概要
端的に訳すならば、「ポリコレは芸術を殺す」。
Twitterを買ってXに改名した事で有名なイーロン・マスクのポストの一つであり、元は『アサシンクリードシャドウズ』の批判に対する反応(リポスト)だった。(リンク)
しかし有名人の発言だからかこの言葉に反応する者は多く、特に『アサシン クリード シャドウズ』のエグゼティブプロデューサーは過剰に反応し、『PCGAMER』の記事にて「feeding hatred(憎しみを煽っている)」と名指しで非難していた。
またGamesRadar+の記事にはマインドフルネスのアプリを実践した事を語っていた事など、エグゼティブプロデューサーの発言や様子が細かく記されている。
企業に目を付けられる事となったイーロン・マスクだが、実は彼は元々「ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)」に否定的な事で知られており、SNSや記事などでポリコレ(で歪んだDEI)を非難している。
そして有名人故かポリコレ思想を持つ者には目を付けられており、彼の関与を仄めかす情報を出される事さえ嫌がる擁護派も居る。
因みに擁護派はこの事について「「弥助が黒人のゲイとして登場する」というXのデマポストにコメントした」と主張しているが、公式の人間が抑えきれずに大袈裟に反応したせいでデマと言い切れなくなってしまっている。
DEIとポリコレ
DEIとは「Diversity(多様性)Equity(公平性)& Inclusion(包括性)」の略称であり、要するに「人種や宗教、趣向に思想などが人それぞれに違う事を受け入れ、それでいて偏見も差別もないようにしよう」という一種の戒め。
本来は自分から心がけるものだが人に押し付ける者もおり、DEIを掲げておきながらマイノリティ優遇やマジョリティ差別などのようなDEIとは懸け離れたた行いをしだす者達が増加している。
これはポリコレこと「ポリティカル・コレクトネス」(和訳すると「政治的正しさ」)の影響によるもので、「政治的正しさ」の基盤となる特定の国や団体が持つ価値観や認識によってDEIに対する解釈のズレが生じている為に問題が発生しており、DEIを掲げながら差別行為をするという奇妙な思想が発生する事態となった。
そしてポリコレ思想の持ち主は「自分達は正しい事をしている」と思っている為、自分が行った差別や侮辱も「正しい事」と認識している為に自覚する事が出来ず、「自分達の正しさ」に連なるものが批判されると、批判意見やそれを言った者達を「悪」と認識し、徹底抗戦の姿勢を取る。
つまり「DEI kills art」の中の「DEI」というのは、ポリコレによって歪んだ「DEI」を指しており、「DEI kills art」は「ポリコレ(によるDEI)が芸術を殺す」という意味だと思われる。
そしてエグゼティブプロデューサーは自分たちが正しいと思った事を非難されたと感じたからこそ非難したのであり、UBIやその支持勢力もアサクリシャドウズを批判する者達を非難している。
尚、ポリコレことポリティカル・コレクトネスはロシア革命の後に誕生した社会主義の一種の語彙として登場したものであり、それ故に社会主義の思想を持つ人や過激な左派グループも使っていた。
そしてこの手の思想を持つ者達は「DEI」「中立的」「リベラル」などといった言葉も多用する為に「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まないとされる、中立的な表現や用語」というイメージがポリコレに根付いたのかもしれない。
因みにUBIはポリコレに積極的な企業だったようで、ホームページでも「Diversity(多様性)」と「Inclusion(包括性)」を強調している。
マスクがポリコレを憎む理由
実はマスクには子どもがいたのだが、医者が金銭目当てで無許可で性転換をさせられ、それ以来子どもとは断絶状態となっている。マスクは『子供は死んだ』と考えておりポリコレに対して激しい嫌悪感を抱いている。
『アサシン クリード シャドウズ』のポリコレ炎上について
今でこそ『アサシン クリード シャドウズ』に関する非難批判が多くなっている日本だが、初めはそこまで反応していなかった。
