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Chara(Undertale)の編集履歴

2023-10-08 10:59:42 バージョン

Chara(Undertale)

きゃら

RPG『Undertale』の登場人物。全てはこのニンゲンから始まった。

※本項目には「Undertale」の全てのルートに関わる重大なネタバレが記されています。

※物語の最も核心に迫る内容であり、未プレイ・一部ルートのみクリアした方の楽しみ、あるいは感動を強く削ぐ可能性があります。閲覧は全て自己責任でお願いします。






















































✖️MERCY

「ごきげんよう。」

「私は___」


概要

通常のプレイの1周目では、まず出会うことが無い人物。

主人公と同じ背格好であり、主人公と同様に性別は不詳だが、無表情に見える主人公とは対照的に目は茶色でぱっちりとしていて、口元は常に可愛らしい笑みを浮かべている。さらに色白でピンク色の頬をもつ。服の色はアズリエルが来ていた服と似ているが、濃い緑色と1本のボーダーの色は明るいベージュ色のものである。

ちなみに、この服の色は主人公の服の補色になっているため、ペイント等のお絵かきツールで服の色を反転させると、お互いの色となる。


その素性は地下世界に落ちてきた最初のニンゲン(First Human)。落下時にケガをしていたため助けを呼んだ所、救助にやってきた地下世界の王子アズリエルと友達になり、国王夫婦の養子へと迎え入れられた。ところがある日重病を患い、アズリエルに地上へ連れて行ってほしいと最後の願いを頼み込んで息を引き取った。その後、この頼みを聞き入れたアズリエルまでも地上で重傷を負って死亡する事件が発生したのをきっかけに、バリアの破壊に必要な7つの「タマシイ(SOUL)」を回収するために落ちてきた人間はもれなく殺害する方針へと決定された。

以上を以って、Undertaleの世界観と物語のきっかけを作った登場人物だと言える。


なぜ出会わないかというと、かなり特殊な条件を経なければ決して眼前に姿を見せないため。

  • Nルート:終盤に存在が明示され、素性も知らされるが、既に故人であると判明。名前は明かされない。
  • Pルート:終盤にプレイヤーが名付けた名前であることがわかるものの、故人であるため回想シーンに姿だけの登場。
  • Gルート:主人公による徹底的なモンスターの虐殺という異常事態の果てに、本来ならば死亡したはずのこの子供が蘇り、終盤にプレイヤーが名付けた名前を名乗りながら姿を見せて語りかけてくる

名前について

Pルート・Gルートで共通して明かされる、実は名付けた相手は主人公ではなかったと判明した事実は多くのプレイヤーへ衝撃を与えた。


このミスリードはゲームの最初から丁寧に仕掛けられており、ゲームを開始する時の名前入力の際に表示されるメッセージが「おちたニンゲンに なまえをつけてください」であり、ゲームの主人公の名前を決めろとは言っていなかったのである。主人公も「おちたニンゲン」の1人ではあるが、作中では「おちたニンゲンは他にも何人かいる」ことが徐々に明かされていくため、全てを知った後でこの名前入力画面を再確認するとその絶妙なニュアンスに驚かされるだろう。


ニンゲンが地下に落ちてきたというオープニングの後にこのメッセージが出てきて、それが主人公ではない別の者のことであると初見で気づける者はまずいないという、物語導入の固定観念を根底から覆すつくりになっている。


しかし、この子供の名前が『Chara』あるいは『キャラ』であるという資料はゲーム本編中に明示されることはない。

それがなぜこの名前で呼ばれるようになったかというと、本作ではニューゲームの名前入力画面で作中に登場するNPCの名前とかぶった場合、警告されて止められたり、言及はされるが許可されるという「特別な反応」が返ってくる。ところが、そこに『Chara』あるいは『キャラ』と入力した場合のみ【The true name.(ほんとうのなまえ。)】という「ナレーションみたいな反応」が返ってくるので、これが便宜上「Chara」と呼ばれる根拠となっている。


ちなみに主人公の名前は、Pルートの終盤でしか明かされない。

作中通して周囲のモンスターたちは主人公のことを単に「ニンゲン」と呼ぶか「キミ」「あなた」などの二人称で呼ぶのだが、人間が他にいないことから名前を呼ばれなくても特に疑問を感じないよう作られており、プレイヤーが真相に近づかないよう巧みなミスリードをされている。

