鉄道車両の形式。以下の2つが存在する。
JR東日本 701系電車
製造年 | 1993年〜2002年 |
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営業最高速度 | 110km/h |
設計最高速度 | 120km/h |
起動加速度 | 2.1km/h/s |
減速度 | 3.6km/h/s(常用最大、非常) |
歯車比 | 7.07:1 |
駆動方式 | 平行カルダン駆動・TD継手方式 |
主電動機 | かご形三相誘導電動機・1時間定格出力125kW MT65、MT65A |
ユニット方式 | 1M方式 |
制御方式 |
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制動方式 |
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台車 | 軸梁式ボルスタレス台車
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製造所 | 川崎重工業、JR東日本土崎工場 |
概要
JR東日本が設計・新製した交流専用通勤形電車。東北地域の交流電化区間に残っていた客車列車の電車化及び短編成化・冷房化を主目的として1993年より投入された。
それまで使われていた客車や急行形電車、715系等はデッキ付の2扉クロスシートまたはセミクロスシートが大半であり、朝夕の(主に通学)ラッシュ時の乗降に課題があった。そのため701系では両開き3扉を有したデッキ無の客室を採用した。
特に、東北本線盛岡・青森地区、奥羽本線、羽越本線の普通列車は、加減速が遅く始発・終着駅での機関車の機回しや客車の増結に手間がかかる客車と電気機関車の組み合わせで運行されていたため、そこに電車が持ち込まれたことは大きく、電車の持つ軽快なスピード、折り返しや増結の手間・時間削減による機動性アップは革命的であった。
一方で、オールロングシートという車内設備は、青春18きっぷ系のライターおよびファンには評判が悪く、一部地域の地元利用者からもひんしゅくを買った。そもそも18きっぷを利用する癖に車内設備にケチをつけるのはやってはいけないことなのだが、先の高速化や合理化を上回る評判の悪さなど、必要以上のマイナスイメージがついてしまった感は否めない(後に0番台の一部はセミクロスシートに改造された)。
1M1Tの2両編成が基本だが、秋田地区用の0・100番台には3両編成(1M2T)、仙台地区用の1000番台には4両編成(2M2T)がある。
車体
209系をベースとし川崎重工業の編み出した2シート工法を採用したビード無の軽量ステンレス製車体(妻面はビード有)である。そこに両開き扉を片側3箇所配置し、狭軌用の番台はステップを持つ。扉はワンマン運転や寒冷地での運用のため半自動方式。
前面は流行に沿った額縁型のブラックフェイスで、多少スタイリッシュになっているが、ステンレス板をメインに使った点や外ばめ式の標識灯を持つ点は205系を思わせる。0番台は後に出た番台より標識灯の位置が低い。標準軌線区用の5000・5500番台では前面窓内に収納されておりよりスタイリッシュに。
行先表示器は前面の物は運転席と反対側の前面窓の中に、お世辞にも見やすいとは言えない小さなサイズの物が入っている。LED化されたが見づらい。側面の物はクモハ・モハのパンタグラフがある側の車端部に設けられている。
ちなみに、当初発表された完成予想図は実物と大幅に異なっており、先頭部分の扉は片開きというかなり珍しい構造だった。
車内
デッキ無の客室に、209系の物をベースにした大型の袖仕切りを持つバケット式ロングシートを配置する。オールロングシートになったのは収容力向上も理由にあるが、ワンマン運転時に客室を見渡しやすくするためでもある。現在は一部に改造でボックスシートを設置しセミクロス化された車両もあり、また5000番台や3セク車など新製時からセミクロスシートを装備している車両もある。
