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太平洋戦争の編集履歴

2014-01-22 23:47:33 バージョン

太平洋戦争

たいへいようせんそう

アジアと太平洋における日本と米英など連合国との戦争のアメリカ側からの呼称である。

概要

太平洋戦争は第二次世界大戦での大日本帝国などの連合国との戦争

ただし、この名称は太平洋の戦いとしてアメリカが名付けたPacific Warであって、日支事変以来アジアの戦いとした日本の大東亜戦争とは異なる。


前夜

世界恐慌によって経済が疲弊した日本では政治に軍部が台頭。勢力拡大を図って関東軍が1931年(昭和6年)に満州満州事変を起こし満州国が出現。これを機に日中が対立し、1937年(昭和12年)に日華事変となった。

ヨーロッパでは、日本と友好関係にあったヒトラー率いるナチスドイツが1939年(昭和14年)にポーランドへ侵攻し、英仏の対独宣戦布告で第二次大戦が勃発。翌年には日独伊による枢軸同盟が締結された。

アメリカは第一次世界大戦の頃から対日警戒感を持ち、1924年(大正13年)に排日移民法を成立させ、1922年(大正11年)のワシントン海軍軍縮条約、1930年(昭和5年)と35年(昭和10年)のロンドン海軍軍縮条約などで日本海軍の軍艦割合をアメリカより7割以下にしようとしていた。そして枢軸同盟を受けついに対日のくず鉄を輸出禁止とした。


開戦

欧米の対中支援「援蒋ルート」を断ち、またさらなる資源獲得を目的に日本は仏領インドシナへの仏印進駐を計画。これまで中立外交を貫いたルーズベルトのアメリカも満州や太平洋の権益の障害になると察知し、またチャーチルのイギリスもアメリカの介入を望んで1941年(昭和16年)に大西洋憲章を掲げた。

アメリカは日本に中国撤退を迫り日米交渉は難航。日ソ中立条約を結んだことで仏印進駐が開始されると、アメリカは対日石油禁止を決定し、さらに米英中蘭による対日経済制裁「ABCD包囲網」を構築。

日米交渉を続けていた近衛文麿は内閣を辞職し、続いて東條英機内閣が発足して日米交渉を引き継いだが、アメリカは中国と仏印からの撤兵や蒋介石の国民党政権容認、枢軸同盟破棄、満州国解体など最後通牒に近い「ハル・ノート」を提示。日本は日米交渉決裂をみなし、予てより計画していた対米攻撃を実行。


昭和16年12月8日(現地時間1941年12月7日)、日本軍ハワイ真珠湾攻撃を皮きりに開戦。主に太平洋と東南アジアで戦闘が始まった。

しかし、宣戦布告の伝達が重なった手違いから攻撃後の宣戦布告となってしまい、米国民の反日感情は大きく上げてしまうことなってしまった。


経過

初戦は日本優勢で、日本軍はイギリス支配下のシンガポールビルママレーシアやアメリカ支配下のフィリピン、オランダ植民地のインドネシアなどを次々と占領。日本はアジアの欧米による植民地解放と独立を目的とした「大東亜共栄圏」を掲げ、マレー沖海戦で英海軍を壊滅させた。


しかし、1942年(昭和17年)のミッドウェー海戦連合艦隊アメリカ海軍に敗北し、多くの空母戦闘機にベテランパイロットを失った。これを境に戦局は変化。アッツ島守備隊の玉砕ガダルカナルレイテ沖海戦サイパン第三次ソロモン海戦などで連合軍の物量に圧倒され、各戦線は次々と敗退した。

1944年(昭和19年)、ビルマからインドへのインパール作戦も大量の死者を出し大失敗に終わった。


末期

昭和20年2月には硫黄島の戦いで両軍で多大な戦死者を出し、4月には沖縄に米軍が上陸し、沖縄戦で多くの沖縄県民が犠牲になった。この時に戦艦大和が沖縄へ向かう途中に撃沈。本土の多くの都市が空襲や艦砲射撃などで破壊された。日本では本土決戦を覚悟して備えていた。

3月10日東京大空襲東京が焼け野原になり、8月6日広島市8月9日長崎市に史上初の原爆が落とされ、甚大な被害となった。8月9日にはスターリンのソ連も日ソ中立条約を一方的に破棄して対日参戦し満州などに侵攻。


降伏を要求するポツダム宣言を受け調整していた鈴木貫太郎首相は受諾を決定し、8月14日に御前会議で昭和天皇の終戦大詔が下り、8月15日に玉音放送で終戦となり米英との交戦はほぼ終了したが、ソ連軍が樺太・千島列島への侵攻を続けたため、樺太や占守島ではこの後も激しい戦闘が続いた。

最終的には、9月2日に戦艦ミズーリ号甲板で降伏文書が調印された。この戦争では日本国内外の多くの人々が犠牲になった。


戦後

日本はアメリカを中心とするGHQによる占領統治を受け、台湾朝鮮などの国外領土及び連合軍の定めた島嶼(沖縄等)を放棄。天皇は存続し、東京裁判で東條をはじめとする戦犯が死刑判決を受けた。五大改革によって財閥解体や農地解放など政治や経済が一新され、日本国憲法が発布。戦後の日本が構築された。

その一方で、アジア各国は独立して帝国主義植民地の時代は終焉。ソ連を中心とする共産主義陣営と米国を中心とする民主主義陣営の冷戦の時代へと移り、日本はサンフランシスコ条約の下に主権を回復して西側陣営に加わった。


関連タグ

第二次世界大戦 大東亜戦争

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