Pルートの終盤にて『Frisk(フリスク)』と判明する。


なお、最初の名前入力画面で「Frisk(フリスク)」と入力させて同じ名前のニンゲンを作ろうとしても、高難易度の『ハードモード』が始まり、いせきを突破した段階でメタ的なギャグエンドへ突入してゲームが終わるため、同名人物同士を出会わせることはできない。


名前の入力画面で訊かれる言葉「おちたニンゲンに なまえをつけてください」を英語の原文で見ると“Name the fallen human.”であり、『fallen human』は直訳で「落ちた人間」だが、「亡くなった人」という意味合いもある。

これは主人公を名付けると見せかけたミスリードであるだけでなく、原文ではすでに死んだ子供を名付けるというダブルミーニングでもあった。


「Chara」の発音について

Charaの発音は、海外においては複数の地域で一般的な名前でもあるためか「チャラ」「カーラ」「カルラ」など様々な発音で呼ばれている。

日本人ではこれを「Character(キャラクター)」の頭の言葉をとって「キャラ」と呼ぶ者がいるかもしれないものの、この場合英語的な発音では明らかにおかしいが、原作者トビー・フォックス氏が自ら和訳監修している公式日本語版でも『キャラ』という表記が採用されている。つまり、日本人に対してはこの発音でないと意図が伝わらないと原作者は考えている事になる。このことから、架空登場人物を指す「キャラクター」こそが名前の由来なのだと思われる。

「Character」の略はネイティブな英語では一般的に「Char」(英語ではチャー、フランス語ではシャー)なのだが、これを人名っぽくしたものが『Chara』という事なのだろう。

前述で示されるように『キャラ』という人物がこのゲームのプレイヤーである「あなた」を認識し、ゲームとリアルを区別できる存在として描写されていることから、『キャラ』という名前自体にメタフィクション的な意味合いが込められているとも考えられる。


サンズパピルスが文字・フォントのデザイン名から来ていることから、フォントの「Character」の短縮の意味合いもあるかもしれない(但し、サンズ達は自身のフォントに「Comic sans」が使用されているが、「Character」はキャラが喋る場面では使用されていない)。


関係性は不明だが、Charaはギリシャ語で「χαρά(古代→kʰarǎ:カラー、現代→xaˈra:ハラ):"歓喜"の意」のラテン文字表記でもある。また、Charaの海外での発音の一つであるカーラは古代インドサンスクリット語で「काल(kāla):"時間暗黒"の意」で、日本には伽羅(きゃら)として伝わっているともされ、インドでは時間の概念は早い時期から「時を超える者」の名で神格化されている。


性格について

Pルートではアズリエルから「あまり立派な人間じゃなかった」と評されているほか、真実のラボにあるVTRによると重病の真相は意図的な服毒自殺の疑いが強い

意図的な自殺をしたということは、言い換えれば生きていては為し得ない目的があったことを意味しており、実際このニンゲンは死後に自分のソウルをアズリエルに取り込ませることで、「人間とモンスターのソウルを1つずつ用意する」という、バリアから地上へ出るための条件を達成した。

さらに、ソウルをアズリエルに取り込ませたことで「モンスターが人間のソウルを取り込むことで底知れない力を持つ怪物になる」という地底の古文書通りのことが発生するに至った。


アズリエルが地上で重傷を負った原因は、このニンゲンの遺言通りに亡骸を地上へ運んだところ、地上の人々からこのニンゲンを殺した犯人だと疑われて自衛のための攻撃を受けたためだが、その際、ソウルとなってアズリエルの体内に潜伏しながら、アズリエルに対して「人間に対して全力で攻撃するよう指示した」とあり、アズリエルはそれに抗うためには必死の抵抗を必要としたことが判明している。

このことから、人間に対して強い敵意を持っている可能性があるのだが、真相はどうであるのか、そもそも何故人間に全力で攻撃しようと指示したかの理由などは、本人からは言及されていない。


Gルートでは別方面から掘り下げられており、このルートでのみ主に赤い文字でほかのルートにはない意志を持つようなセリフで特定のシーンを上書きされる箇所がしばしば登場するのだが、このルートの最後に蘇った理由として殺害を繰り返して能力値などの数字が増えるたびに主人公の中でこのニンゲンのことが強く感じられるようになったことが明示され、挙句主人公の決定権を完全に奪う。

したがって、主人公の意志を上書きするようなこれらのシーンからは、このニンゲンの素性が垣間見える。


序盤にナイフを探しており、さらに終盤にナイフを「ようやく見つけた」と語るため、もともとの所持品としてナイフがあったことがわかる。また、ハート型のロケットを手に入れた際には「取り戻した」と語るため、これももともとの所持品のひとつだったようだ。


