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ナリタブラリアン

なりたぶらりあん

テレビ朝日系列のバラエティ番組『さんまのナンでもダービー』(1993~95年)の企画で競走の調教を受けたポニー。主戦であった森安輝正騎手についても取り上げる。
目次 [非表示]

プロフィール編集

誕生年1990年
性別牡馬セン馬
主戦騎手森安輝正

本名はオパール号という芦毛ポニー

放映当時に三冠馬となったナリタブライアンにあやかって本タグの名が付けられ、レース時はオマージュのモデル馬と同じくシャドーロール(ただし赤色のもの)を着用していた。


森安輝正騎手(旧姓及び現在は菅沼)編集

1979年にJRA騎手として稗田敏男厩舎所属でデビュー。

1986年に森安弘明調教師の厩舎に移籍・婿入りした関係で一度改姓。


重賞成績では、

  • 1982年東京障害特別(春)(イチエイボーイ号)
  • 1984年東京障害特別(秋)(テイオージャ号)
  • 1990年カブトヤマ記念(平地競走)(ヒダカハヤト号)

を制している。


2002年4月30日付で引退し、調教助手に転向した後に堀宣行厩舎に移籍している。

通算成績は平地・障害合計112勝で、地方交流時の5勝を合算すると117勝である。


最強伝説の幕開け編集

ごく普通のポニーだったオパール号は、後のすべての競走でタッグを組むこととなる森安輝正騎手によって見出された。

こいつだけモノが違う!」と感じた森安騎手は、サラブレッドの競走馬とほぼ同じレベルの調教を実施。

これにより見事覚醒したブラリアンは、最強ポニーへの道を歩き出した。


それでも、最初期のころはポニーらしいチョコチョコとした走りやポニーが一生懸命走っていてほほえましいといったかわいらしい姿だったのだが、回数を重ねるごとに走り方が変化し、スダホークと対決した番組後期のレースの頃になるとガチのギャロップになっていた。その走りは前肢の回転の速さから生じる掻き込むような推進力を武器にした第一線のダートホースの走法であった

一体どんな調教やったんだ森安騎手…。


後述の戦績の関係もあり、番組内のナレーションでも愛称として最強ポニーと呼ばれるようになっていたが、それが公認となったのはポニー限定のレースとなった第1回明石家優駿さんま記念(番組独自のレース)である。その回に当時競馬専門誌記者で現在も競馬評論家である井崎脩五郎氏が解説役として出演し、バドックの周回を見たコメントにて「どんな調教やったのコレ」、「ズルイよ、一頭だけ全然違うじゃん」と言わしめ、「世界最強のポニー」という二つ名も、この時井崎氏が「これはもう日本最強じゃなくて、世界最強のポニーですよ」というコメントに由来している。

この時の最終追い切りでは、馬なりで3ハロン96.1秒のタイムを叩き出している(ちなみに、このレースに共に出走したミスターチービーが馬なりで3ハロン124.9秒)。



戦績編集

番組内の独自GⅠレースで1995年に秋・年末と連覇を果たしている。

3連覇がかかった第3回明石家優駿さんま記念では4着に敗れるが、放映当時本業であるJRA騎手の方での騎乗機会に恵まれなかった森安騎手にとって、番組独自とはいえのGⅠタイトルをもたらしたのは事実である。


そのレースは敗れたものの、そもそも最強ポニーという地位を確立したのは番組後期になってからの話である。というのも、番組が始まったころ、異種混合レースも番組の目玉の一つであり、あくまで出走メンバーのポニーとしてブラリアンが登場し、そのメンバーのなかでは速そうな存在という位置付けであった。実際、デビュー初期のレースは対人戦や対自転車戦といった人力の相手がメインだった。だが、侮るなかれ、距離別のハンデ制による対決であったものの、井出らっきょといった身体能力の高さで注目されていた有名人やプロのスポーツ選手、さらには陸上メダリストも参加した回もあり、そこで実質最下位のような成績になっていない点でも評価すべき点である。また、サラブレッドアラブ系種道産子馬、ロバによる混合レースの回もあったが、そのサラブレットは1985年の日本ダービー菊花賞2着のGⅠ級の競走馬スダホークであり、ブラリアンはスダホークより前でゴールする結果を残している(ただ、スダホークは距離別ハンデの影響や調教とは無縁の生活を送っていた当時13歳という環境もあってか、ペースが安定せず、実質最下位となってしまい、スタジオのやり取りでもハンデ設定を間違えたかもしれないとコメントしているようにこの結果に関しては多少割り引く面もある)。


とはいえ、デビュー戦では3着、第2戦で勝利しており、成績も第1回明石家優駿さんま記念までに出走した10回中3勝を含む5回連対という結果であり、それを本来なら明らかに不利であろうポニーがスポーツ選手の俊足や自転車などのポニーより明らかに速く走る機械類と互角以上のレースを見せたのは称賛されるべきであろう。また、第2回明石家優駿さんま記念では別定(実際の競馬における成績に基づく重量ハンデ)を設けたポニー競馬では、第1回と比べメンバーレベルが向上しながらも勝利しており、最強ポニーを証明するかのような結果も残している。


それぞれの道を歩んだ名コンビ編集

ナリタブラリアンは1997年にお台場で開催されたJRAフェスティバル内のポニー競馬で久々に現役復帰し、豪快な追い込みで見事に制している。

そして18歳(正確な記録がないため15歳という説もある)で病気のため永眠。


森安騎手は堀厩舎の幹部となり、2015年度年度代表馬モーリスなどの調教に携わっている。


その他編集

Pixivではスマホゲームウマ娘プリティーダービー』の影響から、上述のポニーを(執筆者の想像や解釈で)擬人化(萌え擬人化ウマ娘化など)したイラストに本タグが付けられる事が多い。


関連項目編集

ポニー

競馬 さんまのナンでもダービー


ナリタブライアン

その名の由来となった三冠馬

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