弥助という人物を主人公に起用した事を発表した事を批判していた人の多くは日本以外の国の人であり、当時の日本は寧ろ擁護派の方が多かった(この段階から史実とかけ離れている事に気付いて批判する日本人もいたが)。
この認識の違いはポリコレによる問題発生の頻度とその被害の差にあると思われる。
海外だとポリコレは深刻な問題となっており、ポリコレを押し進めている欧米の有名企業がある。
対して日本だとポリコレによる問題やその被害があまり目立っていない為、ポリコレへの危機感を持つ日本人が少ない。
日本が署名活動するまでに至ったのはUBIやそれを支持する者達による暴論や無自覚な差別に加え、「歴史の出来事を題材としたフィクション」と称する事も憚られる程の雑な歴史考証に基づいた公開映像やコンセプトアート(一部削除されている)、中国語らしき字幕(繁体字)が付いた日本向け映像の公開(現在は非公開)などのような日本やアジアを侮辱しているかのような行為がだて続けに判明したからであり、そうでなければ対岸の火事気分で擁護する日本人が多いままだった。
尚、当の元凶やその支持者は「自分達は正しい」と未だに思っているのか、謝罪しないどころか非難や暴論を続けていて手に負えないと思いきや、7月23日にUBIJapanから『アサシン クリード シャドウズ』開発チームより、日本コミュニティの皆様へという謝罪文らしきものが付属したポストが掲載された。
英語版の謝罪文も確認されており、こちらはXアカウントの『Assassin's Creed』のポスト「The Assassin's Creed Shadows team has a message for our Japanese community.」に出ている。
その内容はシャドウズをフィクションだとを強調する文が主体となっており、プロモーション素材に監修が行き届いてなかったという主張や関係者に責任はないとして批判を止めて欲しいという要求もしていた。
そして弥助を侍としている事については「議論の的になっていると認識している」という趣旨の発言をしつつもそれについての見解はせず、代わりに「奈緒江(日本人の忍者)も同じく重要人物であり~」という奈緒江を身代わりにして話題を逸らしているような文があった。
英語版も英語の文章ながら日本コミュニティ(Japanese community)に向けたものだった事から、日本に謝罪した事をアピールする目的で出した可能性がある。
そもそも過去の記事での発言に関して謝罪も撤回表明もしないまま「フィクション」という言葉を多用して誤魔化す開発陣のやり方は変わっておらず、もう謝罪文と呼べない内容となっている。
因みに関ケ原鉄砲隊の旗の無断使用に関しては本部からは謝罪せずに日本支部に謝罪させるという手法をとっている。
これに関しては「歴史の空白を私たちのストーリーで埋めた」というサムネイルの動画同様、他の国に向けて情報を発信する気はないようだ。(IGNの記事には出ていたが)
撤回表明も謝罪もされてない発言一例
- 「歴史に基づいたゲームであり、プレイヤーには歴史と戯れる機会を持ってほしいと思っています。この時代は非常に魅力的で称賛の対象であり、ポップカルチャーに多大な影響を与えています。16世紀の日本を忠実に再現にするため、著名な専門家の助けを得て、中世日本を再現するために必要なすべての情報を持っているかどうかを確認できたことは幸運でした。」
5月16日のファミ通の記事での歴史監修とワールドディレクターを務めるSTÉPHANIE-ANNE RUATTAの発言
弥助について
『アサシンクリードシャドウズ』の第一の間違いはポリコレの為に弥助を主人公として起用した事なのだが、その事に関して無頓着な日本人は意外にも多い。
これは歴史に興味を持ってない日本人が多いからと考えられ、産経新聞の記事によると歴史学者の呉座勇一曰く「受け取り手が常に歴史に興味を持っていれば、こういう設定のゲーム(弥助を主人公の1人にした『シャドウズ』)にはならなかったのではないか、と感じます。」との事。
先ず擁護派の意見の中に「歴代でもゲーム起動時に『このゲームは歴史上の出来事を題材としたフィクションであり〜』という前置きがあった」というものがあるが、寧ろ『歴史上の出来事を題材としたフィクション』という前置きを出して来たゲームだからこそ、弥助を出してはならなかった。