さらに、モンスターに対して「はなしあっても むだだ。」などのナレーションを出すなど、和解を否定するような描写もある。

その影響で、現在の二次創作物は「ナイフを持った、モンスターを容赦無く殺す無慈悲な殺人鬼」のような描写のキャラのイラストがあふれているが、その解釈は本当にただの一部のファンの考察の結果の一つでしかなく、公式には明言されていない。


なぜなら、Gルートを二度以上クリアした場合では主人公にもっと平和な別のルートへ行くことを提案したり、Gルートを何度も周回するような主人公に対しては「お前の感情は理解できない」「お前の心はゆがみ、ひずみ、壊れている」と指摘するなど、虐殺自体が目的であるということに疑問を感じさせる描写がなされている。


個人による考察・解釈を公式情報のように扱ってしまうと、ファン同士の不毛な口論の原因となるので扱いには注意が必要である。

ファンの解釈は様々であり、『キャラ』はファンの想像によって生み出されたと言ってもいい。


各ルート毎で判明することのまとめ

※この項目では便宜上「キャラ」としているが、以下に出す情報は「First Human」及び「Gルートの最後に現れる人間の子供」のことであることに留意されたい。


Neutral(中立ルート)

最終エリアに出現するモンスターたちが『First Human』について言及する。


201X年、イビト山の穴から落ちて地下世界に迷い込んだ『最初の人間』。

落下でケガを負っていた所をモンスターの王子であるアズリエルに助けられ、その両親であるトリエルアズゴアらに家族として暖かく迎えら入れれる。こうして人間はモンスターの王子と親友になり、国王夫婦も人間を本当の子供のように扱い、種族は違えど本物の家族として暮らしていた。


しかしある日、人間は治る見込みのない重病にかかってしまう。そのことを察した人間は、最期の願いとして「故郷の村に咲く金色の花が見たい」と言ったが、モンスターたちにはどうすることもできず、翌日に亡くなってしまった。


親友であった「最初の人間」の死の運命に悲しみにくれたアズリエルは、偶然なのか死した親友のタマシイを吸収してしまい、凄まじい力に包まれて姿が変わる。そのことに気付いたアズリエルは、親友の最期の願いを叶えるべく、新たな力と共に親友の遺体を抱えて地下世界と地上を隔てるバリアを乗り越える。


人間の故郷の村に辿り着いたアズリエルは、村の中央の金色の花が咲き乱れる場所に親友の遺体を横たえた。しかし、地上の人間達は遺体を抱えたアズリエルを「子供を殺害したモンスター」だと思い込み、攻撃を加える。この時のアズリエルは人間を皆殺しに出来るほどの力を持っていたが、彼は人間達に反撃せず無抵抗に攻撃を受け続け、そして親友の遺体を強く抱えて微笑みながら立ち去った。


アズリエルは致命傷を負ってよろめきながら地下世界へと戻るが、城に辿り着いた途端、力尽きてしまい、彼の身体は塵と化して庭園に散ってしまった。一度に2人の子供を失ってしまった両親は泣き崩れ、アズゴアは地下世界に迷い込んだ人間を全て殺す方針を打ち出すことになり、トリエルはその方針には賛成できず何処かへと去ってしまうことになる。


True Pacifist(真の平和主義者ルート)

このルートでのみ入れるとある場所で見ることができるビデオ、およびエピローグ中にある場所に戻ると出会えるアズリエルによって、『彼の親友』の生前について語られる。


実は親友のタマシイを吸収した時、アズリエルの身体の支配権は彼と人間の半分ずつだった。

アズリエル曰く『親友は人類を嫌っており、地上では全く幸福ではない人生を歩んできた』らしい(同時に、詳細については最後まで教えてくれなかったとも語られる)。


地上の人間達がアズリエルに攻撃を加えた際、アズリエルの身体の支配権を半分持っていた親友のタマシイは、空っぽの自分の遺体を起き上がらせ、二人の全ての力を奮って地上の人間達に攻撃を加えようとしていた。しかし、アズリエルはそれに抗って、親友のタマシイを抑え込み、致命傷を負いながら地下世界へと逃げ帰り、そのまま亡くなった。その後、アズリエルはタマシイを失った状態で花の体、フラウィとして転生することになる。

