概要
講談社の少年漫画雑誌『コミックボンボン』誌上で『がんばれゴエモン』シリーズのコミカライズを約8年間担当した、1990年代の同誌を代表する漫画家。
本名は非公表で、30年近く愛用したペンネームは自身の出生地である北海道帯広市に由来する。
来歴
漫画家デビュー
1959年9月16日、北海道帯広市に生まれ、引越し先の神奈川県で育つ。小学生の頃から4コマ漫画を描くなどして漫画家の道を標榜し、1978年に日本デザイナー学院マンガ科に入学。翌年の卒業後にアニメ関係の会社で背景描画の業務に携わり、さらに翌年には画業に専念するべく埼玉県への移住と共に退社、独立する。
個人のイラストレーター業と並行して集英社の漫画雑誌『月刊少年ジャンプ』に持ち込みを繰り返しつつ賞を獲得し、22歳で迎えた1982年の1月増刊号で読み切り作品『星の王子さま』が掲載され、本格的に漫画家としてデビューする。
しかし、デビュー後しばらくはヒット作に恵まれずに苦しい生活を余儀無くされ、イラストレーター業と同人活動、他の漫画家のアシスタントで食い繋ぎながら別名義「本能猛」(ほんのう たける)を使ったアダルト漫画の執筆も手掛け、複数の出版社から単発または短期連載作品を発表する中、1989年に『月刊少年チャンピオン』で掲載された『ミラクル・ランジェリー』で待望の長期連載枠を射止めた。
『がんばれゴエモン』との出会い
かねてより交流があった漫画家のあろひろしの依頼を受けて『優&魅衣』のイメージレコード収録に参加した折、当時のコミックボンボンで機動戦士ガンダムのパロディ作品『爆笑戦士!SDガンダム』を執筆していた佐藤元と出会い、佐藤の紹介を受けて1990年6月30日に創刊された月刊姉妹誌『デラックスボンボン』でメンコを題材とした『バトルメンカー竜』の連載が始まる。3話完結の予定を変更して編集部が1年の長期連載に切り替えたが、この連載中にコミックボンボンで特集記事を組んだ『がんばれゴエモン ゆき姫救出絵巻』の漫画化に際して作画担当を打診され、デラックスボンボンでの連載終了を契機に以後8年、合計22巻に及ぶコミカライズに一貫して携わる転機が訪れた。
連載当初こそゲームの攻略情報を含んだ手引書としての側面を持ち合わせていたが、独自のギャグテイストを盛り込んだ展開が話題となって徐々に人気を獲得し、特に子供向け漫画雑誌としては異例とも言えるほどの際どいお色気描写を引っさげたヤエちゃんの存在によって不動の地位を確立する。コナミ(現・コナミデジタルエンタテインメント)からの信任も厚く、漫画上で展開された一部のオリジナル設定が公式に逆輸入される場合もあり、オリジナルストーリーを含めたコミカライズシリーズは9作品に及んだ。
コミカライズの作画担当から離れてからも、自身の趣味と知識を活かした『ガンプラ甲子園』やコミカライズシリーズ以上のお色気とスラップスティックを押し出した『やわらか忍法SOS』を執筆したが、2006年1月の誌面刷新に伴う作家陣及び作品の総入れ替え(通称「終焉の扉」)を機にコミックボンボンに別れを告げた。
急逝
2007年から東京工学院専門学校マンガ科講師を務め、後進の指導に当たるようになったものの、同年8月31日に脳梗塞を発症して入院する。この時に糖尿病の併発も発覚したが約1週間で退院し、低血糖などの後遺症と向き合いながら教壇に戻り、縁の深い北海道や講談社、さらには中央美術学園などで漫画専門の講師を歴任しつつ対外活動にも積極的に取り組む。
2009年に平成版ヤッターマンのコミカライズ『ヤッターマン デンゲキ大作戦』を執筆するが、実はサラリーマン時代にタイムボカンシリーズの1つ『ゼンダマン』で背景描画を担当していた経験があり、偶然にも再びタツノコプロ作品に携わった。
2013年3月には、かつての同僚が一堂に会した『コミックボンボン同窓会』に出席して元気な姿を披露し、同年11月には思い入れの深い『ゆき姫救出絵巻』を再編集した新装版の発刊に漕ぎ着けるなど精力的な活動を続けていたが、2014年8月2日の夕方頃に脳幹出血を発症して緊急入院する事態となり、翌8月3日午前7時40分に病没。享年54。神奈川県の相模原市に在住していた事が後に明かされている。
同年8月9日には、恒例となっていた山口県の徳山大学で開催されるオープンキャンパスへの参加を控え、その他にもコミカライズシリーズ新装版第2弾の準備も進められていた矢先の訃報となり、コミカライズシリーズ新装版の作業は続行不可能となってしまった。
