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サクラホクトオー

さくらほくとおー

1986年生まれの競走馬(1986~2000)。ダービー馬サクラチヨノオーの半弟で、1988年の朝日杯3歳ステークスの勝馬。極端に重馬場が苦手だったことで有名であった。
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※馬齢は2000年までの旧表記で記載。


生涯編集

1986年4月3日生まれ。

トウショウボーイ、母サクラセダン、母の父セダン。

半兄は1988年日本ダービー優勝馬サクラチヨノオー(父マルゼンスキー)。


馬名は兄チヨノオーが第58代横綱千代の富士貢に由来していることに因んで、千代の富士の弟弟子である第61代横綱北勝海信芳から付けられた。


3歳(1988年)編集

1988年10月8日の新馬戦で小島太を背にデビュー戦勝利を挙げると、続く府中3歳ステークス(当時OP。現GⅡ東京スポーツ杯2歳ステークス)もレコードを立てての快勝。

そして、朝日杯3歳ステークスは単勝1.3倍の1番人気に応えてGⅠ勝利。



兄のチヨノオーも前年に勝っていたため、朝日杯兄弟制覇を達成すると共に、最優秀3歳牡馬を受賞した。


4歳(1989年)編集

兄のチヨノオーに続くダービー兄弟制覇を夢見て、クラシックイヤー初戦は弥生賞(GⅡ)。

しかしここから、ホクトオーの歯車は狂い始める。

雨で重馬場となった弥生賞は単勝1.4倍を大きく裏切る12着と惨敗。勝者となったのは道悪巧馬レインボーアンバーだった。


本番の皐月賞はまたしても雨で重馬場となり、加えて単枠指定大内枠1番という皐月賞では圧倒的に不利とされる馬番の二重苦で20頭立ての19着。1頭競走中止のため実質最下位。またも1番人気に推されての惨敗。優勝はドクタースパート


そして5番人気で迎えた日本ダービーは内側にササって9着に終わり、チヨノオーとのダービー兄弟制覇は夢と消えた。優勝はウィナーズサークル


秋の初戦は菊花賞トライアルのセントライト記念(GⅡ)で、朝日杯以来の勝利を挙げたが、本番の菊花賞は馬場の切れ目に驚いたためか大外をぶん回し、5着に終わった。優勝はバンブービギン


年末の有馬記念にも出走し、イナリワンの3着に入った。


5歳(1990年)編集

古馬になったホクトオーはアメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)を勝利するものの、続く産経大阪杯スーパークリークの7着。

天皇賞(春)もいいところなくスーパークリークの14着に惨敗し、ここから1年間長期休養に入る。


6歳(1991年)編集

京王杯スプリングカップ(GⅡ)で1年ぶりに復帰するも、ダイイチルビーの9着に惨敗。

そして安田記念(この時のみ木藤隆行騎乗)はダイイチルビーの15着(16頭立て)に終わり、これを最後に引退した。


引退後編集

引退後は種牡馬となり、初年度産駒からサクラスピードオー1996年京成杯(GⅢ)と共同通信杯(GⅢ)を勝利した。


2000年3月16日に15歳(現14歳)で死去。


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サクラホクトオー


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競走馬 89世代


サクラチヨノオー

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