トイレは211系の物とほぼ同等だが便座が洋式に変更されている。後期に作られた1500番台・5500番台は大型の多目的トイレを持つ。
209系等にある扉上のLED案内表示は省略されているが、ワンマン運転に対応する車両は運賃箱や運賃表示機を設置する。
座席モケットは秋田地区が緑系(0,100番台と5000番台では柄が異なる)、仙台、山形地区が赤系、盛岡地区が3セク転属車を含め紫系となっている。
機器
台車も209系をベースとしているが、床面高さを下げるために中央部が下げられ弓なりになった台車枠に変更されている。
制御方式はVVVFインバータ制御であるが、209系等がGTO素子を採用したのに対しパワートランジスタ(PTr)を用いる。大容量半導体がまだ開発されていなかった黎明期のインバータ制御車に見られたバリエーション。
ブレーキ方式は、前期の車両では列車本数の少ない地区での運用を考慮して発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキを採用し、発電ブレーキ用の主抵抗器を動力車屋根上に設置した。後期の車両はPTrを用いながらも最初から回生ブレーキを持つ。
なお、2017年までに全車が209系・E217系と同様の機器更新を施されており、主変換装置・主変圧器はE721系と同形のIGBT素子を用いた物へ交換、また発電ブレーキの回生ブレーキ化が行われ、動力車屋根上の主抵抗器は撤去された。
分類
狭軌線区用
秋田地区(奥羽本線・羽越本線・津軽線)の0番台、秋田地区および仙台地区(東北本線・常磐線)の100番台、仙台地区および盛岡地区(東北本線)の1000番台、仙台地区の1500番台に区分される。
秋田地区はピンクと紫、盛岡地区は青紫、仙台地区は赤と緑の帯が施されており、番台区分とカラーリングは一致していない。
秋田地区
秋田地区では50系や12系の置き換え用として1993年年3月から10月にかけて0番台が投入された。製造会社は川崎重工業とJR東日本土崎工場であり、地味に地産地消の車両でもある。
製造開始後は瞬く間に50系、12系を置き換えていき製造開始から僅か4か月後の1993年7月には秋田支社管内の羽越本線酒田~秋田間から客車を一掃、さらに同年12月には奥羽本線山形~青森間でも男鹿線直通列車を除き客車列車が廃止となった他、新たに津軽線青森~蟹田間でも運用が開始された。軽量かつ高加減速が可能で機回しの必要がない701系の投入効果は凄まじく、秋田地区では折り返し時間の短縮と大幅なスピードアップが可能になり、閑散時間帯にはワンマン運転が可能になるなど、時間帯によって柔軟な運用が組めるようになった。
その反面、短距離運用ならまだしも長距離運用にもオールロングシートが持ち込まれた事により長距離利用者と鉄道ファンからは不評だったものの、特に仕様変更はなされずにこの仕様のまま東北全土に広がってくことになり、のちに本形式が導入された盛岡地区では激しい反対運動も起こった。
その後1994年からは増発用に0番台のマイナーチェンジ版として100番台が導入された。秋田地区の仕様に合わせてはいるものの、既に1000番台の製造が始まっていたため、使用はおおむね1000番台に合わせたものになっている。
運用開始後しばらくは大きな変化はなかったものの、1999年に山形新幹線が新庄まで延伸すると狭軌仕様の秋田地区車は乗り入れが不可能になり山形地区に新たに増備された5500番台に置き換えられて山形~新庄間からは撤退した。またこの際余剰になった100番台の一部は仙台地区に転属し、以降も秋田と仙台の間で何度か車両の入れ替えが行われている。
また同時期の特急こまくさ廃止に伴う長距離移動者救済として0番台のN36~38編成が千鳥配置のセミクロスシートに改造されている。(窓割はいじっていないので座席と窓割があっていないのはご愛敬・・・)
車体帯は濃淡マゼンタ(紫の細帯とピンクの太帯に近い)であり側面には淡色マゼンタとなっている。車内は妻面をラベンダー色にしたロングシートでありモケットは0,100番台ともに共通の緑色である。またドア上の広告スペースは秋田地区車のみ首都圏と同様の細長いものとなっている。
