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イギリス海軍の艦名。ギリシャ神話の原初の幽冥を神格化した暗黒神エレボス」に由来。

曖昧さ回避

ヘクラ級臼砲艦「エレバス」

1826年建造。全長32m、排水量372tの帆船で、330mm臼砲×1、254mm臼砲×1、24ポンド砲×8、6ポンド砲×2を装備。

1840年11月21日、同級の「テラー」と共にタスマニア島から南極探検(隊長:ジェームズ・クラーク・ロス)に出発。

1841年から43年にかけて探査を続け、ロス島で発見した活火山の一つがエレバス山(標高3,794m)と名づけられた。

1845年、25馬力の蒸気機関が搭載され、汽帆船となる。

5月19日、テラーと共に北西航路を完成するための北極探検(隊長:ジョン・フランクリン)に出発。グリーンランドのディスコ湾からビーチー島に向かい、コーンウォリス島を周回した。

1846年夏、プリンスオブウェールズ島サマーセット島の間のピール海峡を下ってブーシア半島の西へ出て、キングウィリアム島近くに至り、氷に閉じ込められた。

1847年、缶詰ハンダ付け不良による鉛中毒ボツリヌス菌による食中毒ビタミンC欠乏による壊血病などで船員が多数死亡。フランクリン隊長も6月11日に死亡した。

1848年4月、生存者は船を放棄。副官フランシス・クロージャーに率いられて氷上を南下するが全滅。人肉食が行われた。

1854年、ハドソン湾会社ジョン・レイ隊は毛皮を求めてブーシア半島を探検中、現地のイヌイットから白人集団が餓死したという話を聞き、フランクリン隊の遺品を見せられた。

1869年、チャールズ・フランシス・ホールがイヌイットに聞き取りを行い、キングウィリアム島南部でフランクリン隊の宿営跡が発見された。

2014年9月7日、ビクトリア海峡の海底でフランクリン隊のものと思われる沈没船が1隻発見された。発見された船が「エレバス」か「テラー」かは不明である。

エレバス級モニター艦「エレバス」

イギリス海軍のモニター艦(幅広の船体による安定性に重点を置き、航行能力は最低限。戦艦よりも吃水が浅く、沿岸部に接近して火力支援するための艦)。同級に「テラー」がある。

主砲にはリヴェンジ級戦艦と同じ「Mark I 38.1cm砲(ただしモニター艦「マーシャル・ネイ」の主砲として積まれていた物)を流用。「エレバス」の主砲身は後に戦艦「ヴァンガード」の主砲に流用された。

性能諸元(1916年)

基準排水量7,200t
全長123.4m
全幅27.0m
吃水3.56m
機関重油専焼水管缶×4基、三段膨張型レシプロ機関×2基、2軸推進
最大出力6,000hp
最大速力12.0kt
乗員315名
兵装
  • Mark1 42口径38.1cm連装砲×1基
  • 45口径15.2cm単装速射砲×2門
  • 45口径7.62cm単装高角砲×1門

艦歴

1914年7月28日、第一次世界大戦が勃発。

1915年10月12日起工、1916年6月19日進水、9月2日就役。

1917年10月28日、ドイツ海軍のFLボート(有線リモコン式自爆艇)の攻撃で損傷。

1919年、ロシア内戦干渉のため、白海バルト海艦砲射撃を行う。

戦間期は砲術訓練艦として活動。

1939年8月、ケープタウン南アフリカ)に警備艦として配備するための改修工事が終了。

9月1日、第二次世界大戦が勃発。

1941年、地中海東部へ配備されることになったが、航海中に日本が参戦したためインド洋への配備に変更。

1942年3月2日、トリンコマリー港(スリランカ)に到着。警備艦となった。

4月9日、日本軍によるトリンコマリー空襲で至近弾により損傷。イギリス東洋艦隊と共にキリンディニ港(ケニア)へ退く。

9月10日、マジュンガマダガスカル)への上陸作戦(ストリーム作戦)に参加。

1943年7月10日、シチリア島(イタリア)上陸作戦(ハスキー作戦)に参加。

7月20日、ドイツ軍の爆撃により6名が死亡。

1944年6月、ノルマンディー上陸作戦に参加。陸上目標への艦砲射撃を行う。事故により主砲1門を損傷。

1944年9月10日、ル・アーヴル港奪還(アストニア作戦)に参加。沿岸砲台の砲撃により損傷。

11月1日、ワルヘレン島オランダ)上陸作戦(インファチュエイト作戦)に参加。

1946年7月、スクラップとして売却。

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