なお、訃報は同氏の妻がツイッターで報告し、「申しわけありませんがお仕事の方は進められませんので、対応宜しくお願い致します」と関係者に向けた書き込みもしている。
人物
月刊少年ジャンプで『われらホビーズ ファミコンゼミナール』を連載していたあおきけいとはデビュー当時からの交流があり、前述のあろひろしや佐藤元、さらには一本木蛮など個性的な漫画家との繋がりを持つ。
総手描きの風潮が色濃く残っていた当時のアニメ業界で少なからず腕を磨いた経験から背景描画を最も得意とする一方、元々の本業であるイラストレーターの立場から3DCGを含むデジタル技術にも対応する柔軟性を備え、特に教壇に立って以降はこの2つを指導の材料として大いに役立てた。
自身が「教え子」と称した弟子の1人におとうさんがおり、ガンガンONLINE誌上で『うちの魔王かみませんよ』を執筆していた。
執筆作品一覧
未刊行作品については誌面掲載年に読み替えの事。
帯ひろ志名義
秋田書店
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
---|---|---|---|
1986 | スーパーエンジェル | 月刊少年チャンピオン | 1巻 |
1989 | ミラクル・ランジェリー | 月刊少年チャンピオン | 4巻 |
講談社
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
---|---|---|---|
1990 | バトルメンカー竜 | デラックスボンボン | 未刊行 |
1991 | がんばれゴエモン ゆき姫救出絵巻 | コミックボンボン | 3巻 |
1992 | がんばれゴエモン外伝2 天下の財宝編 | デラックスボンボン | 4巻 |
1993 | 新がんばれゴエモン 地獄編 | コミックボンボン | 2巻 |
1993 | がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス編 | コミックボンボン | 2巻 |
1995 | がんばれゴエモン3 獅子重禄兵衛のからくり卍固め | コミックボンボン | 3巻 |
1996 | がんばれゴエモン きらきら道中 僕がダンサーになった理由 | コミックボンボン | 3巻 |
1997 | がんばれゴエモンF(ふい~ばあ) | コミックボンボン | 1巻 |
1997 | がんばれゴエモン 宇宙海賊アコギング | コミックボンボン | 1巻 |
1998 | がんばれゴエモン ネオ桃山幕府のおどり | コミックボンボン | 3巻 |
1999 | ガンプラ甲子園 | コミックボンボン | 4巻 |
2004 | やわらか忍法SOS | コミックボンボン | 3巻 |
2013 | 新装版 がんばれゴエモン ゆき姫救出絵巻 | 再編集 | 1巻 |
ホーム社
発刊年 | 名称 | 掲載誌 | 総巻数 |
---|---|---|---|
2003 | その時歴史が動いた 戦国編(前田まつ) | 描き下ろし | 1巻 |
2003 | その時歴史が動いた 幕末編(陸奥宗光) | 描き下ろし | 1巻 |
2006 | その時歴史が動いた 危機突破編(薩摩藩士) | 描き下ろし | 1巻 |
2006 | その時歴史が動いた 経済立国編(鈴木商店) | 描き下ろし | 1巻 |
2007 | その時歴史が動いた 昭和史激動編(関東軍) | 描き下ろし | 1巻 |
2009 | ミラクル・ランジェリー(新装版) | 再編集+描き下ろし | 2巻 |
その他
発刊年 | 名称 | 出版社 | 総巻数 |
---|---|---|---|
1982 | 星の王子さま | 集英社 | 未刊行 |
2001 | ゾイドバトラー雷牙 | 小学館 | 3巻 |
2002 | にゃにゃんとコタロー! | 朝日学生新聞社 | 未刊行 |
2008 | ケータイ捜査官7 | アスキー・メディアワークス | 未刊行 |
2009 | ヤッターマン デンゲキ大作戦 | アスキー・メディアワークス | 2巻 |
2010 | マンガの壁 マンガ家に成るための心得ガイド | 銀杏社 | 1巻 |
2014 | お嬢様番長 | Amazon Services International | 1巻 |