事故廃車や編成短縮による余剰廃車を起こしながらも車齢30年を超えた現在でも秋田地区の主力車両として活躍している。
仙台地区
仙台地区では普通列車の電車化こそ行われていたもののその使用車両が2ドア、デッキ付きの急行型455系、457系、デッキはないものの2ドアで国鉄末期に導入された新造車417系、急行型の車体を417系と同じものに載せ替えた717系、寝台車両581系、583系を改造の上導入した715系が多く運用されていた。これらの車両はいずれも2ドアであり、当時乗客の増加著しかった仙台地区においてはラッシュ時の遅延の原因となっていた。またその中でも715系は種車時代からの長距離運用により老朽化が進み、また特急型特有のデッキ付きで間口の狭い乗降扉が乗り降りの円滑さを欠いていた事、また寝台電車であったため通路が狭く詰め込みが効かないという難点も存在した。
仙台地区には民営化後より719系の導入が行われたが膨大な数の車両を置き換えるには至らなかった。そこでその中でも特に置き換えが急務であった715系を置き換えるため仙台地区には1995年より一部仕様変更を行った701系1000番台が導入されることとなった。
製造ペースは上記の0番台と比較してかなり遅く、また当時は盛岡地区の増備を優先したことから1000番台の増備は2連11本、4連4本に留まったが1998年に仙台地区向けに1000番台をさらに発展させた1500番台の増備が始まると置き換えペースが加速、1998年2月3日~5日にかけて一挙に6本が製造され、これを以て715系は全廃となった。その後同年3月にも1本製造されたほか、2000年には後述の理由により1000番台からの改造車が1本追加されている。
その後2001年からは残存していた急行型の置き換えのためさらに10本が追加製造された。2000年以降に新造、改造された車両は行先表示機LED化、トイレが車椅子対応になるなどのマイナーチェンジがなされている。
1500番台は後述の1000番台と比較して細部が変更され、運転台背後の窓が1000番台までは開閉可能な分割窓だったのに対し、1500番台からははめ殺しの大型固定窓となっている他、トイレ洗浄ボタンの形状変更、回生ブレーキ搭載に伴う抵抗器の廃止などが異なっている。
また1999年には先述の通り秋田地区から100番台が転属してきている。帯色は仙台仕様に変更されているが貫通扉が塗装されていない点が100番台の特徴である。
その後も秋田地区との間で100番台のトレードや盛岡地区との車両交換がありながら現在も全車両が現役である。運行区間は東北本線新白河~一ノ関間と常磐線岩沼~原ノ町間で運用される。このうち新白河~郡山間と小牛田~一ノ関間では早朝深夜帯と日中時間帯を中心にワンマン運転が行われている。軽量車体のため仙山線の山岳区間には入れず、また市街地区間の仙台~愛子間からも2017年10月に撤退している。かつては東北本線新白河~黒磯間、常磐線原ノ町~いわき間、阿武隈急行線福島~富野間でも運用された。阿武隈急行線からは福島側の直通がなくなった2004年に撤退、東北本線は黒磯駅完全直流化の影響で2017年10月にE531系とキハ110系に置き換えられて撤退、常磐線からは2007年頃よりいわき~原ノ町間の運用が一部水戸支社の415系受け持ちになり運用数が減少していたが2011年の東日本大震災の影響で常磐線が不通になると仙台側の復旧区間で使用され、小高~相馬間復旧の際には同区間用として勝田車両センター所属となったこともあった。2020年3月まで1往復のみ浪江~原ノ町間でも使用されていたが常磐線全線復旧以降は原ノ町で系統分離されることになり、E531系によって719系もろとも置き換えられた。また仙山線と震災以降の常磐線を除く撤退区間ではワンマン運転が行われていた。
車体帯色は赤と白の細帯に緑の太帯となっている。車内は全車両とも赤系のモケットだが仙台生え抜きの1000番台、1500番台は妻面が木目調であるのに対し秋田地区から転属した100番台は妻面がラベンダー色のままであり、受ける印象が大きく異なる。
