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第二次紀州征伐とは天正13年(1585年)、羽柴秀吉紀伊の諸勢力を攻め、恭順させた戦いの事を指す。天正5年(1577年)に織田信長が紀州へと攻め入った戦いを第一次紀州征伐(信長の紀州攻め)と呼ばれるのに対し、こちらは第ニ次紀州征伐(秀吉の紀州攻め)と区別されたりする。


秀吉が紀州に矛先を向ける理由編集

先年に織田信雄徳川家康と争った小牧・長久手の戦いで雑賀衆と根来寺は土橋守重の遺児である土橋平丞を大将にして南から大坂城を攻め秀吉の出馬を遅らせるという成果を上げた。しかし、秀吉が信雄・家康相手に事実上の政治的勝利を収めると秀吉の矛先は大坂やのすぐ南に位置した紀伊北部の雑賀衆と根来寺に向けられた。


石山合戦終結後以降の紀州の内情編集

秀吉を迎え撃つ雑賀庄は石山合戦の終結後、内部分裂が発生し天正10年(1582年)1月に親織田派の鈴木重秀(孫一)が反織田派の領袖で舅でもある土橋守重(若大夫)を殺害した。重秀が織田家のバックアップを受けたことから雑賀庄の主導権争いは根来寺にまで飛び火し、重秀は織田信張らの援軍を得て重秀は根来寺の塔頭である有力国人の泉識坊を攻め滅ぼすなど紀伊北部の武力統一を果たしていた。

しかし、本能寺の変によって勢力図は一変。身の危険を察した重秀は信張の居城の岸和田城へ逃走したため根来寺と雑賀庄は和睦し、再び惣国と表現して良いだけの関係がもたらされる事になる。小牧・長久手の戦いで紀州諸勢力が反目したのはそうした背景があっ

た。


一触即発の膠着編集

紀州諸勢力は大坂城を狙って淡路島菅達長といった水軍勢力とも合流し一大勢力となった。秀吉は強い警戒心を抱き、紀州征伐へと繋がるのである。

趨勢は岸和田城が境界となり、以北は秀吉に対して従順の意を、以南は紀州諸勢力への与力を行うという形になる。紀州北部の勢力は名目の大将としてかつて紀伊守護だった畠山秋高の養子である畠山貞政を担ぎ上げ、紀南の有力勢力である湯川氏の湯河直春らも是に従軍、対して秀吉は天正十三年(1585年)三月、毛利輝元の叔父の小早川隆景に毛利水軍を派兵させる一方で、本能寺の変による先の混乱によって天正十一年七月、鷺森から貝塚へと移った本願寺法主・顕如を安堵する。


交戦編集

秀吉は自らを総大将として、先陣大将に羽柴秀次、水軍大将として小西行長を任じ進攻を3月20日に開始。軍勢は6万から10万とされる。対する紀州勢力の総軍勢は不明である。またこの戦いには重秀も豊臣勢として従軍している。

翌21日、秀次が千石堀城が落城させると、22日には細川忠興池田輝政積善寺城貝塚御坊の住職である卜半斎了珍の仲介で降伏開城させ、23日には高山右近中川秀政(清秀の嫡子)が沢城を降伏開城させ、進攻から僅か3日間で和泉南部は秀吉軍に呆気なく平定された。


この三城の早々な降伏は紀州勢にも予想外であったようで、23日に岸和田城を出発して根来寺に入った秀吉軍の前を阻む兵力は既に根来寺内には存在せず、根来寺は現存ずる国宝の多宝塔など一部の建築物を除いてその殆どが炎上、同時刻に粉河寺も炎上する。雑賀庄でも反織田勢力の旗頭であった平丞は前日の22日にすでに四国長宗我部元親を頼って船にて逃亡していた有様で、旗頭不在となった雑賀衆は全く統率が取れず、それどころか親秀吉派と反秀吉派が同士討ちを始める始末で「雑賀も内輪散々に成て自滅」(貝塚御座所日記)と称される結末に終わる。進攻の軍を興してわずか5日後の3月25日、秀吉は紀三井寺に参拝し後は残党の掃討を残すのみであった。


残党の掃討編集

雑賀衆の残党は太田左近の太田城に籠城しており、秀吉は隆景や宇喜多秀家らと共に太田城を攻めたが士気は高く簡単に落ちず備中高松城攻め以来となる水攻めを用いた。その傍ら、紀伊南部の湯川氏らを討伐する別働隊として行長や仙石秀久中村一氏らに指揮を任せ、3月末には貞政の居城の岩室城を落とし、4月10日には高野山も全面降伏させている。しかし、太田城はなかなか落ちず重秀が説得に向かうも不調に終わるが、22日になり蜂須賀正勝らの説得により太田城も降伏開城し紀州征伐は完結した。た。こうしてルイス・フロイスをして「大いなる共和国」と称された紀州は利権解体の為、羽柴秀長によって統治される事になるのである。


征伐後、羽柴秀吉は正一位関白の位と豊臣姓を授けられ豊臣秀吉が誕生することになる。


関連タグ編集

豊臣秀吉 雑賀衆

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