概要
「表現の自由」とは、日本国憲法第21条第1項および第2項において規定されている国民の権利(日本国内においては日本国民のみならず外国人にも同様に保証されていると解される)である。
憲法上の概念
憲法において「政府から表現活動を拘束されない権利」、すなわち表現の自由を規定する背景には「言論活動を通じて自己の人格を形成していくこと」および「政治的意思決定に関与していくという民主政に不可欠なこと」があげられ、精神的自由権の一種とも言え、この概念は近代憲法の根幹をなしている。
民主主義と表現の自由
非民主的な国家では、この自由の制限が大きい。たとえば中華人民共和国においては、政府が各種メディアの検閲を行っており、中国共産党にとって都合の悪い情報へのアクセスが遮断される場合がある。
民主主義国家においては、政治上の意思決定は最終的に国民や市民によって行われるが、適切な意思決定をするにはその前提として十分な情報とそれに基づく議論が必要となる。情報を得て議論をするためには表現の自由は必要不可欠な権利であり、いわば表現の自由は民主主義の根幹をなしている。しかし、民主国家でも国家による表現の自由への介入や検閲行為が全くないわけではない。アメリカ合衆国やイギリスなど西側諸国においても、例を挙げると近年における児童ポルノの取り締まり、テロ対策やプライバシーの保護を名目にメディアに対する検閲や表現規制が導入されつつある。
アメリカ合衆国等に比べ表現者のやりたい放題に寛容な雰囲気があると言われている日本でも、刑法175条でわいせつな表現が規制されており、エロ漫画などは警察から「お目こぼし」されているに過ぎない。特に近年は特にロリ系を中心に風当たりが強くなりつつあり、台湾では無修正版が売られているポルノ同人誌でも、日本の即売会では警察からのお達しにより性器の修正が強いられるなど、既に(二次元においてすらも)「最も性表現に寛容な国」とは言えなくなっている。さらに、表現の自由と密接な関係があるとされる報道の自由ランキングにおいて、日本は2010年には最高の11位を記録した後毎年ランクを落とし、2020年に発表されたランキングでは66位まで下がった。ただしこのランキングの下がった原因は政府による圧力というよりは日本の報道界自体の問題だという指摘もある。(参照)
そして日本では侮辱罪の罰則が強化されたが、侮辱の定義次第では政治家に対する批判すら罪に問われかねないと懸念されている。
以上のように、現代の世界で進んでいる表現規制強化の流れは、単にサブカルチャーの危機に留まらず、民主主義の危機・世界規模での管理社会化の一環であると言えるかもしれない。
また近年ではポリティカル・コレクトネス(PC)による表現規制も問題となっている。ジェンダーや人種、宗教などに(過剰なまでに)配慮する事を強要するような風潮ができており欧米でそれが顕著である。たとえばアメリカのアカデミー賞の作品賞の選考基準にアジア人や黒人、スタッフにLGBTQなどを使う事を定めている。ただし、絶対に満たさなくてはならないのは四項目のうちの少なくとも二つ、であり割と条件は緩めである(米アカデミー賞、作品賞に「多様性」の条件設置へ)。
こうした指向性の背景には、アメリカ合衆国において、マジョリティであるシスジェンダーの異性愛者白人層にチャンスが偏る状況をテコ入れなしで解決できなかったという背景がある。例えばケイト・ウィンスレットはキャリアに悪影響が出てしまう為にカミングアウトできないでいるゲイの俳優を四人は知っていると語っている(ケイト・ウィンスレット、ゲイの俳優たちはキャリアへの影響を恐れカミングアウトできていないと明かす)。
国家が規制するわけではないが、権力を持つ民間団体による規制や企業独自による自主規制が進んでおり表現の自由の侵害と言われている。
一方で、保守的なイスラム教国家等では、性的少数者への配慮が盛り込まれたPC的な表現が規制の対象とされている。
派生概念
この表現の自由から各種自由および権利が派生している。ここではそれらの項目に関して解説を行う。
報道と言論の自由
報道の自由は報道機関がさまざまな表現を使って国民に情報を伝える自由のこと。簡単に説明すると権力者以外が政治への批判や政治家・社会情勢の風刺などを行うことを認めるということであり、言論の自由については当該項目を参照されたし、双方ともに特定秘密保護法による制限が懸念されている。
創作の自由
芸術等の創作的活動に対してもその自由が幅広く認められるべきであるとされており、創作的活動の中には政治的、社会的メッセージを明示的にあるいは暗に示した作品は数多く、芸術自体としても高い評価を受けた作品も少なくない一方、芸術的創作性の希薄なもの、例えば単にわいせつなだけのものや犯罪の手法、あるいは著作権侵害等といったものに対して表現・創作の自由が認められるべきかどうかについては議論の対象となっており、しばしば裁判で争われることがある。
