エアグルーヴ
えあぐるーゔ
概要
1990年代後半に日本中央競馬会(JRA)で活躍した牝の競走馬・繁殖牝馬(1993年4月6日~2013年4月23日)。
凱旋門賞(1988年)優勝馬のトニービンを父、優駿牝馬(1983年)優勝馬のダイナカールを母に持つ良血で、生まれた時から既にバランスの取れた馬体であり、伊藤雄二調教師は一目ぼれしたという。
主な勝ち鞍は優駿牝馬(1996年)、天皇賞(秋)(1997年)など。牡馬相手に互角以上に渡り合ったことから「女帝」と称された。
繁殖成績も優秀で、母系では当分トニービンの血が絶える事はないだろうと言われる。
プロフィール
※実在した競走馬のため、詳細は専門の資料等を参照して頂きたい。
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ヒーロー列伝No.44
激しく、美しく、燃えさかれ
穏やかにして激しく、優雅にして気丈。圧勝、熱発。オークス母子制覇、秋の不運。
常に自らの限界まで走り抜く天才少女は、その純粋さゆえに勝利と消耗を繰り返した。
5歳夏、樫の女王は逞しさを携えて甦る。そして燃ゆる秋、牝馬17年ぶりの盾奪取。
美しく、強く、名馬だけが持つ風格をも漂わせて、エアグルーヴは最強馬の歴史を彩ってゆく。
名馬の肖像2018年オークス
ハートに火をつけて
その強さと美しさに
嫉妬した魔女は
いくつもの罠を仕掛け
次々と刺客を送り込んで
少女を苦しめた。
勝ち気な少女は
心を燃え上がらせて
まるで楽しむかのように
困難をひとつずつ
克服していくのだった。
略歴
※年齢は旧馬齢表記(現在の表記より+1歳)
当歳(1993年)
4月6日、社台ファーム早来(現在のノーザンファーム)で誕生。翌日、仔馬を見にきた伊藤雄二調教師は飽きもせず1時間半も眺めており、牧場長に「ちんちん付いとったらダービー馬やけどな」と感想を述べた。
3歳(1995年)
5月、伊藤雄二厩舎に入厩。伊藤はスタッフに対し「完成期はまだ先、古馬になってからだから、そこまでは目一杯やらないように」と命じた。
7月8日、武豊を鞍上に札幌競馬場でデビューし、マイネルランサムの2着。
7月30日、2戦目の新馬戦で勝ち上がる。
10月29日、いちょうステークスに出走。最終直線で前を塞がれたが立て直して1着。
12月3日、阪神3歳牝馬ステークス(現在の阪神ジュベナイルフィリーズ)では武豊がイブキパーシヴに騎乗したため、鞍上にたまたま来日していたマイケル・キネーンを迎えた。レースではビワハイジの2着に敗れた。
4歳(1996年)
3月2日、チューリップ賞から始動。武豊が中山競馬場で騎乗しており、オリビエ・ペリエを鞍上に迎えた。レースでは1番人気のビワハイジを5馬身突き放して圧勝。
4月、桜花賞の本命と目されていたが、レース直前の熱発のため出走回避となった。
5月26日、エアグルーヴはステップレースを使わず優駿牝馬に出走。単勝2.5倍の1番人気。先行から直線で抜け出し1着。ダイナカールとの母子オークス制覇を達成した。
10月20日、秋華賞に出走。1番人気だったが調整失敗に加え、パドックでカメラのフラッシュを浴びてパニックとなり、レースでも手応えが悪く10着に終わる。レース後に骨折が判明し休養に入る。
5歳(1997年)
6月22日、マーメイドステークスで復帰し、1番人気で1着。
8月17日、札幌記念に1番人気で出走し1着。
10月26日、天皇賞(秋)に2番人気で出走。逃げるサイレンススズカを残り200mでバブルガムフェローが捉えるがエアグルーヴも外から襲い掛かり、マッチレースの末、エアグルーヴがクビ差先着。プリティキャスト以来17年ぶりの牝馬による天皇賞優勝となった。
11月23日、ジャパンカップでは単勝4.0倍の2番人気。残り200mでエアグルーヴが先頭に立つが、強烈な追い込みを見せたピルサドスキーにクビ差でかわされ2着。鞍上の武豊は「あれだけ完璧な騎乗をしたエアグルーヴを差す馬が世界にいるなんて」と絶句した。
12月21日、有馬記念ではチューリップ賞以来2度目のコンビとなるペリエが騎乗。単勝3.8倍の2番人気。直線でエアグルーヴが先頭に立つがシルクジャスティスに差し切られて3着となる。
6歳(1998年)
