概要
1979年8月2日夜、千葉県君津市にある寺から3頭のベンガルトラが脱走する事件が発生した。「日本の寺なのにトラ!?」と思われるかもしれないが、これは実話である。
事件が発生した寺の名前は鹿野山神野寺(じんやじ)。この寺は動物好きの住職が管理していたため、まるで動物園のように様々な動物を飼育していた(主に干支にまつわる動物を飼育していたといわれている)。当時は(特別な許可を得ることなく)誰でも猛獣を飼育できたため、この寺ではトラが12頭も飼われていた。
脱走したトラは1歳の子トラであったが、それでも体長1.5mくらい・体重90〜100kgくらいで、人間が襲われたらひとたまりもないくらいの大きさであった。脱走した3頭のうち1頭はすぐに檻に戻ったが、他2頭は行方不明となったため、寺は警察に通報した。
警察は現地対策本部を設置。トラを一刻も早く発見して射殺すべく、機動隊や猟友会が召集された。現場は山間部であったため生け捕りは困難であり、人命を考慮すれば射殺もやむを得ない状況であった。トラの捜索は、警察官や消防団、猟友会員など延べ計約7,700人を動員して行われた。
寺の周辺は市街地であり、およそ80世帯・240人が暮らしていた。しかも当時は夏休み中であったために、多くの観光客がいた。「トラが逃げた」という有線放送を聞いた人々は当然のようにパニックに陥った。外出禁止令が出されたため、住民らは戸締りを厳重にするなどした。夏休みなのにトラに怯えて家から一歩も出られないという「恐怖の日々」がはじまったのである。
事件発生から2日後の8月4日、行方不明となった2頭のトラのうち1頭が、寺の近くの山中で発見され、猟友会メンバーによって射殺された(この時に射殺されたのはメスのトラであった)。 しかし、トラを射殺したハンターらに対して、全国の動物愛護団体などから「トラがかわいそうだから射殺するな」などと多数の苦情が寄せらたため、残る1頭の捜索は難航してしまった。
しかし、事件発生から26日後の8月28日朝、とある民家で飼われていたペットの犬が、トラに襲われて喰い殺されてしまった。山中で野生の本能が蘇ったトラが人間を襲うのは時間の問題となっていたのである。これをきっかけに結成された「トラ捜索選抜隊」が、同日正午過ぎにトラを発見し、射殺した(この時に射殺されたのはオスのトラであった)。
こうして、およそ1ヶ月間にもわたる大規模なトラ脱走事件は幕を閉じ、地獄のような日々を過ごしていた住民らは平穏な日常を取り戻した。
余談
- なぜトラが脱走したのかについて、現在も詳細な理由はわかっていない。何らかの原因で檻の扉が開いてしまっていたために脱走したことは明白なのだが、なぜ檻が開いたのかは不明なままとなっている。事件発生の前日に住職が見回った際には、檻はきちんと締まっていたという。しかし、何らかの拍子に扉が開いてしまったと推測されている。
- この事件をきっかけに、日本における危険動物の飼育に関する規制は大幅に強化された。環境省は各都道府県知事らに対して、危険動物の飼育・保管に関する条例を制定するよう指示するなどした。