すなわち理解者であったアズリエルがフラウィの姿になるきっかけをつくった人物である。


親友が重病になったのも、バターカップ(セイヨウキンポウゲ)の毒を利用した自作自演の可能性が示唆されている。

何故このような事態を引き起こしたのか詳しい事情は分からずじまいだが、(恐らく『全く幸福ではない人生』が理由となって)他の人間達に対し絶望と強い殺意を抱いており、その結果として、世界そのものを破壊したいと願うほどの邪悪な思いに駆られるようになったと推測している。


Genocide(虐殺ルート)

このルートでは、操作している主人公の周囲への慈愛や関心、一般的なユーモアを理解する心などが薄れていく。主人公が序盤であるいせき内のモンスターを全て殺戮した後、フラウィは主人公をかつてアズリエルだった頃の親友そのものが蘇った存在だと確信する。


また、そのあと時折正体不明の赤字の字幕が挿入されるほか、ホームおよびニューホームにある鏡で自分の姿を確認した際「これは自分⋯◯◯(プレイヤー名、すなわちCharaの名)だ」という独白が入るため自我が部分的にCharaになっている描写があり、モンスターのエンカウント時のフキダシも、パピルスを殺害したあたりから「!マーク」ではなくCharaの笑顔のようなアイコン「=)」へ変化するなど、不気味かつ主人公とは別の何かが主導権を握りつつあると取れる演出がある。

プレイヤーの意志を無視したアズゴア殺害シーンに至っては、「たたかう」のほかに「こうどう」「アイテム」はある一方で「みのがす」のコマンドが最初から存在しない戦闘画面になっている。

なお、フラウィは主人公を蘇った親友本人だと確信はしているものの、そうなった理由については疑問を浮かべており、トリエルが遺跡へ遺体を持ち帰った後、何らかの要因で蘇ったのではないかと独自に推測している。しかし最終的には主人公の行動に怯え、アズゴアにトドメを刺して許しを請うものの成す術なく殺害されてしまう。


主人公のLOVE(暴力レベル)が最高潮に達したエンディングでは、プレイヤーの「ケツイ」と「たましい」に呼応する形で過去に死んだはずのその子供は復活し、プレイヤーが敵を殺してEXP(エクセキューターポイント(虐殺ポイント))を得るたびに自身が強くなるのを感じ、その導きによって転生したことに気付いたことを明言している。

その際プレイヤーのことを「相棒」と呼び、「私達は敵を殺すたびに強くなる、数値が増えたときの気持ちこそが自分」「この世界は終わった、次(のゲーム)へ進もう」などのセリフのあとに「一緒に世界を破壊しよう」と提案してくる。この時に提案を受け入れるか否かの選択肢が出現し、「けす」を選ぶと優秀なパートナーだと認められ、世界は破壊される。

だが、このとき「けさない」を選ぶと、

本当のモンスター

真っ赤な画面をバックにこの世のものとは思えない表情でキャラが接近してくるという、初見ではトラウマ級の描写があり、決定権を奪われて結局は世界が破壊されてゲームは終了する

この時、世界そのものを実際に攻撃してみせる形で膨大なダメージ量が画面いっぱいに表示されるが、実に234桁もの「9」が並ぶという天文学的な数値になっている。参考までに、かの無量大数ですら69桁ないし一説では89桁である。その際世界を破壊するほどの威力を表しているのか、画面が(特にPC版ではウィンドウごと)大きく揺れ動く。


Soulless Pacifist(魂無き平和主義者ルート)

ゲームを再起動してしばらくすると、再びこのゲームで遊ぼうとするプレイヤーに対して、先程はパートナーと呼んだのにもかかわらず、見限ったのか軽蔑とも取れるセリフを向けた後、「世界を再構築する代わりにタマシイをもらう」という取引を持ちかけてくる。

これに応じて再構築された世界でPルート(平和主義者ルート)を迎えた際、一緒に暮らす方を選ぶと最後の最後でベッドで眠るフリスクの身体を乗っ取る形で現れる。この際キャラのものと思われる恐ろしい笑い声が響き渡った後にゲームは暗転。

一方、集合写真が画面に映し出される方(元の世界に戻る選択肢)を選ぶと、その写真に映っているメインの登場人物達の顔の部分が赤い✗印で潰され、中央に居たフリスクもキャラに置き換わる。そしてラストの「THE END」の表示も赤文字になるうえに、BGMも不気味な「In My Way」に変貌してしまう。

