ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

空手の編集履歴

2020-06-29 19:37:00 バージョン

空手

からて

武術の一種で、武道においては空手道と呼ばれる。日本の国技。

歴史

起源には諸説あるが、源流である琉球国時代の沖縄で発祥したとされる沖縄固有の拳法「手(ティー)」の時代から、かねてより琉球舞踊から発展して誕生したと考えられてきた。

近年はインド武術の一つカラリパヤットをルーツとするとも考えられており、本土の柔術などの日本武術を始め、中国拳法シラット古式ムエタイなどの東南アジア系の武術の影響も受けながら発展したとも言われる。

特に琉球シャム王国(タイ王国)やマラッカ王国(現:マレーシアシンガポールインドネシア)との交易が盛んであったため、強い影響を受けたとされる。


記録における最古の使い手は、16世紀の琉球の武術家・京阿波根実基(きょうあはごん じっき)とされている。

手(ティー)は大きく分けると、那覇で発祥した『那覇手』、首里で発祥した『首里手』、泊村で発祥した『泊手』の三系統がある。

また、琉球の武術家で、武士として薩摩へ渡り示現流を学んだ近代空手の始祖の一人である松村宗棍は、示現流を通じて日本武術の思想構造を取り入れ、首里手を体系づけ確立させたとされ、その過程で武器術の一つに彼が持ち込んだ剣術も取り入れられた。


その後、明治に入って沖縄の武術家たちが唐手の普及のために本土へ訪れ、現在の形に改良した上で“空手”と称した。そのため、本土空手は琉球唐手(手“ティー”)を源流にしているが、厳密には別の武術である。

本格的に普及していったのは大正時代以降だが、当時は兵士戦場白兵戦で使用する徒手格闘術が見直され始めていた時期であり、空手もその参考として、日本陸軍陸軍戸山学校などで指導されていた。


特徴

拳足による打撃技が主体となっているのが特徴とされるが、これは明治時代以降に本土へ伝来し、その際に他の武道と差別化を計るためなどの理由から打撃技に特化した形に改良されたためであり、それ以前は投げ技関節技武器術も併伝しており、現在でも流派によっては失われず、受け継がれ教えられている。

武器術には主にヌンチャクトンファーなどがあり、上述の理由などから近世以降は薩摩から伝来した示現流剣術も教えられた。


本土伝来後は長らく寸止めか軽く当てるライトコンタクトが主流だったが、極真空手を始めとしたフルコンタクト空手と呼ばれる流派や、防具付き空手などは直接打撃制ルールを採用している。

この他にも投げ技・関節技や武器術を取り入れ、本土伝来前の姿である総合武術への回帰を目指す流派も少数ではあるが存在する。


帯の色は入門者の白帯、四級以下は緑・黄・青・橙等、三級は茶・緑等、二級は茶・紫・灰等、一級は茶、初段以上は黒帯。

空手衣と柔道衣の外見は似ているが、一般に空手には掴み技が少ないため、空手衣の方が薄手である場合が多い。

また、空手の中でも伝統派と呼ばれる流派は袖が長め、フルコンタクト系の流派は短めの傾向が見られ、後者では半袖やノースリーブに近いものもある。

流派によってはをはく流派もある。


空手から派生した武術躰道格闘技テコンドーキックボクシングなどがある。


空手と仏教

昭和4年(1929年)に、松濤館流の開祖とされる船越義珍が師範を務める慶應義塾大学唐手研究会が機関誌において、般若心経における色即是空の思想にある空(くう)の概念から、それまで「唐手」と呼ばれていた名称を「空手」に改める発表をだしている。

空手の表記は、花城長茂が明治38年(1905年)よりすでに使用していたが、東京で空手表記に改められたことによって急速に空手表記が広まっていった。


これに先立ち、唐手研究会の幹事たちは日本禅宗の一つ臨済宗の中興の祖である、白隠禅師の子孫である曉道慧訓管長のいる鎌倉円覚寺へ招かれ、般若心経の講義を受けた後に、「空手という名称は、唐手術と呼ぶ従来の表現と少しも対立するものではなく、むしろ、それを包摂しつつ無限に展開することを意味するものである」という趣旨の講話を受けた。