弥助は実在するという情報はある。しかし詳しい事は歴史的資料の中にはあまり書かれておらず、海外からの黒人侍説は憶測と願望だらけの本の内容が主な元ネタであるだけに信憑性も少ない。
イエズス会の記録に「相当長い時間戦った」とあるが詳しい内容は書かれていない(単に武器を振り回していただけの様子を「戦った」と記したのかもしれないし、寺の中に立てこもっている様子を「戦った」と記したのかもしれない)。
そもそも明智光秀の家臣に「恐るることなくその刀を差出せ」と言われてあっさり刀を渡した事や、明智光秀に「黒奴は動物で何も知らず、また日本人でもない故、これを殺さず」と言われて殺されずに南蛮寺に送られたという時点で武士じゃなかった可能性が高い。
つまり弥助は史実を絡めた作品との相性が悪い、『歴史的に不明瞭な存在』という事になる。
そして「史実や歴史的人物を踏まえて作ったフィクション」「歴史事実を絡めたフィクション」などと『史実との関連性を主張するゲーム』を世に出すのであれば、史実と絡めづらい『歴史的に不明瞭な存在』を出してはいけなかった為、UBIは序盤の段階から間違っていたと言える。
そもそも日本人でない人物を出したいのなら島原の乱や黒船来航など外国人が関わっていた出来事があった江戸時代を舞台にすれば良いのであり、その頃も侍と忍者は存在していたから日本人と外国人のダブル主人公も戦国を舞台にするより無難に出来た。
よって、弥助を主人公に起用する事を公式が拘っていた時点で『アサシンクリードシャドウズ』はポリコレ活動の一種である事は確かであり、その証拠を他ならぬUBIが出しており、公式ブログの記事で弥助の事を「 A real-life Samurai(実在の侍)」と称しており、CEOが「歴史上の黒人侍である弥助をモデルにした同ゲームの男性主人公に対する反発」に対する非難を6月28日のIGNの記事などで呼び掛けていた。
そしてお詫びの文章を見た限りでも弥助を侍とした事や主人公に起用した事に関する説明を一切していない辺り、開発陣は意地でも自分達の主張を曲げる気が無い様子である。
もし謝罪文らしきもので書かれていた通り、開発陣が「敬意を持った表現で戦国時代の日本を描くことに注力」してきたのなら、開発陣の中に「戦国時代の日本を舞台にした「アサシンクリード」の制作は長年の夢でした」という言葉を嘘偽りなく語れる「歴史表現に情熱を傾ける」人間が居たのなら、初めから複数の国の人々を怒らせる事態に発展してはいなかった。
関連タグ
弥助やないかい - 曲中にこの言葉を参考にしたと思わしき歌詞が入っている
パリ五輪の悲劇『ポリコレは文化を殺す』
7月27日のパリ五輪2024の開会式にて、自他国を馬鹿にしたような表現が確認された。
アナウンスが大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国を言い間違えただけに留まらず、首を落とされたマリーアントワネットに扮しているつもりの人が窓から登場してメタル調の音楽が流れたり、最後の晩餐モチーフの演出をポリコレ思想強めな出演者達で行ったり全身を青く塗られた男がテーブルの上に寝そべったりという、死者と歴史と宗教を同時に冒涜しているかのような行為の数々が国際的な大会の開会式で行われていた。
これらの演出に関して猛烈な批判が出ており、イーロン・マスクは最後の晩餐モチーフの演出に関して「This was extremely disrespectful to Christians(これはキリスト教徒に対する極めて無礼な行為である)」とポストしていた。
そして猛暑なのにエアコンなしや肉(動物性タンパク質)や炭水化物のない選手への食事に汚い事で有名なセーヌ川で泳がせるトライアスロンなど開会式後も劣悪な環境や競技の誤審が批判されている。
このような五輪のやらかしの影響により、アサクリシャドウズの炎上問題を「企業の問題」ではなく「国の問題」と認識する人が出ている。
パリ五輪後、パナソニック・TOYOTA・ブリヂストンなど多くの日本企業がスポンサーを降板。その一方で国際体操連盟会長の渡辺守成がIOC会長として立候補を表明している。