いずれにせよ、Gルートを経ていなければハッピーエンドのはずだったPルートのエンディングは、Gルートを経たが最後、後味が悪く恐ろしいものに変わり果ててしまう。

このことから、Gルート未達成のPルートをTrue Pacifist(TP)、Gルート経由のPルートをSoulless Pacifist(SP)として区別して呼ばれることも多い。一部では後者をSルートとも呼ばれる。

まったく別の見方をするなら、このエンドはN・P・Gルートを全てクリアした者にしか見られないものである。


「誰も死ななくていいやさしいRPG」という謳い文句に疑問を感じた人も多いだろうが、その謳い文句に完全に背を向けると後が怖いのは間違いない。


二度目のGルート

一度Gルートを完遂した後に再度Gルートを完遂した場合は最初とは異なる反応を見せる。

自己紹介が「いつであろうと、どこであろうと、名を呼ばれれば現れる悪魔」という内容になっており、自分が悪魔であることを明言している。


一方で、何度も殺戮と再生を繰り返すプレイヤーには「理解できない」「お前の心はゆがみひずみ壊れている」と罵倒した上で「別のルートのほうがいいのでは?」と、暗に殺戮をやめてPルートへ進めと忠告を行う。


それでも世界を破壊することに同意した場合の主人公に対しては相変わらず「優秀なパートナーだ」と語っているが、それはすなわちCharaが「ゆがみひずみ壊れた心を持つ理解できない存在をパートナーと認めている」という成り立ちえぬ状況であり、これを深く読み取るとある程度の演技を行っているような描写になっている。


余談

ちなみにGルートをクリアしたというゲーム内のフラグは、現在のバージョンではセーブデータを直接消しても初期化されない。

PS4やSwitchなどのコンシューマ版では内蔵ストレージからUndertaleのデータを丸ごと消去すればさすがに初期化されるのだが、Steam版は本体および本ソフト関連のデータファイルを完全に消去して再インストールしても元に戻る。これだけだとタチの悪いウィルスのようだが流石に違法性はクリアしているはずなので、PCの中におかしなファイルを残しているのではなく、ただ単にSteamクラウドでのバックアップ保存にこのフラグも含まれているだけだと思われる。


体験版からすでにその影あり

体験版にて遺跡を脱出して終了ポイントまで来た場合、タイトルロゴが表示されるわけだが、この時にPルートの流れであればパピルスのゴキゲンなテーマ曲と共にパピルスとサンズの会話が繰り広げられ、Nルートの流れであればグレーの文字で普通の紹介メッセージが出るはずである。

しかしここでGルートの流れであった場合、そのような演出の代わりに、赤文字で“That was fun. Let’s finish the job.”(楽しかった。さあ、仕事を終わらせよう。)という不気味な演出が加わり、BGMもSPルートのラストと同じ「In My Way」になる。

体験版とはいえ、皆殺しを実行したプレイヤーは既にSPルートの片鱗を見せられているのである。

それだけでなく、説明書の画像がすべてこのメッセージで埋め尽くされ、巻末のフラウィの画像も顔のないフラウィになるという、Gルートのラストを示唆する仕掛けも。


考察のポイント

二人の人間の子供

プレイヤーの操作キャラクターである主人公、つまりPルートで「フリスク」と名乗る子どもとの関係性ははっきりしていない。

作中で明かされるのはどちらもストライプのシャツを着た人間の子供であること、しかし見た目がそれほど似ているわけではないこと、strange SOUL resonate(奇妙なタマシイの共鳴)が起きている程度である。作中ではフラウィが関係を推測しているが、本人もその考察は疑問点が残ると言っており、結局どのルートを経由してもこの関係は明かされないまま終わる。


先述の通り、ゲーム内で常に表示される名前がプレイヤーが名付けたものであることと、主人公の「フリスク」という名前がPルートの最後しか出てこないことから、「同一人物がルートによってフリスクとキャラとに分かれる」、「元は別人だったが後から体を乗っ取った」、「最初から最後まで別人」、「キャラの遺体が蘇って別人格を得た存在がフリスク」、などの様々なファンの考察があるものの、やはり公式には明言されていない。


Gルートを歩んでいると主人公がまるでニンゲンではない存在として認識され、特にフラウィからは序盤に「カラッポの存在」という具体的な指摘をされる。さらにこのとき、主人公を「タマシイを奪われた存在」であることを指摘している。カラッポの存在に入り込んだのがキャラという考察も可能で、終盤にハートのロケットを「取り戻した」際に「鼓動が感じられる」というテキストが出るのもこれと照らし合わせると意味深である。サンズにとどめを刺す際・アズゴアを殺害する際には主人公が装備している武器とは関係なくナイフの攻撃エフェクトで相手を斬っており、この点もキャラの意思が主人公とは異なるものとして宿っていることが見て取れる。


