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東松山市の編集履歴

2020-03-11 19:08:46 バージョン

東松山市

ひがしまつやまし

埼玉県のほぼ中央に位置する人口約9万人の市 熊谷市の隣 城下町だった

概要

埼玉県のほぼ中央にあり、県内の地域区分では西部地域(または川越比企地域)の北端に位置する。

多くの街道が集まる交通の要衝として、古くは鎌倉時代から松山城(現在の行政区域は比企郡吉見町に存在するが、松山城跡自体は当市と隣接している)の城下町、その後は松山陣屋の陣屋町として発展した比企地域の中心都市である。

1954年昭和29年)に埼玉県下12番目(現在の市の数は40市)、東上線沿線では川越市に次いで2番目の市として市制施行を行った。

池袋へ東上線で50-55分程度、TJライナーで45分という環境から東京のベッドタウンとなっている。

国際ウォーキング大会でアジア最大規模の「日本スリーデーマーチ」が開催される。

やきとりの街である。

気候は太平洋式気候の影響により、冬には秩父おろしが吹く。

人口は1990年初頭にピークに達し、2010年まで減り続けていたが高坂東地区の宅地開発等がありやや微増傾向にある。


地理

埼玉県のほぼ中央に位置しているため、埼玉のへそ宣言をしている。

埼玉県の東西南北端にある市町村の中心点それぞれを求め、それらをつないだ四角形の対角線の交点が市内唐子地区になることから、第25回日本スリーデーマーチにおいて坂本市長(当時)が宣言を行った。

「埼(さい)の彩(さい)の臍(さい)は東松山市」をキャッチコピーとして、各種事業を計画するとしている。

当市内を北緯36度線が通っている。関越自動車道の練馬起点36.4km地点(西本宿地内)にはその旨が書かれた標識が設置されており、アメリカ合衆国ラスベガスや、イランの首都テヘランと同緯度であることが表記されている。


地形

当市中央部から西部・南東部にかけて東松山台地、南部には高坂台地が広がり、両台地上には東武東上線の駅があることもあり市街地や住宅地が多いほか、北部は比企丘陵、南西部は岩殿丘陵の東端部に当たりその立地を活かした新興住宅団地が多いようである。また、都幾川や越辺川流域周辺は低地となっており田園風景が広がっているが、近年の土地区画整理事業により宅地化が進んでいる。


河川

都幾川:月田橋 - 鞍掛橋 - 神戸大橋 - 稲荷橋 -都幾川橋 - 唐子橋 - 東武東上線都幾川橋梁 - 東松山橋 - 新東松山橋 - 高野橋 - 早俣橋

越辺川:越辺川橋 - 樋の口橋 - 東武東上線越辺川橋梁 - 高坂橋 - 島田橋

市野川:境橋 - 弁天橋 - 市の川橋 - 市松橋 - 簗瀬橋 - 一本松橋 - 天神橋 - 市野川橋

九十九川:中里橋 - 平塚橋 - 九十九橋 - 谷川大橋 - 新九十九橋

滑川:上橋 - 中橋 - 野田橋 - 前川橋 - 松平橋 - 東松平橋 - 向台橋 - 不動橋

月中川

角川

和田吉野川

新江川

湖沼: 上沼、下沼、西明寺沼、天皇沼、関根沼、長戸呂沼、大沼、薬師寺沼


隣接している自治体との関係

当市の南側と接する市で、当市とは東上線国道407号関越自動車道などによって接続されており、また当市と接している部分が多いことから行き来は多く、国道407号の両市境界である高坂橋は道路混雑の激しい地点となっている。比企郡の町村市外で唯一、市立図書館が相互利用になるなど、比企地方以外の自治体の中では最も密接な関係がある。特に南部の地域との交流が深く、もっぱらの日常の生活圏とする人も多いのも特徴である。


当市の北側に接する市で、元々は北先端部にわずかに接しているのみだったが、大里郡大里町が熊谷市と合併したことによって接する部分が増えた。同じ鉄道路線沿線が生活圏になりやすい埼玉県では、当市北部の一部住民や熊谷市南部の一部住民(旧大里町地区は約半分の地域が東松山商圏に含まれていた)に行き来がある程度で当市と接していながら生活圏の結びつきは弱い。なお、当市と接している自治体の中では唯一、県北部地域に属する市である。


当市の北西と接する位置する町で、比企郡に属する。東武東上線や国道254号、埼玉県道47号深谷東松山線などによって接続されている武蔵丘陵森林公園を有する。特に南部を中心に都市化が進んでおり、当市との結びつきも強いとされる。