1月、1997年度のJRA賞最優秀4歳以上牝馬、トウメイ以来牝馬26年ぶりの年度代表馬を受賞。GⅠ2勝のサニーブライアン、メジロドーベル、タイキシャトルを抑えての受賞となった。1997年限りで引退の予定だったが、もう1年現役を続けることとなる。
4月5日、産経大阪杯(現在の大阪杯)で始動。1番人気で1着。
6月21日、鳴尾記念で単勝1.3倍の1番人気も、不良馬場がたたりサンライズフラッグから3馬身遅の2着。
7月12日、宝塚記念に2番人気で出走。サイレンススズカが逃げ切ってGⅠ初勝利となり、エアグルーヴは3着。
8月23日、札幌記念に1番人気で出走し1着。
11月15日、横山典弘を鞍上にエリザベス女王杯に出走。単勝1.4倍の1番人気だったがメジロドーベルの3着に敗れた。
11月29日、横山典弘を鞍上にジャパンカップに3番人気で出走。エルコンドルパサーの2着に敗れた。
12月27日、武豊が鞍上に戻り、2番人気で有馬記念に出走。レース中の落鉄もあってか、グラスワンダーの5着に終わる。このレースを最後に現役引退となった。
7歳(1999年)
ノーザンファームで繁殖入り。優秀な繁殖成績を残した。
21歳(2013年)
4月23日、出産後の内出血により死去(20歳)。
繁殖成績
生年月日 | 名前 | 性別 | 毛色 | 父 | 競走成績 |
2000年4月30日 | アドマイヤグルーヴ | 牝 | 鹿毛 | サンデーサイレンス | 21戦8勝 |
2001年4月17日 | イントゥザグルーヴ | 牝 | 鹿毛 | サンデーサイレンス | 14戦4勝 |
2002年4月9日 | サムライハート | 牡 | 鹿毛 | サンデーサイレンス | 5戦3勝 |
2003年3月30日 | ソニックグルーヴ | 牝 | 鹿毛 | フレンチデピュティ | 未出走 |
2004年4月5日 | ザサンデーフサイチ | 牡 | 黒鹿毛 | ダンスインザダーク | 41戦3勝 |
2005年3月14日 | ポルトフィーノ | 牝 | 鹿毛 | クロフネ | 9戦3勝 |
2006年4月3日 | フォゲッタブル | 牡 | 黒鹿毛 | ダンスインザダーク | 32戦4勝 |
2007年5月15日 | ルーラーシップ | 牡 | 鹿毛 | キングカメハメハ | 20戦8勝 |
2008年5月11日 | グルヴェイグ | 牝 | 黒鹿毛 | ディープインパクト | 11戦5勝 |
2010年1月23日 | ラストグルーヴ | 牝 | 鹿毛 | ディープインパクト | 1戦1勝 |
2013年4月23日 | ショパン | 牡→セン | 黒鹿毛 | キングカメハメハ | 17戦3勝 |
アドマイヤグルーヴは2003、04年エリザベス女王杯連覇など。また、ドゥラメンテ(2015年皐月賞、日本ダービーなど優勝)の母。
グルヴェイグ(2012年マーメイドステークス優勝)はアンドヴァラナウト(2021年ローズステークス優勝)の母。
フォゲッタブルは重賞2勝。
ルーラーシップは2012年クイーンエリザベスカップなど重賞5勝し、種牡馬としてキセキやドルチェモアなどを輩出。
重賞未勝利ではあるが、サムライハートとザサンデーフサイチが種牡馬入りを果たしている。
また、ソニックグルーヴの第一仔であるスペシャルグルーヴはグルーヴィット(2019年中京記念)・ジュンライトボルト(2022年チャンピオンズカップ優勝)の母である。
余談
- 非常に人懐こく、スタッフが近くに来ると顔をベロベロ舐めて甘えるため伊藤雄二厩舎では「ベロちゃん」と呼ばれていた。
- 実際の調教を担当した笹田和秀調教助手は「エアグルーヴ命」と言われ、「ギャルを信じてやってください」の名言を残した。エアグルーヴも笹田に懐いており、馬なのにお手ができた。
- 秋華賞のパドックでカメラのフラッシュにさらされてイレ込んでしまい、レースでは10着と惨敗、右前脚骨折と散々だった。以後、パドックでフラッシュを焚くことは禁止となった。
- 武豊はエアグルーヴでの勝利以来優駿牝馬で勝っていない。
- 1997年のジャパンカップのパドックでピルサドスキーは思い切り馬っ気を出していたが、出走馬で牝馬はエアグルーヴだけだったので「エアグルーヴを見ておっ勃てていた」という風評被害を受けた。