また説の1つとして、Gルートの最後に現れるキャラはアズリエル→フラウィと同様に転生した存在であり、「自分の魂と決意は君のものだった」という言葉から、タマシイを失って性格が変わってしまったフラウィと同様、キャラも人格が変化しているのではないかというものがある。当時アズリエルの力を使って人間達を皆殺しにしようとした件も、モンスター達の味方として憎い人間達を滅ぼそうとしたと考えることもできる。また、このルートの確定後はプレイヤーやその他に対するメタ的な言及も増加していくことも特徴的である。


名前の変わる装備品

ストーリーで入手できる装備品は、各々がかつて地下世界に来た人間たちの落とし物であるという考察がある。その上でキャラのものだと思われるものはニューホームの子ども部屋に置いてある箱から入手できる「ハートの形をしたロケットペンダント」と「古びているが本物の切れるナイフ」だと考えられる。


「古びているが本物の切れるナイフ」は武器となっており、N・Pルートでは「Worn Dagger(ふるびたダガー)」、Gルートでは「Real Knife(ほんもののナイフ)」という名称で入手される。「Worn Dagger(ふるびたダガー)」の名称と説明文からすると、刃物の用途としては、両刃の園芸用ナイフだと思われる。(花を摘むときに使用したのだろうか?)

Gルートの序盤で、ホームの台所をチェックすると「ナイフはどこだ」と赤文字で反応する。終盤で入手し、装備した際には「About time. (ようやく みつけた。)」と喜ぶ反応を見せる。このことからもナイフは元々愛用品、所有物にあったことが分かる。


「ハートの形をしたロケットペンダント」は防具となっており、N・Pルートでは「Heart Locket(ハートのロケット)」、Gルートでは「The Locket(ロケット)」という名称で入手される。「Best Friends Forever.(ずっと ともだち)」という文が防具に書かれており、Gルートでは「You can feel it beating.(こどうが かんじられる。)」と出る。


なお、Gルートで入手できる「Real Knife(ほんもののナイフ)」と「The Locket(ロケット)」はそれぞれ作中で数値上最強の武器・防具となっているが、入手タイミングの関係上ゲーム内でその性能をまともに活かせることはない。


様々なファンによる考察

Undertaleの『悪意の権化、絶対悪諸悪の根源』などとして、初期の頃にファンによってそのような位置として設定されることが多かったキャラであるが、最近は国内外で新たに考察が進んだことにより、その認識は変化しつつある。


以下は主にファンの考察による推測である。


  • ナレーション=キャラ説

モンスターのステータスやアイテムの効果など、ナレーションは主人公やプレイヤーが知り得ない情報を知っているため、かつて地下世界で生活をしていたキャラが背後霊のようにくっついて助言をしているというもの。これは鏡を調べたときの文章やレッサードッグをなで続けたときのナレーションなど、明らかに主人公やプレイヤーと全く別の人格がナレーションをしていることから推測される。またアズリエル戦でのみ、敵の繰り出す技に詳しかったりナレーションの心理描写が多くなるなど、他のモンスターとの戦闘とは明らかな違いがあることから、ナレーターがアズリエルと親しい関係にある人物であることも推測できる。

唯一の疑問点といえば、知り得ないはずのアマルガムに関して説明できることくらいだろうか…。


他には、通常の方法では入れない部屋にて「ブキミなかおをしたニンゲンがうしろにいる」ということを、草むらの中にいる謎の人物に言われている。(なぜかこういった部屋の一部は公式でも翻訳されている。)


  • 親友との思い出

アズリエルとの最後の戦いの時に、フリスクとプレイヤーは思い出を頼りに友達をふっかつ(SAVE)させる必要がある。しかし最後に救うべきであるアズリエルとの思い出はフリスクにもプレイヤーにも一切無い。


そこに突如として蘇った遠い昔の記憶、アズリエルとの友情の記憶はキャラ以外に持つ者はいないはずである。アズリエルをふっかつ(SAVE)させるすることができたのは、フリスク・プレイヤー・キャラの三人の決意が一つになった結果であるのかもしれない。またこれ以降、アズリエルは初めて主人公をフリスクと認識し、キャラが既に死んだことを認める。キャラの影響力が極小になり、消失、あるいは成仏したかの様にもとれるが、戦闘画面においては最後まで「キャラ LV1」のままである。無難な線としてフリスクが戦闘画面に入らなければ意味を成さないのがLV(LOVE)であり、それがフリスクによるキャラへの鎮魂なのか、LV(LOVE)を抱えたキャラはなおもずっとそこに居続けるフリスク≓キャラという事なのか、或いはその両方なのか詳細は定かではない。


