概要
本名:ジェームス・パトリック・ペイジ(1944年1月9日~)
エリック・クラプトン、ジェフ・ベックと共に、日本では三大ギタリストと呼ばれている。
レッドツェッペリン時代は黒人ギタリストに倣ってギターを腰より低い位置で弾き、このスタイルは流行した。間奏中のテルミン演奏、ギターをヴァイオリンの弓で弾くボウイングなどのパフォーマンスでも知られる。
ギブソン・レスポール・カスタムがトレードマークだが、フェンダー・テレキャスター、ダンエレクトロ・3021、ギブソン・EDS-1275、フェンダー・エレクトリックXIIなども愛用。
来歴
1944年1月9日、イングランドのミドルセックス州ヘストンで、父ジェイムス・母パトリシアの間に誕生。
1957年、母親がスパニッシュ・ギターを与える。
この当時イギリスで流行したスキッフルの演奏で、TVにも出演している(youtube:Jimmy Page - 14 years old)。
1959年、友人のガールフレンドの弟、ジェフ・ベックと知り合う。
エルヴィス・プレスリーのバックを務めたスコッティ・ムーアやジェイムズ・バートンに影響を受ける。
1962年、ニール・クリスチャン&ザ・クルセイダーズに参加する。
1963年、ハードなスケジュールで体調を崩しクルセイダーズを脱退。自分の後任にはベックを推したが採用されず、リッチー・ブラックモアが加入した。
画家を目指してエプソム・アート・スクールに通う。
ブルース・インコーポレイテッドのアレクシス・コーナーからスカウトされるが、画家になるつもりだったので断る。
1964年、初のレコーディング参加を体験。セッション・ギタリストの依頼が殺到し、楽譜の読み書きを勉強する。
アート・スクールを中退。
ビッグ・ジム・サリヴァンの弟子となり、セッション・ギタリスト兼プロデューサーとして活躍する。ザ・フー、ローリング・ストーンズ、キンクス、ドノヴァン等のレコーディングを担当し、膨大なスタジオ・セッションをこなす。
1965年、ヤードバーズからエリック・クラプトンの後任ギタリストとしてスカウトされるがプロデュース業が忙しく、代わりにベックを紹介する。
1966年、ヤードバーズからポール・サミュエル・スミスの後任ベーシストとしてスカウトされ承諾。それまでベースを弾いたことが無かったので1週間ほどでベースはクリス・ドレヤに交代し、ベックとのツイン・リード体制となるが、メンバー間での確執でベックが脱退。グループの実権を握る。
ベックのソロ・シングルのレコーディング・セッションが行われ、キース・ムーンが「俺たちが今いるバンドを辞めたら、きっと鉛の気球(Lead Balloon)みたいに人気が急降下するぜ」と発言し、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のグループ名のヒントとなった。
1968年、ラトン工業大学のステージを最後にキース・レルフとジム・マッカーティが脱退してアコースティック・デュオを結成。
ペイジはヤードバーズの存続を図り、テリー・リードの紹介でバンド・オブ・ジョイのロバート・プラント、プラントの紹介でジョン・ボーナムを採用する。
ドレヤが写真家に転進したため、アレンジャーとして活躍していた友人ジョン・ポール・ジョーンズをスカウトしてニュー・ヤードバーズを結成し、契約の残っていたスカンジナビア・ツアーへ行く。大いなる可能性を感じたペイジはバンド名を「レッド・ツェッペリン」に改名。
1969年、レッド・ツェッペリンのアルバム「レッド・ツェッペリンI」、「レッド・ツェッペリンII」が発売される。
1970年、レッド・ツェッペリンのアルバム「レッド・ツェッペリンIII」が発売される。
1971年、レッド・ツェッペリンのアルバム「レッド・ツェッペリンIV」が発売される。
1973年、レッド・ツェッペリンのアルバム「聖なる館」が発売される。
1975年、レッド・ツェッペリンのアルバム「フィジカル・グラフィティ」が発売される。
1976年、レッド・ツェッペリンのアルバム「プレゼンス」、「永遠の詩」が発売される。
1979年、レッド・ツェッペリンのアルバム「イン・スルー・ジ・アウト・ドア」が発売される。
1980年9月24日、ボーナムが事故死。12月4日、レッド・ツェッペリンは解散。
1984年、プラントや、ベックらとハニー・ドリッパーズを結成。
ポール・ロジャースのソロ・アルバムのレコーディングをきっかけにザ・ファームを結成。
1985年、ザ・ファームのアルバム「ザ・ファーム」が発売される。
1986年、ザ・ファームのアルバム「ミーン・ビジネス」が発売される。ザ・ファーム解散。
1985年、ライヴエイドでプラント、ジョーンズと共演。
1988年、「アトランティック・レコード40周年コンサート」にレッド・ツェッペリン名義で出演(ドラマーはボーナムの息子ジェイソン・ボーナム)。
1993年、デイヴィッド・カヴァデールとカヴァーデイル・ペイジを結成し、アルバム「カヴァーデイル・ペイジ」が発売される。
1994年、プラントとMTVアンプラグドで共演しペイジ・プラントを結成、アルバム「ノー・クォーター」が発売される。
1998年、ペイジ・プラントのアルバム「ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル」が発売される。しかし、翌年プラントが活動停止を宣言。
2015年、プロモーションの為に来日。広島市を訪問し、広島市長・松井一實と会談。
影響
ジミー・ペイジはロック界屈指のギター・ヒーローとしても知られている。
腰の位置で低く構えたギター、華麗なステージアクション、そして何より彼が率いるレッドツェッペリンが紡ぎ出した革新的な音楽は、当時のギター少年達に稲妻のような衝撃を与えた。
クラシック・ロック誌が選定した「最もワイルドな100人のギター・ヒーロー」では、四位にランクインしている。(ちなみに一位はジミ・ヘンドリックス、二位はキース・リチャーズ、三位はスティーヴィー・レイ・ヴォーンである。)
また、ローリング・ストーン誌が選定した「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」では三位にランクインした。(ちなみに一位はジミ・ヘンドリックス、二位はエリック・クラプトンである。)
ジミー・ペイジからの影響を公言している人物として、以下の人々の名が挙げられる。
ブライアン・メイ (Queen)エドワード・ヴァン・ヘイレン (ヴァン・ヘイレン)、ポール・スタンレー(KISS)、エース・フレーリー (KISS)、ジョー・サトリアーニ、ジョン・フルシアンテ(レッド・ホット・チリ・ペッパーズ)、デイヴ ・ムステイン(METALLICA)・(MEGADETH)、ジェームズ・ヘットフィールド(METALLICA)、カーク・ハメット(METALLICA)、ザック・ワイルド、ジョー・ペリー(Aerosmith)、リッチー・サンボラ(BonJovi)、アンガス・ヤング(AC/DC)、スラッシュ(ガンズアンドローゼズ)、マイク・マクレディ(Pearl Jam)、ジェリー・カントレル(Alice in Chains)、イングヴェイ・マルムスティーン、ミック・マーズ(Motley Crue)アレックス・ライフソン(Rush)、スティーヴ・ヴァイ、ダン・ホーキンス(The Darkness)
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