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ルイ・ヴィトン

るいゔぃとん

フランスのファッションブランド「ルイ・ヴィトン・マルティエ」の事。世界最大のファッション企業。
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曖昧さ回避編集


ルイ・ヴィトン(人物)編集

ファッション・ブランド「ルイ・ヴィトン」の創設者。職人であった。


1821年8月4日、スイスとの国境に近いアンシェイ村で誕生。

1831年、生母が出産後に死去。

1832年、父が再婚。継母から虐待を受ける。

1835年、家出して1年以上かけてパリに向かう。道中はレストランのボーイや馬屋番など様々な仕事をして路銀を稼いだが、特に興味を持ったのは故郷にはない木材であった。

1837年、荷造り用木箱製造職人兼荷造り職人のマレシャルの見習いとなる。荷造り用木箱は貴族の間に流行した大きく広がったスカートクリノリン」の形を崩さずに運ぶための物であった。

1830年、オルレアン家ルイ・フィリップフランス国王即位七月王政)。

1831年、王室御用達の荷造り用木箱職人となる。荷造り職人としても活躍。ユージェーニー皇后から贔屓され、専属の荷造り職人となった。

1848年、七月王政が倒れ、第二共和政となる。ルイ・フィリップはイングランド亡命ルイ・ナポレオン大統領となる。

1852年、ルイ・ナポレオンがナポレオン3世として皇帝に即位(第二帝政)。

1854年、マレシャルの元から独立し、パリのキャプシーヌ通りに自らのアトリエ「ルイ・ヴィトン」を持つ。ヴァンドーム広場に近く、ファッションに興味を持つ旅行者が多く訪れた。当時のトランク馬車に積むのが前提で非常に重かったため、防水加工を施したコットンキャンバス製の軽いトランク「グリ・トリアノン・キャンバス」を開発。鉄道の利用が進んでいた時代に合わせ、上部を平らにして積み重ねられるようにした。

1857年、息子のジョルジュ・フェレオル・ヴィトン(1857年7月13日~1936年10月26日)が誕生。

1859年、「グリ・トリアノン・キャンバス」は大ヒットし海外からも発注が殺到したため、セーヌ川沿いのアニエール=シュル=セーヌに新工場を建設し、本拠地とする。

1867年、パリ万国博覧会が開催されて海外からも多くの旅行者が訪れたため、ルイ・ヴィトンは船旅に適した「ワードローブ・トランク」を発売。探検家ピエール・ブラザスペイン国王アルフォンソ12世など多くの著名人を顧客に持った。

1870年、普仏戦争が勃発。ナポレオン3世はセダンでプロイセン軍の捕虜となり、第二帝政は終焉。パリで市民が市庁舎を占拠し、ルイ・ジュール・トロシュ将軍を首班とする第三共和政となる。

1871年、プロイセン軍がパリを包囲しフランスは降伏。アニエール=シュル=セーヌの工場が破壊され、ルイ・ヴィトンはパリに本拠を移す。大山巌が普仏戦争を観戦するためパリ​​に滞在した際、ルイ・ヴィトンにトランクを注文し最初の日本人顧客となった。

1882年、板垣退助がヨーロッパ外遊中にルイ・ヴィトンでトランクを購入(現存する日本最古のルイ・ヴィトン製品として高知市立自由民権記念館に展示されている)。

1885年、ロンドンオックスフォード通りに店を開く。

1892年2月27日、死去。会社の経営はジョルジュに引き継がれ、ルイの生前以上に繁盛していった。


ルイ・ヴィトン(ブランド)編集

フランススーツケース職人、ルイ・ヴィトンが創業したファッションブランド

世界最大のファッション企業LVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)の中核をなす。

当初は旅行用トランク専門であったが、二代目社長ジョルジュ・フェレオル・ヴィトンによって世界的な企業へと発展し、アパレル全般、などに分野を広げている。


傘下の主なブランド編集

フェンディ ケンゾー ブルガリ ショーメ


沿革編集

1854年、ルイ・ヴィトンが自らのアトリエ「ルイ・ヴィトン」を開く。旅行用トランクの製造を開始。

1892年、ハンドバッグの販売を開始。

1896年、数多のコピー商品に悩まされ、LとVや花柄・星柄などを組み合わせた「モノグラム・ライン」の使用を開始。デザインは日本の市松模様を参考にした。

1900年、アメリカの主要都市に店舗を展開。海に落ちても沈まない防水トランクを開発。

1912年、タイタニック号沈没事故。ルイ・ヴィトンの防水トランクにつかまって助かった生存者がいた。

1936年、ジョルジュ死去。息子のガストン・ルイ・ヴィトン(1883年~1970年)が三代目社長に就任。

1970年、ガストンが死去し、ルイ・ヴィトン社の世襲は終了。

1978年、日本人転売ヤーが跋扈していたため日本進出。東京と大阪に出店し正規の商品を販売した。

1987年、モエ・ヘネシーと合併し、「LVMH」となる。

1988年、マーク・ジェイコブスディレクターとして迎える。

2001年、初のジュエリーチャーム・ブレスレット」を発売。

2002年、初の時計ウォッチタンブール」を発売。


余談編集

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