盛岡地区
盛岡地区においても秋田地区同様12系と50系による客車列車が多く運転されており、その置き替え用として1994年から1996年にかけて製造された。0番台を発展させた、新区分の1000番台が導入された。パンタグラフが下枠交差形から菱形に、テールランプの位置を0番台より上部に変更されたのが外観上の特徴となっている。
1994年12月の盛岡~一ノ関間ワンマン運転開始のために1994年10月から11月にかけて一挙に15本が製造され盛岡客車区に配置、一瞬で盛岡以南の客車を置き換えた。その後も盛岡~青森間ワンマン運転開始のため1995年12月から1996年3月にかけて12本が青森運転所に追加製造され、盛岡地区の客車を完全に置き換えた。盛岡地区の客車全廃後は一度全車が青森運転所に転属した。
しばらくは動きが無かったものの2000年12月に青森駅に留置中だった1033編成が高潮を被って水没、使用不能になった。同編成はその後行先表示器のLED化、回生ブレーキ搭載と車椅子対応トイレの設置を行い1500番台F2-508編成となって仙台へ転属、それと入れ替わりで仙台から旧F2-21編成が転属、1021編成として運用を開始した。
その後2002年12月に東北新幹線が八戸まで延伸されると東北本線の盛岡~八戸間は第三セクター化されることとなり、東北本線が南北で分断されることとなった。その際に1001~1007編成の7本は八戸以北用として青森に残存、1037~1041は第三セクターの新会社に譲渡され、残りの15本は盛岡運転所に再転属することとなり、2002年12月1日付で盛岡に転属した。また第三セクター譲渡車は同日付でJRから除籍されている。
2010年の東北新幹線全通の際には青森に残存していた1001~1007の7本がそのまま青い森鉄道に譲渡された。これにより青森車両センターから701系の配置が消滅している。
以降は機器更新と行先表示機のLED化を行いながらも大きな動きはなく盛岡車両センターに15本が所属している。運行範囲は東北本線盛岡~一ノ関間と平日朝のIGRいわて銀河鉄道直通運用で同線の盛岡~いわて沼宮内間で運用される。東北新幹線全通以前は八戸~青森間でも運用され、八戸延伸以前は八戸~盛岡間と間合いで津軽線でも運用された。いずれも運行区間の第三セクター化により撤退しているが第三セクターに転属した編成が現在でも同区間で活躍しており、厳密にいえば撤退とはなっていない。ただし津軽線からは完全に撤退している。
車体帯色は濃淡のバイオレット、側面は濃紫の単色である車内はわずかに紫がかった妻面にパープル系のモケットとなっている。ただし仙台から転属してきた1021編成は妻面が仙台時代の木目調のままであり、雰囲気が大きく異なる。
田沢湖線向け(標準軌)
1996年の秋田新幹線開業に伴う田沢湖線標準機化により1996年末から1997年にかけて大幅な仕様変更を行った5000番台2連10本が南秋田運転所に配置された。田沢湖線の普通列車はこれを機に電車化された(改軌工事以前は盛岡所属のキハ52、58、40などを使用し、いわゆる架線下ディーゼルだった。)
田沢湖線の各駅は改軌工事と並行してホームの嵩上げが行われたため客用扉のステップは廃止された。また本番台は千鳥配置ながらセミクロスシートとなった。また標準機に対応した台車に変更されている。また尾灯は運転窓上部に移設された。
以上のような特徴を除けば使用はおおむね同時期に製造されていた1000番台に揃えられている。車両の特異性から運用範囲は田沢湖線に限られている。盛岡~雫石間と田沢湖~大曲間ではワンマン運転を行うが山越えを伴う雫石以西に直通する運用ではワンマン運転を行わない。また普段は秋田新幹線車両センターに所属しているが重要検査は秋田総合車両センターで行うため、入場の際には狭軌の仮台車に載せ替えて回送する。2015年から2016年にかけて他番台と同様に機器更新と行先表示機のLED化を実施した。