当市の東側と接する町で、比企郡に属する。鴻巣駅行きの路線バスや、埼玉県道27号東松山鴻巣線によって接続されており、東松山駅(メイン画像の背景)を利用する人が多く生活圏の結びつきが強い。松山城や吉見百穴は当市と吉見町の境にあり、当市と歴史上の接点も多い町である。


当市の南西と接する町で、比企郡に所属するが坂戸市との関係が深い。東部の鳩山ニュータウンは高坂駅への路線バスが走っている。


当市の南東と接する町で、比企郡に属するが川越市との関係が深い。国道254号や川越駅行きの路線バスによって接続されている。また当市から川越市へ車で行く場合には通過地となる。


当市の西側と接する町で、比企郡に属する。東武東上線や国道254号によって接続されている。買物などで当市との結びつきが強いとされてきたが、最近では国道254号バイパス沿いに郊外店が進出している。


  • その他

当市は、人口の10%以上が東京都内へ通勤通学する東京都市圏に属している。また、埼玉県が公表している県内市町村への通勤通学状況によれば、当市から東京都内以外に5%以上が通勤通学している市町村は川越市のみとなっている。


歴史

市制施行以前

現在の当市中心部にあたる地域は市制施行前まで松山町と呼ばれ、元を辿れば1333年に築城されたとされる松山城の城下町として発展した街である。城下町時代は松山城大手門に至る、鴻巣道沿いの現在の松本町から本町あたりが最も賑やかだったそうである。このあたり松山新宿と呼ばれていた一方、街道筋にあたる本町から材木町のあたりは松山本郷と呼ばれていた。また、現在の本町1丁目交差点は札の辻と呼ばれ高札場が設けられていた。


徳川家康が関東入国すると、松山城に松平家広が入城し松山藩を立藩した。近代的な城郭都市に発展する可能性も潜めていたが、家広の跡を継いだ松平忠頼が浜松城に移封となると松山城は廃城となった。廃城後、この地域は最終的に川越藩の藩領となり、城に近い松山新宿は次第に廃れ松山本郷が町の中心になっていったとされる。


江戸時代には、江戸幕府によって五街道と脇往還の整備が進められ、当市域でも、江戸から高坂を経て上州に至る川越・児玉往還(川越道)と、八王子から高坂・松山を経て日光に至る千人同心街道(日光脇往還道)が整備され、松山宿と高坂宿は宿場町として賑わった。


幕末になると、川越藩主である松平直克が前橋藩に移封となり、比企郡・高麗郡・埼玉郡周辺のおよそ6万石の統治を行うために、1867年に松山陣屋が設置され、武家やその関係者、家族らの移住によって人口が2倍近くに増えたとされている。しかし、幕末という事もあってわずか5年足らずで廃藩置県を迎える事になった。

明治時代になると、入間県、熊谷県を経て埼玉県域となり、市域では主に「士族授産」事業として旧松山陣屋士族が中心となって松山製糸工場(現:日本シルク)など工場銀行などの企業が起こされていった。また1923年には東上線が開通。市域には高坂駅・武州松山駅(現:東松山駅)の2つの駅が設置されるなど、交通網も整えられていった。


第二次世界大戦中には、唐子地区に陸軍松山飛行場が建設され、また吉見町の吉見百穴近辺では中島飛行機(現・富士重工業)の地下工場が建設され、工事関係者が多く集まるなど軍事色が濃い町ともなった。


市制施行以降

1954年7月1日に比企郡松山町・大岡村・唐子村・高坂村・野本村が合併し、東松山市となる。


市名の由来は、地域の中心である松山町から採られたものであり、当初は「松山市」とする予定であった。

松山市の呼称は先行して市制施行していた愛媛県松山市が既に使用していたものの、これ以前に福岡県遠賀郡若松町(現・福岡県北九州市若松区)が同名の福島県若松市(現・福島県会津若松市)がありながら、同一の市名である若松市を申請し認められた例があった。


1954年3月31日に広島県府中市、同年4月1日に東京都府中市が相次いで成立し、同一名の市が誕生していた。

こうした先行事例をふまえ、同名の「松山市」を市名として申請したが自治省はこれを認めず、愛媛県松山市に対して東の松山市という意味で「東松山市」とした。


この後、自治省により同一の市名は認可しない旨の通知がなされ、東久留米市東大和市(ともに東京都)、北広島市北海道)、京田辺市京都府)など同様の命名法による市名が出来る端緒となった。


