ベイマックス(BigHero6)』のスタッフが製作しており親子三代の絆の物語なのだが単純にキャラクターが地味との声も。)、逆に他作品をオマージュした作品に関しても「全てのディズニー映画よりも昔のファンタジー世界が舞台」と公式が称した『ウィッシュ(ディズニー)』が設定された時代に合わない作風と批判されている。(これはスイーツ大河、スイーツ朝ドラに対する批判に近い。)
しかし政治的な意図を入れないと不満を出す者達も居るようで、黒人の女性がヒロインである『プリンセスと魔法のキス』という作品に対し、「人種差別について触れていない」などの批判が出ていた。
- 『プリンセスと魔法のキス』のテーマは「愛とお金」であり、黒人・未婚の若い女性・父親を亡くすという経済的に三重苦のヒロインの物語であり、自分のレストランを持つという夢のために「愛を見失うほど働き詰めだった」彼女が愛を見つめ直し夢も叶える、という作品であり、興行的にはやや苦戦したが今のところディズニー最後の2Dアニメーション映画であり評価も高い作品である。
また、『実写版白雪姫』の制作が発表されたのだが、リメイク元はおろかその元となった童話の白雪姫のイメージとも違う主演起用が行われた。
主演となったのはユーチューバーもやってるラテンアメリカ系の女優なのだが、その女優に関する問題が公開前から発生した。
先ずリメイク元へのリスペクトを欠いた言動や過去のSNSの投稿をした事が話題となって炎上。(『実写版リトルマーメイド』の主演女優は、作品や演じたキャラクターへの思い入れを語っていた)
更に政治的な話にも言及して炎上するなど白雪姫に関する事以外にも当作品の主演女優に関する問題も発生したが、それでも公開中止や主演交代は起きなかった。(公開延期はあった)
因みに「メイクやCGで白い肌にすることは決して不可能ではないかもしれない」という声が出ているが、当作品の主演女優の発言によれば名前の由来もリメイク元や元の童話と違うようだ。
(「雪のように白い肌」→「赤ん坊の頃に猛吹雪の中を生き延びた」)
で、実際に公式サイトで作品を見てみると「白雪姫が迷い混んだ森など背景を薄暗くすることで相対的に白雪姫の肌を白く見せている」ようだ。
2023年の11月にはボブ・アイガーCEOは、作品を通じて社会へメッセージを発信するとしつつも、「近年同社の作品やキャラクターがメッセージ性に偏り過ぎてエンタメ性を失い、クリエイターは自分たちの目的を見失っていた」とも発言していた。
しかし彼は元々ポリコレ推進派であり、ジョージ・ルーカスの脚本を却下して新社長と共に思想の入ったスターウォーズを生み出した人物でもある為、「今後に注目」と彼の発言に期待する声がある反面、「単なるリップサービスだ」と彼の発言を疑う声もあり、実際に思想の入った作品が2024年の6月4日に放送された為に信憑性が低くなっている。
この事に関して「制作時期の都合もあるかもしれない」という声が出ているものの、上記の『実写版白雪姫』を延長してでも公開しようとしているディズニーの様子から「やっぱり変わってないのでは」という疑いの声も出ている。
結局のところ
ポリコレに配慮していようがいまいが、観客からすれば「面白い作品は面白いし、つまらない作品はつまらない」のである。
ポリコレが批判されるようになったのも、単純にポリコレに傾倒した作る側によって内容や質などが滅茶苦茶な作品が多く出来たからでしかなく、作る側が「自分達以外の人も見る」「特定の思想を持たない人の方が多い」などを忘れて思想の押し出しを優先して作品を作っていれば、批判されるのは当然と言える。
草食動物と肉食動物が共存しているズートピアのように、あくまで世界観や物語に沿った要素として多様性などの言葉を組み込んだだけならば、そこまで非難される事はない。
ディズニーの過去の名作も、何十年も前の作品ともなれば「いかに面白くても現代の価値観から見ると古かったり、不適切な部分もある」のであり、
ディズニーの近年の作品が好きで楽しんでいる人に「ポリコレに毒された作品を楽しんでる」等と水を差す権利は誰にも無い。
それと同様に、特定の思想ばかりに傾倒した作品ともなれば「いかに「これが現代の価値観だ」と唱えても現代を生きている人から見て違和感を感じたり、不適切な部分も出る」のであり、
ディズニーの近年の作品に違和感を感じて批判する人に「人種差別的だ」や「現代の価値観にアップデート出来てない」等と圧をかける権利も誰にも無い。
(そもそも経済的影響が出る程に批判されてるものを「現代の価値観」と称するのは少し無理がある)
批判に対する反論
2022年から露骨なぐらいポリコレをやりだした為、「ディズニーは名作ばかり作ってたけどポリコレを意識し過ぎて興行的に爆死する作品が増えた!」という声が出ている。
これに対して興行的に振るわなかった作品は昔から一定数あったことや、ポリコレ以外にも他作品の影響を受けているであろう作品を引き合いに出した反論が出ている。
興行収入を用いた反論
上記の「ポリコレを意識し過ぎて興行的に爆死する作品が増えた」という言葉には「いや…ディズニーの歴史から見てポリコレ云々が言われる前から興行的に振るわなかった作品はいくらでもあるんだ…。」と反論が出ている。
ディズニーのクラシック的作品『眠れる森の美女』も当時興行収入が振るわなかった。6年の歳月と600万ドルの費用をかけたにもかかわらず興行収入は530万ドルにとどまったのである。
しかし1970年、1979年、1986年の再公開で人気が高まり、再評価された作品である。
今批判された作品、興行収入が振るわなかった作品でも未来で再評価されることはある。
ただ、それは結局のところ作品の質という底力があればの話である。
他作品からの影響を用いた反論
更に「ディズニーも別にポリコレだけを意識している訳ではない」という主張も出ており、2007年に出た実写とアニメの融合作品で、ディズニーがディズニーを超えるの宣伝文句で公開された『魔法にかけられて』を例に挙げて、「2001年に出たドリームワークスの『シュレック』から影響を受けている」と言う声が出ている。
何でも「ディズニー映画をおちょくる要素のある『シュレック』に対して、『魔法にかけられて』では冒頭でエドワード王子がシュレック似のトロルを倒すシーンがある」との事。(シュレックはオーガであるが。)
関連タグ
Get_woke,Go_broke:こちらの記事も参照。