広告・宣伝の自由
商品や製品などを販売して利益を得ることを目的とする広告・宣伝の自由についても基本的に表現の自由の一つとして保障されるものとされているものの、虚偽や過剰な表現等により不当に優等なものであると見せる広告等は認められていない。
知る権利
国民が生きていくために重要なことを知ることを認める権利のことであり、実際には国家・行政が行う政策や災害に関することを国民が知る権利であり、個人のプライバシーを侵害してもいいということではない。
表現の自由をめぐる問題
この自由に関する問題については、pixivユーザーにとって身近なところでは性や暴力の表現等に関するものがあると思われ、具体的には少女向けコミックでの性的描写(ティーンズラブやボーイズラブ)、児童ポルノ関連などがあげられる。
表現の自由と国家
2018年3月に出版されたコロコロコミックに掲載されていた漫画「やりすぎ!!!イタズラくん」がモンゴル大使館に抗議されたことで起こった自主回収騒動も、表現の自由を考える上で重大な問題を投げかけている。
あくまで形の上では出版元である小学館による「自主回収」ということになっているが、そこに至るまでにあったという日本の外務省からの圧力が問題視されたのだ。「表現の自由」は、公権力が表現に関して干渉しないという前提の上で成り立っている。故に、前述したような圧力は本来あってはならないことであるのだが、結果として国による事後検閲のような形になってしまった。加えて、小学館への抗議の発端がモンゴル大使館だったことにより、「日本政府が外圧に屈した」という形になってしまった。仮にこの事例が前例として機能してしまった場合、外国の歴史や伝承、民族や宗教などを題材とした表現物は海外からの外圧によって軒並み規制されることにもなりかねない。このようなことは「表現の自由」を有する独立した国としてはあってはならないことである。
pixivにおける表現・創作の自由
創作物投稿サイトであるこのpixivではこの「創作の自由」が最も遵守されるべきものであり、利用者は規約を守っている限り、オリジナルの作品(イラスト、漫画、小説問わず)やなにがしかの版権作品を題材にした二次創作作品を問わず、自由に書き起こし、それを投稿して良い場所ということになっている。
しかしpixivの作品投稿に関する規約に反しているものは他者からコメ欄で批判されたり、運営側によって作品が削除されたりするだけでなく、最悪自身のアカウント削除にもつながったりするので、pixivに投稿するための作品を制作する際には常にそこの所を気をつけるべきである。
pixivの作品投稿における規約およびガイドライン
ガイドラインでは「人種、信条、職業、性別、宗教などを不当に差別して表現しているもの」「性表現をいたずらに歪んだ状態で表現しているもの」などが禁じられており、これらに該当しているのではないかと疑われる作品は少なくないが、運営は比較的寛容である。ただ、閲覧者らからそんな創作内容を咎められたり、運営による作品削除を受けたからといってそれを感情的に「表現の自由が侵害された」なんて騒ぎ立てるのはナンセンスでしかないことは覚えておこう。また、「明らかに幼児を対象とした性的表現」も禁じられているが、「隠蔽処理(モザイク等)が施されている場合は、社会通念上許される範囲でこの限りではありません」との但し書きがあり、局部などを修正する限りはそういった表現も許容されている。
そのほか、見る人にとって快不快が別れがちな特定の属性や要素(CP、腐、百合、R-18、グロ、ヘイト創作、ネタバレなど)を含んだ作品の投稿に関しては、投稿者側はサムネフィルターやクッションとなるイラストなどを設定して閲覧者がそれを直視しないようにしたり、あるいは明確にそれらの要素があることを示すタグを付けて閲覧者が検索避けしやすいように配慮するのが望ましい。閲覧者側もそれを見たくないのなら自身のユーザー設定ページからR-18およびR-18Gを検索一覧から外す設定を付けるなどの自己対策もした方が良い。
ピクシブ百科事典における表現の自由
ピクシブ百科事典(ピク百)は、Wikipediaなどとは異なり、記事内で編集者の主観や個人的見聞を発表することが許されている。pixivサービス共通で誹謗中傷や個人情報の暴露、商業宣伝、差別的表現を禁ずる規約こそあるものの、その他は放任に近い状態であり、編集者の意見やユーモアなどの表現の場として機能している。
一方で、それは見ようによっては独善的な編集であったり編集者の偏見が込められた記述が多いということも意味する。場合によっては他のユーザーから荒らし記事の烙印を押され、白紙化を含めた編集合戦にも発展しうるため、記事を制作する際にはただの自己満足で終わらせず、見る人のことを考えたものにすることを心がけた方が良いだろう(詳細はピクシブ百科事典の記事を参照)。