船越師範も曉道慧訓師の前に参禅し、その指導の下で『唐手』『空手』と改めたという。


また、東洋武術は基本的に、仏教の主になどに近い要素が組み込まれているとされており(呼吸法など)、日本武道武術もその例外ではない。

その中でも空手は、型の稽古を1人でも行えることから、その傾向が強いとされている(坐禅なども基本は1人で行えるため)。


流派

伝統派空手

四大流派

宮城長順によって開かれた流派。 空手の源流『手(ティー)』の内、那覇で開かれた那覇手の達人東恩納寛量から学び、独自の研究を新たに加えたものとされる。極真会館の創始者である大山倍達も、元は剛柔流を学んでおり、極真空手は剛柔流の流れを組んでいる。


摩文仁賢和によって開かれた流派。源流『ティー』や他流派はもちろん、空手以外にも琉球古武術棒術釵術を学び、さらには神伝不動流などの本土の柔術も学んだ中で、全ての技術と精神を融合、融和させ創始した。


船越義珍によって事実上開かれた流派。生涯自らの流派を名乗らず「無流派主義」を貫いたが、船越の系統は一般に松濤館流と呼ばれ、船越はその開祖と見なされている。最初に本土に渡り開かれた流派とされ、船越が講道館柔道の創始者である嘉納治五郎と親しかったことから、天神真楊流起倒流などの柔術の技法も組み込まれているとされている。現代では自衛隊などでも指導され、世界中にも広まっており一番多く人々に学ばれている。


大塚博紀によって開かれた流派。神道揚心流、及び為我流の柔術を大成した上で、松濤館流の開祖とされる船越義珍に師事して空手を学び、本部朝基・摩文仁賢和からも学んだ。さらにそれに新陰流等の古流剣術の体捌きを加えて創始され、空手と同時に独自に誕生した和道流柔術拳法も指導されており、日本古武道協会にも加盟している。


他有名流派


フルコンタクト系

  • 極真会館

大山倍達により創設。

1994年に館長没後極真会館そのものが分裂していく。


極真会館から派生、独立した主な団体

国際大山空手道連盟、芦原会館、正道会館、士道館、円心会館、佐藤塾、誠道塾、逆真会館、勇志会、牙城會館、真武会、大道塾(空道)


  • 白蓮会館

少林寺拳法の流れを汲む。


  • 士衛塾

日本傳拳法の流れを汲む。


  • 空手道拳道会

中村日出夫が設立。


また、新空手、グローブ空手、禅道会、日本空手道無門会等、団体によっては、「空手」と称しながらも、手技はボクシング、足技はキックボクシングの影響を強く受けているところもある。

また、躰道大道塾空道は空手から派生して独立した武道になっている。

(躰道は創始者が始めた「玄制流空手道」を基に体系化独立させた。大道塾空道は創始者が柔道と極真空手の経験者で、極真空手に投げ技・寝技を取り入れて創設。)


有名な空手家

詳細⇒空手家


関連イラスト

空手とかいいよね


ノーヴェ 集中


関連動画

『日本空手協会』



関連タグ

日本 武術 空手道

柔道 合気道 相撲

三戦 廻し受け 空手少女

K-1 パンチ 蹴り チョップ

ヌンチャク トンファー 道着胴着


内田真礼某ゲームとあるキャラが好きで一時期空手を習っていた)


外部リンク

問題を報告

0/3000

編集可能な部分に問題がある場合について 記事本文などに問題がある場合、ご自身での調整をお願いいたします。
問題のある行動が繰り返される場合、対象ユーザーのプロフィールページ内の「問題を報告」からご連絡ください。

報告を送信しました

見出し単位で編集できるようになりました