  • Gルート

Gルートの最後に復活し顕現するキャラの言葉によれば、「なぜ自分が生き返ったか最初は分からなかった」「共に敵を殲滅して数字が大きくなることにより力を得たので復活できた」とのこと。主人公とキャラが共に虐殺を進めた末の結果であるため、キャラ1人の意志ではない一方、主人公やプレイヤーの意志だけでもない。前述のサンズへのとどめ・アズゴア殺害時にキャラが独自に用意した武器で斬っていることからもこれは明らかである。


  • 取引までの「空白の10分間」

Gルートを最初にクリアした後の再起動時は、暗闇が10分も続くが、これはPルートのエンディングの所要時間とほぼ重なっていることから、この10分間が「本来ならエンディングに充てられるはずだった時間であり、登場人物が皆殺しにされているため紹介できるものが何もない」という考察がなされている。


  • 二度目のGルートとG→Pルート

二度目のGルートでは自己紹介が「名を呼ばれれば現れる悪魔」という内容になっている点だが、人間は生きている他の人間のソウルを奪う能力など持たないため、単にニンゲンとして蘇ったのではなくヒトではないナニカとして生まれ変わったことになる。

そのような人物の意識がGルートを歩む主人公に顕現するあたり、主人公がニンゲンとは認識されない場面が多い点が腑に落ちる一言であると言える。


一方、何度も殺戮と再生を繰り返すプレイヤーに「お前の心は壊れている」等の罵倒を浴びせたりPルートへの誘導を行う点は、ゲームの攻略対象としてもうGルートに目新しいモノはないとプレイヤーのパートナーとして暗に教えてくれているほか、既に主人公のタマシイは頂いているため取引無しで世界の再構築をしている。

最初の世界破壊後は、取引前に「この世界を壊したのはお前の選択だった」「お前は自分のやったことのツケを払わずに済むと思っているのか」と言っているが、世界を破壊しない選択を主人公が選んでもCharaは問答無用で決定権を奪って結局破壊するため、虐殺までは主人公の選択であっても、世界の破壊が主人公の選択だったとは言い切れない。主人公が同意したとしても最初に破壊を提案したのはCharaである。

そのような強い非難が2度目以降は一切無いあたり、この非難は主人公を責める形でタマシイを貰う取引に持っていくための口実であったとみられる。タマシイをもらったCharaにとっては、主人公にPルートを歩んでもらった方が地上に出る手段を得られるため都合がいいのであって、Gルートにはもう用はないのである。

Gルートの初回クリア時に「こんな世界は消して次へ進もう」と言っている点を見ても、Gルートはあくまでも通過点であることを匂わせている。


そんな主人公への「理解不能な相手をパートナーにする」という破綻した判断も、詭弁ならば腑にも落ちるわけで、上記の目的達成まで辛抱強く待ち続けるケツイを感じさせる。


結果としてSPルートではエンディングでキャラの意識が主人公に顕現するわけだが、同じ条件でもNルートではそのような描写はない。つまりNルートでは目的を達成できず、SPルートならば目的を達成できるとするならば、違いはモンスターが地上に出ていることである。すなわち、キャラにとってはモンスターと一緒に地上へ出る必要があるということになる。

この不気味なエンディングでも、その後フラウィはTPルートと同じく「みんなしあわせになれた」「これからはへいわでゆたかになる」「フリスクのしあわせをうばわないで」と忠告していることから、どうも主人公とモンスターは幸せかつ無事に地上ライフを満喫しているようなのである。

違いがあるとするならば、キャラに攻撃の矛先を向けられた人間たちの行く末だけがTPルートとSPルートで変化するのかもしれない。


或いは、SPルートのエンディングの不気味な変化については、プレイヤーのみに向けられたメタ的な観点でプレイヤーへの当てつけの意味が考えられる。

SPルートにて「かえるべきばしょがある」を選択した場合は最後の集合写真に✗印が塗られるが、キャラによって再構成された世界だからこそプレイヤーへの当てつけをしたとも考えられる。