車体帯は秋田地区の濃淡マゼンタに近い紫+白の細帯にピンクの太帯であり側面もこの3色である。車内は妻面は白色系とし、座席モケットは緑系ではあるものの秋田地区の他番台とは柄が異なるものを使用している。
山形線向け(標準機)
1999年の山形新幹線新庄延伸に伴う改軌で同区間で運転されていた秋田所属の701系が運用不能になることに伴い製造されたグループである。同年中に2連9本が製造され、先に増備されていた719系5000番台と同様、山形電車区に配置された。
仕様は標準機の5000番台の仕様と仙台地区の1500番台を足して2で割ったようなものであり尾灯の位置、標準軌台車でステップなしは5000番台と同様だが回生ブレーキを搭載し車内はオールロングシートで運転台背後の窓がはめ殺しの大型窓となっているなど1500番台と同じ部分もある。また本番台からトイレが車椅子対応の大型仕様になり、のちに製造される1500番台にも踏襲された。また板谷峠での運用に備えて砂撒き装置を搭載する。
パンタグラフは当初仙台地区と同様の菱形だったが2001年にシングルアーム式に交換された。またのちに床材がE721系と同様の砂目模様入りの黒いものに交換された。
車体帯は仙台地区のものと酷似しているが赤帯の部分が山形県の県花であるベニバナをイメージしたオレンジとなっている。車内はステップがない事を除けば1500番台とほぼ同一である。また5000番台とは異なり重要検査を含めたすべての検査を山形新幹線車両センターで行う。
運用は山形線山形~新庄間のみとなっている。2024年改正までは山形~米沢間でも日中に限り使用されたが719系に置き換えられた。基本2両編成でワンマン運転を行うが朝夕は4両編成で車掌が乗務する運用がある。また砂撒き装置こそ搭載しているが軽量車体のため板谷峠越えの運用には充当されていない。
また、東北新幹線延伸開業により並行在来線として経営分離されたIGRいわて銀河鉄道(IGR7000系)及び青い森鉄道(青い森701系)に一部車両が譲渡された。なお、両社とも譲渡車両のほか、同型車両を新製している(新製車はセミクロスシート・多目的トイレを設置)。
ちなみに最後に機器更新をされた1000番台3本は、東北地方太平洋沖地震により孤立状態となっていた常磐線の一部区間(相馬~原ノ町)で運用された車両で、このために一時的に水戸地区の所属になったという異色の経歴を持つ。
標準軌改軌線区(ミニ新幹線)用
山形新幹線・秋田新幹線が運行される標準軌改軌区間における普通列車用の専用車両として田沢湖線に5000番台(セミクロスシート)・山形新幹線の新庄延伸の際に5500番台(ロングシート)が投入されている。
他の701系と違い標識灯が前面窓内の上部に移設され、ミニ新幹線区間はホームが嵩上げされているためステップが廃止されている。更に床面高さを30mm引き上げるため車体全体がその分持ち上げられており、空調もインバーター化(従来は電源周波数依存形)、台車も単に軌間拡幅しただけでなく弓形に下がっていた側枠を直線状(209系のものに類似)にするなどかなり改変されている。
IGRいわて銀河鉄道 IGR7000系電車
先述の通り、JR東日本701系と同型。2両編成7本が在籍。譲渡車はロングシート、新造車はセミクロスシートである。
- 第1~4編成は2002年の東北新幹線八戸開業時に譲渡されたもので、当時青森車両センターに所属していたもとJR701系1000番台の1038~1041編成。外装は当初こそJR時代と同様盛岡色のままだったが2003年頃に現在の塗装に変更された。車内は転属前と変化しておらずパープルのモケットに車椅子非対応の洋式トイレなど盛岡車両センター所属車の使用に準じている。また2024年現在も行先表示器のLED化は行われておらず、青い森701系と共に新製当初からの方向幕を残す数少ない701系列となっている(方向幕の内容もJR時代から変化しておらず、現在は定期運用のない一ノ関や蟹田、三沢シャトルなどの表示が残っている)。
- 第5~7編成は2002年の東北新幹線八戸開業時に備えて新造されたもの。基本構造は1500番台後期車に準ずるが車内は千鳥配置のセミクロスシートとなるなど1500番台より田沢湖線用の5000番台に近い。
