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概要編集

正式には「デ・ハビランド DH.98」。第二次大戦中にイギリスで運用された木製モノコック構造の双発爆撃機偵察機夜間戦闘機戦闘爆撃機など様々なバリエーションが作られ、いずれも高性能で「木製の驚異」と渾名された。木製のためレーダーに察知され難かったとも言われる。


軍用機の名前が「蚊」というのはイギリスらしいユーモアだが、創業者ジェフリー・デ・ハビランド卿の趣味が昆虫採集だったためか、デ・ハビランド社の航空機には昆虫の名前をつけたものが多い(モスホーネットドラゴンフライなど)。

元々、デ・ハビランド社(以下DH)は木製機体の航空機を得意とし、1934年のマックロバートソン・エアレースには木製双発機「コメット」で参加し優勝した。


開発編集

1930年代にイギリス空軍省から指名を受け、爆撃機の開発が開始された。この指名には、かねてから航空機用アルミが不足している事や、それまで活用されていなかった家具工場(木工所)の活用も考慮されていたという。

ただし、モスキートに使用されたスプルースやバルサなどの木材は練習機や銃床など他の用途でも需要があり、資源としての余裕はあまり無い状況だった。


自社の4発旅客機「アルバトロス」(DH.91)を元に、ロナルド・ビショップを設計主任として開発が始まった。

当初は「アルバトロス」を縮小して双発とし、機銃座を3つ設置する構想であったが、それでは平凡な性能しか期待できない。

試行錯誤の末、「重い銃座を降ろしてみよう」という事になり、一つ降ろすごとに性能は改善され、防御火器無しならば最新鋭戦闘機より高速な爆撃機となることが予想された。最終的な案では「約450kgの爆弾を積んで650km/hで2500km飛行できる」と計算された。


空軍省のキャンセルと自費開発編集

1938年10月、空軍省はこの構想を中止した。「防御火器を持たない木製爆撃機」が、本当に使い物になるのか疑問に感じたからだった。

しかし、DH社は自費での自費で開発を続行。

空軍会議委員ウィルフリッド・フリーマン空軍大将の支持を得、1939年12月29日、実物大模型の審査を受けRAFによる開発のバックアップを獲得。

1940年3月1日、空軍省から爆撃機型50機の注文を取り付けた。


1940年6月4日、連合軍のダンケルク撤退。これを受けて空軍省は航空機増産のため試作中止を命令。

翌7月には再開したが、発注は爆撃機20機と戦闘機30機、さらに偵察機の開発に変更された。


モスキートの各型編集

爆撃機型編集

1940年11月、バトル・オブ・ブリテン真っ只中に最初の試作機が完成した。機体表面を滑らかに整形できる事もあって空気抵抗が少なく、低空域でも優れた運動性能を発揮した。

これを改設計した量産型「B mk.IV」は500ポンド(約225kg)爆弾を機内に4個搭載し、主翼のパイロンにさらに2個、もしくは増槽を搭載できる。Mk.IVには先んじて開発されていた後述の「PR Mk.I」からの改修である「シリーズI」と完全新規生産である「シリーズII」が存在し、950ポンド(約430kg)対艦反跳爆弾「ハイボール」2発や4000ポンド(約2t)対地爆弾「クッキー」といった大型特殊爆弾を積み込むために爆弾槽が拡張されたタイプも存在する。

戦略爆撃隊のため目標に目印をつける嚮導爆撃、アミアン刑務所の外壁破壊やベルゲンのゲシュタポ指令本部爆撃などの精密爆撃、ゲーリング空軍元帥が「ドイツ国内に絶対に敵機を侵入させない」と演説している会場への嫌がらせ爆撃などで知られる。


戦闘機型編集

1941年5月、爆撃機型の機首キャノピーと爆弾槽を火器と弾倉に置き換えた戦闘機型の試作機が完成し、これを改修した「F MK.II」が生産された。武装はブローニング7.7mm機銃4丁とイスパノ・スイザ20mm機関砲4門をそれぞれ機首の中央と下方に集中して装備した。


もちろん、単発戦闘機と正面切って戦う訳にはいかない。半年後にはAI Mk.IV機上レーダーのアンテナを機首から生やした夜間戦闘機型「NF Mk.II」が完成している。「NF Mk.XII」以降は発射炎が夜戦時に視力を奪ってしまうことから機首の7.7mm機銃を撤去し、代わりに性能を向上させたAI Mk. VIIIレーダーをレドームで覆っている。

