JBL(WWE)
じょんぶらっどしょーれいふぃーるど
1966年11月29日アメリカ合衆国テキサス州スイートウォーター生まれ。身長198cm、体重130kg。
本名はジョン・チャーリース・レイフィールド(John Charles Layfield)。
WWE所属。
大学時代にアメリカンフットボールで名を馳せ、1992年にカウボーイのギミックでレスラーデビュー。
1997年には“ニュー・ブラックジャックス”としてバリー・ウインダムと共に全日本プロレスの「最強タッグリーグ戦」にも出場した。
ブラッドショー(BradShaw)
1998年秋にファルーク(ロン・シモンズ)と共にアコライツを結成。ジ・アンダーテイカーの「MOD(ミニストリー・オブ・ザ・ダークネス)」に参加し、翌年にはWWF世界タッグ王座(当時)を獲得。
2000年には新ギミックとして、酒とポーカーを好み、金かビールをもらえばどんな相手でも用心棒を引き受ける、APA(アコライツ警備保障。Acolytes Protection Agencyの略)をファルークと共に開業。ここでもタッグ王座を取得。WWFに買収されたWCW侵攻(インヴェイジョン)の際には切り込み隊となった。
JBL
2004年にファルークと別れ、株で成功した嫌な成金にギミック変更し、リングネームもジョン・ブラッドショー・レイフィールド(John "Bradshaw" Layfield)に改名。内閣を意味する取り巻き集団JBLキャビネッツを従えてヒール人気を獲得。6月27日の特番「グレート・アメリカン・バッシュ」でエディ・ゲレロからWWE王座を奪取するまでとなった。
ちなみに、JBLという愛称は元アメリカ合衆国大統領のリンドン・ベインズ・ジョンソンの通称であるLBJに掛けられている。
その後翌年のレッスルマニアでジョン・シナに王座を奪われ、次の「ジャッジメント・デイ」では“I Quit(参りました)”言わせ戦で“I Quit.”を言わされるという屈辱に塗れる羽目になった。
その後、腰の怪我の悪化や副業である投資家、証券アナリストとしての活動が多忙化したことを理由に、2009年のレッスルマニアで引退。引退試合の相手はレイ・ミステリオであり、これはJBL自身が、エディ・ゲレロが逝去していたことから、その盟友であるミステリオを指名した。なお、試合時間は21秒。WWEを離れて格闘技団体を立ち上げたこともあるが、現在は解説者としてWWEに在籍している。(解説者として戻ってくるにあたっては、連絡先を変えていたためスタッフは連絡を取るのに苦労したという)
2020年、WWE殿堂入り。
- クローズライン・フロム・ヘル(ランニング式ラリアット)
ランニング式のクローズライン(物干し竿)だが対戦相手が強烈にマットに叩きつけられたり一回転するほどの威力を持つ。
現役時代は屈指の使い手として認知されていた。
元々は彼が尊敬するスタン・ハンセンのウエスタン・ラリアート(投げ縄)を模倣したもので、アメリカ式の「倒す」クローズラインと、ハンセンの「殴る」ラリアットを組み合わせたものになっている。
右腕をブォンブォン振り回してから撃つのも特徴的。
足の間に敵の頭を捕らえたあとに、余裕の表情で手でロングホーンの角を真似したり、タバコをふかす仕草をする。
- ビック・ブート
軽量級相手の時にブートでダウンさせ、立ち上がったところを上のいずれかの技で仕留めるパターンがある。
- ラスト・コール
技名は、株用語から。いわゆるブロック・バスターでアバランシュ・プレスのように相手を横抱きにして、そのまま後ろに反り投げる。
- 郷土愛
ギミック上、故郷のテキサスを小バカにしていたが、実際は非常に郷土愛の強い人物である。同じテキサス出身のレスラーであるスタン・ハンセンに憧れていて、アメリカでの知名度はそこまで高くなかったハンセンのWWE殿堂入りの際は非常に喜んでいた。
入場時にはロングホーン(牛の角)がついたストレッチド・リムジンを使用。
また、ブラッドショー時代はテキサスで興行を行う度に、同郷のスティーブ・オースチンと大暴れしていた。
- 保守派
政治的には共和党支持を公言する保守派である。また米軍への慰問も積極的に行い、2003年以降WWEが行っているアフガニスタン・イラク駐留軍への慰問興行には必ず参加している。また日本公演が行われた際も在日米軍基地を訪問している。
- バックステージの武闘派
普段は温厚でまじめな性格だが武闘派としても知られ、バックステージにおいては問題行動を起こした選手の制裁役を受け持つことでも有名である。なお、クリス・ベノワ、ウィリアム・リーガル、デイブ・フィンレーらも同様にバックステージの制裁役とされていた。
また、アコライツ時代に、隣の酔客から「黒人のタッグパートナー(ロン・シモンズ)とはキッツイなw」と言われた際、「相棒の悪口は許さんッ!」と一喝し、その酔客をブッ飛ばしたというエピソードもある。実際シモンズとは人種の垣根を超えた絆で結ばれている。
- 酒癖について
酔っ払った時にメキシコとの国境の検問所で検問官だというほど酒癖が悪い。
- トークについて
マシンガントークの使い手で話し出したら止まらない。トークの上手さではジョン・シナやクリス・ジェリコと優劣を闘う程。口より先に腕が出る(クロスラインをお見舞いする)ではなく、口と一緒に腕が出て更に口が出続ける。コメンテーターとして出演する際も口の上手さは健在。なお、一応はヒール寄りのコメンテーターなのだが、レスリングスキルが存分に出されるような試合だったりすると、興奮のあまりただのプロレスに造詣の深いおじさんと化す。
- 評判
上記の通り、「温厚で真面目な武闘派」という素顔を持つ一方、揉め事や悪戯、悪ふざけのエピソードも多く、JBLのことを苦手にしている関係者、嫌いと明言する関係者も少なからずいる。もっとも、その悪戯がクソガキレベルのものだけではなくイジメ一歩手前みたいなレベルのものも結構あるので、割と仕方ない。PPVのECWワンナイト・スタンドではブルー・ミーニーにほぼガチの攻撃を加えて問題になった。後に二人は和解して友人になっている。
WWFのブッカーだったビンス・ルッソーもブラッドショー時代のJBLにいじめられた鬱憤もあってか"WWF Brawl for All"という完全にガチンコの殴り合いトーナメントマッチを企画した際に「ブラッドショーをぶっ飛ばせ」と他のレスラーに発破をかけていたとの事。なおその意思に反してブラッドショーは決勝まで残っている。
そういった評判を知ってか殿堂入りの際には「私のロッカールームでの振る舞いや言動に不快にさせられた人も多くいると思います。そのような人達に言いたいことがある… メソメソ泣いてろ、弱虫どもめ!私はJBLだ!謝罪などしない!これが私だ!WWE殿堂入りしてやったぞ!私はレスリング・ゴッドなのだ!」とキャリア後期のヒールとしてのふてぶてしさを保ったスピーチで締めている。