どちらも2018年頃にパンタグラフの交換と制御装置の更新が行われている。車両の構造は大幅に異なるが運用上は両車とも共通運用が組まれている。
青い森鉄道 青い森701系電車
こちらもJR東日本701系と同型。2両編成9本が在籍。青い森鉄道所属車は、JR譲渡車も一部がセミクロスシートに改造されている。
- 0番台の第1編成は2002年の東北新幹線八戸開業時に譲渡されたもので、もとJR701系1000番台の1037編成。1996年に盛岡以北客車置き換え用に増備された後期車である。
- 0番台の第2~8編成は2010年の東北新幹線新青森開業時に譲渡されたもので、東北新幹線八戸延伸開業後も八戸~青森間に使用するため青森に残存したJR701系1000番台の1001~1007編成。いずれも1994年に盛岡以南客車置き換え用に製造されたグループである。
- 100番台の第101編成は2002年の東北新幹線八戸開業時に備えて新造されたもの。仕様は1500番台に近いものの車内は千鳥配置のセミクロスシートとなり田沢湖線用の5000番台に近い
転属車の車内モケットは盛岡地区の車両と同様パープル地だったが2019年以降新造車と同じモケットに交換されて消滅している。またJRからの転属車の一部もセミクロスシートに改造されている。
西武鉄道 701系電車
製造年 | 1963年〜1968年、1995年 |
---|---|
営業最高速度 | 100km/h |
設計最高速度 | 100km/h |
減速度 | 3.5km/h/s(常用最大、非常) |
駆動方式 | 中空軸平行カルダン駆動 |
主電動機 | 直流直巻電動機
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ユニット方式 | MM'方式 |
制御方式 | 電動カム軸式抵抗制御・直並列組合せ方式 |
制動方式 |
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台車 | ウイングばね式金属ばね台車
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製造所 | 西武鉄道所沢工場 |
西武鉄道が設計・新製した通勤形電車。1963年から1967年まで自社の所沢車輛工場で新製された。
各種機器こそ前代の601系をベースにしている(国鉄と同じDT21台車とMT54を自社特許と引き換えにライセンス生産、制御車の台車は所沢工場が改造した強化型TR11(TR11A)、ブレーキは吊掛電車と同じ自動空気ブレーキ)が、大型の方向幕とサイドの急行灯、腰部の前照灯と周囲のステンレス板という前面デザインは旧101系にも受け継がれ、新101系・3000系にもマイナーチェンジを施された上に採用されるなど西武電車の顔のルーツとなった。
1970年代半ばより冷房化と併せて新性能化が行われ、それより前から行われていた制御車のFS072空気ばね台車改造と併せ、強度・振動などで難のあったアルミハニカム客扉のステンレス客扉への交換、ブレーキのHSC電磁直通ブレーキ化改造、補助電源の交流化による照明の強化などで面目を一新。ただしこの改造で旧性能車と連結が不可能になり、当初は塗装がそのままであったことから運用現場でも混乱が発生したため、すぐに扉と前面保護板を除き黄色の単色塗装とされた。6連組成の必要から601系の中間M車2両を抜き取り編入したことも特筆される。(編入車は窓のRが二個単位であったため識別が容易く可能であった。残存したクハは初期の半数は旧性能用に回路を変更し451系などと併結されたが、後期改造分のクハはそのまま廃車となっている。)
1997年に営業運転終了。一部車両が地方の中小私鉄(上信電鉄、流鉄、伊豆箱根鉄道、三岐鉄道)に譲渡されており、三岐鉄道では今もなお運行されている。
関連タグ
奥羽本線 羽越本線 津軽線 田沢湖線 東北本線 常磐線 仙山線 209系 E127系 719系 E721系 715系 50系