夜間戦闘機型は多くのドイツ夜間戦闘機を「返り討ち」にし、パイロットには好評、ドイツ空軍にとっては終戦まで「目の敵」であり続けた。ドイツ側も対抗して数々の夜間戦闘機を開発・生産したものの、最後まで決め手に欠けた。


爆弾槽の後部を爆撃機型から残した戦闘爆撃機型も活躍し、「FB Mk.VI」の活躍は有名である。


偵察機型編集

偵察機型は1941年6月10日に原型機が初飛行した。

シリーズとしては後発だが、モスキート最初の出撃は「PR Mk.I」による写真偵察であった。1941年9月20日の初出撃では迎撃してきた3機のBf109をやすやすと振り切った。爆撃機型よりさらに軽量化され、飛行性能には磨きがかかっている。

大戦末期にはMe262が登場して速度の優位は失われたが、排気タービン過給機を装備した高高度偵察機型の「PR Mk.32」が登場している。


偵察機型はビルマ戦線にも現れ、低速な日本軍機での撃墜は至難の業だったが、黒江保彦は1943年11月2日、僚機とともにわざと離れて高高度まで上昇し、急降下をかけて上空から機銃弾を浴びせ撃墜に成功した。


艦上雷撃機型編集

通称シーモスキート。FB Mk.VIをベースに海軍向けに艦載機として改設計が施された仕様。

発艦用のRATOや着艦用のアレスティングフック、主翼の折り畳み機構といった空母で運用するための改造の他、機種にはレドームを装備し、胴体下に魚雷を懸吊できるようになっている。

「TR Mk.33」の他にレーダーをASV Mk. XIIIに強化したもののたった6機の生産に終わった「TR Mk.37」が存在する。


国民党のモスキート編集

中華民国(国民党)は大戦後にモスキートを導入した。


当時、共産党に対し劣勢となっていた国民党が求めたのは「安価な攻撃機」だった。そこでカナダ製のモスキート(中古)が180機購入・輸入された。

しかし、木製機は高温多湿のアジアではただでさえ痛みが早く、ビルマでは機体が歪んだり、キノコが生えたりしたまま使用していた事例もあった。

その上何を考えたのか「船積みで輸入」としたため、波を被るなどして28機が失われた。また、全機がそれなりの「痛み」を抱えてしまい、訓練が終わるまでに(おそらく輸送中の分と合算で)50機以上が失われた。

生き残った機は実戦に投入されたものの、共産党はゲリラ的行動が主であり、有効な打撃を与えるには至らなかった。最終的には台湾へ撤退している。撤退したモスキートは全機が廃棄された。


類似した機体編集

ドイツ編集

モスキートの高性能に悩まされたドイツ空軍は、フォッケウルフ社に全木製高速双発戦闘機の設計を命じた。

その名もTa154『モスキート』。ってまんまかよ!

Bf110Ju88の速度性能に限界を感じ始めていたドイツ空軍期待の星だったが、爆撃で接着剤の工場が破壊され、代替品をテストしたところ腐食が激しく使い物にならないことが判明。量産化は断念された。


モスキート製造に使用された接着剤は大戦中厳重に秘匿され、ドイツもコピーに苦労した。

酢酸ビニル樹脂を使ったもので、現在では「木工用接着剤」として普及している。戦時中の最高機密が、現在誰でも簡単に購入できるのは感慨深いものである。


アルゼンチン編集

モスキートの評判は、第二次大戦中に中立を保ったアルゼンチン(極末期に枢軸国に宣戦布告)にも伝わっていた。

アルゼンチン航空技術研究所は、国産初の双発爆撃機を全木製とすることを決定する。1946年6月5日に初飛行したI.Ae.24カルクィンである。名前はマプチェ語で『イヌワシ』の意だが、あろうことか見た目がモスキートのまんまの機体だった。デ・ハビランド社に怒られなかったのだろうか?

カルクィンにはエンジンもモスキートと同じロールスロイス・マーリンを採用する予定だったが供給が不可能となり、実際には700馬力ほど低出力の空冷エンジン、P&W・R-1830-Gツインワスプが使用される事になった。このため、エンジン周りのデザインはモスキートと大きく異なっている。最高速度はモスキートより200km/h以上も遅い440km/hとなった。

マーリンを積めばモスキートと同程度の性能になることが見込まれていたが、ついに実現しなかった。

モスキートの下位互換と化したカルクィンだが、101機が生産され、1960年までアルゼンチン空軍の爆撃機として運用されたという。


登場作品編集

19シリーズ 僚機も「P-38」「震電」という変t…変わり種。

艦隊これくしょん:2022年8月31日に実装。


関連タグ編集

攻撃機 モスキート

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