このような経過もあってか、現在でも市民や周辺部の住民を中心に、当市を指すときに「松山」と呼ぶことが多いようである。


高度成長期になると東京のベッドタウンとして交通の便がよい東松山駅や高坂駅周辺を中心に人口が増加した。高坂ニュータウンや東松山マイタウンに代表されるような住宅団地が次々と造成された。


1954年9月13日 - 市章を制定する。

1975年8月8日には、関越自動車道川越IC-東松山IC間が開通し、交通・物流の拠点地点化が進む。


主な市の施設

岩鼻運動公園

東松山陸上競技場

東松山球場・中原球場

東松山テニス場

東松山サッカー場

東松山市環境センター


経済

企業

当市では、明治維新直後から旧松山陣屋士族によって松山製糸工場(現:日本シルク)に代表されるような企業が盛んに起こされた。重工業の進出は1940年(昭和15年)にヂーゼル機器(現:ボッシュ)が当市に同社初の工場を設置したことに始まる。現在においてもボッシュ東松山工場は同社の日本国内における中心的な工場で、この工場の誕生によって自動車機器(現:ボッシュに統合)などのボッシュ関連会社が市内に多く設置され、当市の経済に大きく関わることになった。また、1974年(昭和49年)には新郷地区に東松山工業団地が完成し、多くの工場が設置された。


また、当市は各地に向かう幹線道路が集まる場所であり、関越自動車道東松山インターチェンジを拠点として県北部や東部、北関東周辺にアクセスしやすい立地であるため、近年では物流拠点として開設する企業が目立っている。


本社を置く主な企業

伊田テクノス(ゼネコン

ジャパンカーゴ(すかいらーくグループ物流輸送)

丸武(スーパーマーケット

東松山ケーブルテレビ

野口精機

ダスキンくりはら(埼玉県内外にミスタードーナツ店を運営)

東松山交通

イグチ交通

観光タクシー

大内製作所

吉野プレス工場

栄電子工業

コスメパック

アスト(医療機器)

エム・エル・エス(松屋フーズグループ)

日本シルク

東上不動産

松栄ガス

大沢運送


拠点を置く主な企業

ボッシュ

東松山工場(旧:ゼクセル松山工場)

若松工場(旧:ゼクセル若松工場)

日本製紙ケミカル東松山事業所

大倉工業埼玉工場、東松山製版工場

ジオスター東松山工場

ヤマト運輸西埼玉主管支店、西埼玉ベース店

日本トランスシティ東松山営業所

ジェービーエス - ビックカメラグループ埼玉物流センター

ヱスビー食品東松山工場

すかいらーく東松山工場

ヒガシヤデリカ東松山工場

ブリヂストンフローテック東松山工場

オーネックス東松山工場

大口製本印刷東松山工場

マサル工業東松山工場


商業

当市は、古くから比企地方の中心都市として商業が栄えた土地で、スーパーマーケット「マミーマート」は当地で創業した八百清が発祥、また比企郡小川町で発祥した「ファッションセンターしまむら」のチェーン1号店や、「日本マクドナルド」の社員フランチャイズ1号店が当市にあったなど、当市からチェーン展開が始まった企業も多く東松山商圏を形成している。


しかし、鉄道によって結ばれている川越や池袋といった街の影響を受けやすく、また東松山駅周辺中心市街地の道路整備がなかなか進んでいないこともあり、国道407号東松山バイパス沿いを中心にロードサイド型店舗の集積が進んでいる。


映画館

かつて市内には「松山映画劇場」(松映)と「松山銀映劇場」(銀映)の2つの映画館があったが、銀映は1970年代には閉館した。一方の松映は1990年頃建て替えられ「東松山シネママリオン」と改称され、東武東上線沿線では池袋・川越と並んで従来型映画館が残る街であったが、シネコンブームの波に押され2004年頃に閉館してしまったため現在、市内に映画館はない。


電話番号

市外局番は市内全域が「0493」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(東松山MA)。収容局は東松山第二局、高坂局(都幾川以南)、胄山局(市ノ川以北)。


