概要
金沢高、東海大学を経て2004年ドラフト5位で千葉ロッテマリーンズに指名され入団。同期には久保康友、竹原直隆、青松敬鎔ら。
ルーキーイヤーの2005年は7月に一軍昇格を果たしている。
2006年は開幕こそ二軍だったがすぐに昇格。同日の西武ライオンズ戦に先発出場すると、西口文也からプロ初となる逆転満塁本塁打を放った。
2007年は規定打席未到達ながら打率3割をマーク。2008年は規定打席に到達して24本塁打をマーク。さらに満塁時は3本塁打を記録して勝負強さを見せつけた。
2009年は序盤スランプに陥るも、徐々に復調。6月11日には1イニングだけで3打席に入り、7月10日には多田野数人(北海道日本ハムファイターズ)のノーヒットノーランを9回2死で阻止するなどの活躍を見せた。
2010年は終盤に調子を著しく落とし、前年より成績を下げる。
翌2011年はシーズン全般を通して不振に陥り、後半は角中勝也や伊志嶺翔大の台頭を許してしまった。
2012年は一塁手にコンバート。この年も打撃不振に陥るなど復活は出来なかった。2013年より正式に内野手登録となる。
2016年は初めて一軍出場なしに終わり、オフに戦力外通告を受け退団。翌年に東京ヤクルトスワローズの入団テストを受け合格した。2017年は久しぶりに一軍の試合に出場。主に代打として起用され、7月26日の中日ドラゴンズ戦では10点ビハインドからの逆転サヨナラ勝ちとなる殊勲のサヨナラ本塁打を放っている。
2018年も一軍出場なしに終わり、オフに戦力外通告を受け退団。現役続行を模索していた彼は翌年に独立リーグ・BCリーグの福井ミラクルエレファンツへ入団した。
左膝半月板の損傷が完治していない中、痛み止めの使用でプレーを続けていたが、2019年8月、その半月板が断裂。9月に手術を受けたが、これ以上プレー続行不可能と判断し同年現役引退を決断した。
引退後、翌2020年シーズンより、ヤクルトの二軍打撃コーチを務めている。
その他
先述の多田野のノーヒットノーランを9回2アウトから阻止した(その後チームは負けたのに阻止したことを喜んでベンチではしゃぐ)ことから、なんj界隈では空気を読まず正論や否定を飛ばすキャラとして定着していた。
- 大松:「もちろんちゃんとしたファンもいるので所構わずなんjの大松ネタを持ち出すのはダメだぞ」