概要
1966年から2004年まで製造・販売が行われた。2011年にアジア向け車種の名称という格好で“復活”している。
車名は英語の晴れや太陽の光に由来し、一般公募による総数848万通以上の中から選ばれた。
大衆車として1960年代後半から90年代にかけてはトヨタ自動車のカローラと共に日本の大衆車の双璧を担い、「CS戦争」と呼ばれるほどの熾烈な販売競争を繰り広げたライバル同士であった。
ノッチバックセダンを中核として、年代によってクーペ、ハッチバック、ステーションワゴン、ライトバン、ピックアップトラックなどの様々なボディタイプの派生モデルが展開されていた。
歴代モデル
初代・B10型(1966年−1970年)
1,000cc直4・OHVのA型エンジンを搭載し、同年11月発売のカローラと共に高度経済成長期のマイカーブームを支える人気車種となった。発売当初の乗用モデルは2ドアセダンのみの設定だったが翌年に4ドアセダン、1968年には2ドアクーペが新たに追加された。
ピックアップトラックモデルは1971年まで販売される。
なお、車名発表会には日産中興の祖・鮎川義介が降臨したという。その一方で、当時の日産の社長・川又克二は、ブルーバードと被りかねない本車種の開発には消極的だったという(なにしろ「貧乏人は中古のブルーバードを買え」と言い放ったとされる)。そのため開発陣は本車種を商業車として開発すると社長に説明した上で何とか首を縦に振ってもらったほどであった。結果(カローラにしてやられたとは言え)商業的に成功したことで社長は開発陣に謝ったそうな。
2代目・B110型(1970年-1973年)
一回り大型化した車体サイズと1,200ccのA12型エンジン、テレビCMでの「隣の車が小さく見えま~す」のキャッチコピーでカローラに対抗し、モータースポーツにおいても長く活躍した。
1971年にはブルーバードと同じ1,400cc・OHCのL14型を搭載した上級シリーズとなる「エクセレント」が追加される。
ピックアップトラックモデルはB110型の販売終了後も改良を重ねて、日本国内向けは1994年、海外向けは2008年まで販売された。
またエクセレント・クーペをベースとしたロータリーエンジン搭載バージョンが開発されており、1972年の東京モーターショーで披露もされたが、オイルショックの影響などもあって市販化はされなかった。
3代目・B210型(1973年−1977年)
外装デザインが当時のブルーバードやバイオレットにも通じる曲線を多用したものに一新され、1975年には排気ガス浄化システム「NAPS」を採用して当時の排気ガス規制に対応したものに改良された。
エクセレントのクーペはテールライトの形状から「ロケットサニー」の愛称でも知られる。
そのエクセレントは途中で排気ガス規制対応のためL16型1,600ccエンジンとなったため、レギュラーグレードにA14型1,400ccエンジンを追加している。
イメージキャラクターは発売時の大石吾朗を経て、1975年より関口宏とカミさんの西田佐知子に交代、後にオヤジの佐野周二もCMに登場した。
4代目・B310型(1977年-1981年)
2代目・B110型を意識した直線基調の外装デザインに戻る。
エクセレントは廃止され、後継モデルとしてバイオレットの兄弟車となるスタンザが登場する。
1979年1月には歴代初となるステーションワゴンの派生車「サニーカリフォルニア」が追加され、同年10月のマイナーチェンジでフロントデザインがスラントノーズに変更された。
1980年11月のマイナーチェンジでは、それまでのエンジン排気量が1,300ccと1,500ccに拡大。さらにイメージキャラクターに松坂慶子を起用した。
ライトバンモデルは1983年まで販売される。
CMキャッチコピーは「ひろびろサニー」、「私の、理想のタイプ」。
5代目・B11型(1981年-1985年)
駆動方式がそれまでのFRからFFに変更され、搭載されるエンジンも同年春にマイナーチェンジされたN10型パルサーから投入された新世代のE型に変更される。
1982年1月に内外装をグレードアップしたモーター店向けの兄弟モデルとなるローレルスピリットが発売。同年9月にはE15E・T型ターボを搭載した「ターボ・ルプリ」と、新開発となる1,700ccのCD17型を搭載したディーゼル車が追加される。
1983年10月のマイナーチェンジでクーペ仕様車を廃止(海外向け仕様では継続)、3ドアハッチバックに切り替わった。
ライトバンモデルに関してはB310型が1983年7月まで継続販売され、後継モデルとして1982年9月発売のADバンに移行される。
CMキャッチコピーは「魅力フルサイズ、Sunny,My Love.」。先代末期に引き続き松坂慶子をイメージキャラクターに起用し、ターボ追加時には時任三郎も加わった。
6代目・B12型(1985年-1990年)
外装デザインをより直線基調としながら、車体剛性を強化。
「トラッドサニー」の愛称で人気を博し、雪の積もりやすい寒冷地でのニーズに応えてパートタイム4WD仕様車も新たに設定された。
1986年2月にはクーペの派生車サニーRZ-1が登場。
同年8月には1,600ccDOHCのCA16DE型ツインカムエンジン搭載車が、その翌月にはフルタイム4WD車が追加され、1987年のマイナーチェンジでは1,500cc車のエンジンが新開発のGA15型に変更された。
7代目・B13型(1990年-2017年)
外装デザインは先代・B12型のイメージを踏襲しながら、ガソリン車に搭載されるエンジンがDOHCに改良された。イメージキャラクターには前期型に陣内孝則と伊丹十三、後期型では一色紗英が起用された。
3ドアモデルは廃止され、兄弟車としてNXクーペが登場。
サニーカリフォルニアに関しては同年10月にモデルチェンジするも、2代目ADバンの兄弟車となった。
その後1996年にウイングロードに改名し、2018年3月まで3代にわたって販売。
日本では1994年に販売が終了するが、メキシコではダットサン・ツルの車名で2017年7月まで販売された。
8代目・B14型(1993年−1999年)
ラインナップは4ドアセダンのみとなった。
1,500cc車は10モードでリッター19.2kmの低燃費を実現。発売当初のキャッチコピーである「12miles SUNNY」は燃費数値から由来した。
これまでサニーの生産をしてきた座間工場(神奈川県座間市)の事業整理に伴い、1995年までに当時の九州工場(福岡県苅田町)に移行される。
九州工場はその後日産の子会社として分社化された。
また1994年から2000年まで販売されたクーペ型の兄弟車ルキノのサブネーム(前期型のみ)にも使用されていた。
9代目・B15型(1998年-2006年)
B12型~B13型を意識した外装デザインに戻り、新型プラットフォームや新開発エンジンを新たに採用。
前期型に設定されたスポーティーグレードの「VZ-R」は、最高出力175馬力を発生する1,600cc・DOHCのSR16VE型の搭載となる。
2004年10月に日本での販売が終了。
2006年には国外での販売も終了し、40年の歴史に幕を下ろした。
その後
2011年以降、日産の海外専売セダン・アルメーラ(3代目以降)のアジア向け姉妹車として販売されている。ただし、3代目アルメーラに関しては日本市場でもラティオという名称で販売された。
その他
サニーには多くの派生車種や兄弟車があり、7代目B13型のプラットフォームはラシーンに流用(型式が"RFNB14"だったことから8代目・B14型とされる説もある)され、9代目B15型は光岡自動車の2代目リョーガのベース車となった。
また元々「サニー」はソニー株式会社が登録した商標であったが、事業に支障がないと判断されたらしく日産への使用許可が下りている。