この集合写真について「撮影後にモンスターを皆殺しにした暗喩なのでは?」という説も見られるが、それだとフラウィの「みんなしあわせになれたみたいだね」という発言と辻褄が合わないし、殺す前提ならPルートでしか顕現しない状況と合致せず、なんならモンスターたちを塵にしてから写真撮影をしたほうが説得力がある。


何度も辞めるように説得してきたモノ達を踏み躙ってまで一度Gルートを完遂した癖に「平和」を求める、プレイヤーに対する皮肉と嘲笑を込めた「皆殺しにしたプレイヤーにハッピーエンドなど見せない」という意思表示であるととれる。Pルートのフラウィーのセリフ「これはただのゲームさ」「てがとどきそうでとどかないところにゴールをちらつかせて…キミがそこに辿り着きそうになったらズタズタに壊してやる」に通ずるものがある。


どこまでもこの世界はゲームであるという事の提示であろう。Gルートを見たプレイヤーにとって「平和主義者ルート」とは、そしてかつて行った「虐殺」でさえ、見たことがない結末を見たい、ただそれだけで選んだだけの選択で、その程度の価値しかない「ケツイなき選択」なのだろうと。(通称:魂無き平和主義者ルート)


  • BGM「In My Way」

Gルートではモンスターの子との戦いやフラウィとの会話で使われ、SPルートのエンドロールでも使われている不気味なBGMだが、実はこれらのルートに入らなくてもプレイヤーはこの曲を聴いている。なぜなら、エンドロール版のBGMを5倍速にすると、最初のチャプターで戦ったマネキン戦のBGMになる

モンスター達をマネキンのように破壊するが如く残虐なCharaのテーマと言えるのかもしれない。


  • 当たり前のように「漢字」をセリフに使う唯一の登場人物

本作の公式日本語版における登場人物の数々は、そのセリフをほとんど「ひらがな」「カタカナ」で構成し、たとえ難解な話題であったとしても漢字というものをほとんど使わない表現がなされている。

Charaはその中において特筆すべき例外であり、当たり前のように漢字を使用する。他の疑問点とは異なり、言うまでも無く海外の考察にはほぼ出てこない点であるが、モンスターは成熟した大人であっても漢字をほぼ使わないので、精神年齢との関連性は薄い。

そんな中、地底の古文書には普通に漢字を使った文章が書かれているのである。つまり、Charaが生きていた201X年頃とFriskが旅する時代とでは、言葉の文化や文明に決定的な変化があった可能性がある。


Megalo Strike Back

直訳すると「誇大した逆襲」。『Megalo』はギリシャ語である。

曲名がGルートラスボス戦闘曲「MEGALOVANIA」に似て造語のようであることや、危なげな曲調の雰囲気がキャラにしっくり来ると一部のファンの趣味で、主に二次創作であるAUにて『キャラのテーマ』としてファンから扱われることが多い曲である。


しかし本曲そのものは公式にはキャラと一切関わりがない

この曲の初出は2012年に『MOTHER2』の音源で作られたファンアルバム「I Miss You - EarthBound 2012」でTobyFox氏が制作・提供したもので、そもそも「MEGALOVANIA」以上にUndertaleとは関係がない。

ちなみに元はどのようなものかというと、MOTHER2の起動後、OPの最初にでてくるギーグが地球に逆襲してきたシーンのBGMのリミックスだった。


本来は、この曲の最初にあるおどろおどろしい曲調の部分がMOTHER2のOPのアレンジなのだが、該当パートはカットされてピコピコした曲調の箇所からが使用されていることが多い。

Toby Fox - Megalo Strike Back(上記アルバム配信サイトでの公式試聴)


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関連タグ

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表記ゆれ

Chara キャラ


検索の際の備考

pixivにおける作品へのタグ付けは、本項のタグよりも「Undertale」「Chara」の組み合わせの方が多く、大文字小文字も異なることがあるため、検索キーワードをこの組み合わせにしたうえで検索オプションを「タグ(部分一致)」とするとより多くの作品が見つかります。



  • ウボァゆめにっきのキャラクター。虐殺エンド後にプレイヤーを乗っ取ろうとする時に前述の恐ろしい表情を見せるが、その時の顔がそっくり(W.D.Gasterも同じくそっくり)。
  • オルステッドライブアライブのキャラクター。下村陽子氏とトビー・フォックス氏の対談によると、中世編のストーリーがUndertaleに強く影響を与えた部分があり、「最初に出会ったプレイヤーキャラクター」という形で言及されているため、この登場人物に影響されてCharaが作られた可能性が高い。そちらもそちらで大変なネタバレなので注意。


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