姉妹都市提携都市

ナイメーヘン市(オランダ王国ヘルダーラント州) 1996年7月17日姉妹都市提携


教育機関

大東文化大学

※その他、高坂駅を最寄駅として比企郡鳩山町に東京電機大学・山村学園短期大学、東松山駅を最寄駅として比企郡吉見町に武蔵丘短期大学が存在する。


交通

当市の中心となる東松山駅へは、池袋駅から東武東上線で約55分程(TJライナー利用で45分)である。地下鉄有楽町線副都心線が直通しているため、朝夕には渋谷駅新木場駅への直通電車も運行されている。また東上線の終点、寄居駅からJR八高線を乗り継ぎ高崎駅群馬県)へ1時間20分程度で行くことが出来る。その他、東松山駅へはJR高崎線の鴻巣駅(約20分)、熊谷駅(約50分)から路線バスが運行されている。

また、市内には関越自動車道の東松山インターチェンジがあり、練馬インターチェンジから39.4km。


名所・旧跡・観光スポットなど

埼玉県立こども動物自然公園

埼玉県平和資料館の展望塔

箭弓稲荷神社牡丹

高坂駅西口彫刻通り - 高田博厚の彫刻作品32点を野外展示

岩殿観音(板東十番札所)

史跡

松山陣屋跡

大谷瓦窯跡

青鳥城

高坂館跡

弁天沼(鳴かずの池)

その他

物見山 - ツツジの名所

東松山ぼたん園 - 箭弓稲荷神社牡丹園と並ぶボタンの名所

高坂駅 - 関東の駅百選選定駅

高坂ニュータウン - 都市景観100選選定地区


名物

味噌だれのやきとり(鶏肉の他に、豚肉(頭肉)も使用している)

東平地区の


祭事・催事・見ごろの花など

1月 元旦マラソン大会(1日/市役所裏)

2月 節分祭(3日/箭弓稲荷神社) 馬頭観音絵馬市(19日/妙安寺)

3月 火伏神事(初牛祭前日/箭弓稲荷神社) 初午祭(最初の午の日/箭弓稲荷神社)

東松山夢灯路(下旬~4月上旬/上沼、下沼公園周辺)

4月 古凍のお獅子さま(15日前後の日曜日)

ぼたん祭り(中旬~5月上旬/東松山ぼたん園・箭弓稲荷神社ぼたん園)

つつじ(中旬~下旬/物見山公園)

5月 ポピー(上旬~中旬/東松山市農林公園)

7月 初山祭(14日/浅間社・浅間社)

神戸の獅子舞(23・24日に近い土・日曜日/神戸神社)

東松山夏祭り、別名「お天王さま」(第四土日)

8月 高坂の天王さま(上旬/高坂神社)

七夕(上旬/松葉町商栄会・一番街)

東松山サンバカーニバル(最初の土曜日/ぼたん通り商店街)

よさこい陣屋祭り(上旬/まるひろ通り商店街)

ひがしまつやま花火大会(下旬/都幾川リバーサイドパーク)

9月 東平の梨狩り(上旬~)

10月 野田の獅子舞(14日に近い日曜/赤城神社)

上野本の獅子舞(15日に近い日曜/八幡神社)

下唐子の獅子舞(19日に近い日曜/唐子神社)

西本宿の獅子舞(最終土・日曜/浅間神社)

11月 日本スリーデーマーチ(3日前後の土日を含む3日間)

金谷の餅つき踊り(23日/金谷氷川神社)

12月 市内駅伝競走大会(上旬/東松山陸上競技場)

お酉さま(15日/松山神社)


公園

市内には大小の数多くの公園があり、人口1人あたりの公園面積は16.80m2と、埼玉県全体の平均である5.54m2を大幅に上回る、埼玉県内でも公園が多い市である。


主な出身有名人

山口敏夫(元衆議院議員・労働大臣)

だいたひかる(お笑いタレント

小久保知之進(元テレビ朝日アナウンサー

中澤志月(元静岡放送アナウンサー)

関口操(デコトラペイントの大手、関口工芸社長)

小峯隆幸(サッカー選手

青葉幸洋(サッカー選手)

西山優(ジャニーズJr.

齋藤佳子(チアリーダー


東松山を舞台をした作品

天の園(小説) - 打木村治著。唐子地区を舞台をした児童小説。

大地の園(小説) - 打木村治著。「天の園」の続編で主人公が進学した川越市がメイン舞台だが、当市も登場する。

キズモモ。(映画) - 2008年に公開された映画。高坂駅西口がロケ地になった。

冬のサクラ(ドラマ) - 東松山駅東口がロケ地となった。


その他

愛知県豊橋市と愛知県瀬戸市に、それぞれ「東松山町」という町名が存在するが、いずれも当市とは無関係。

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