概要
1909年(明治42年)11月7日、東京府東京市牛込区(現:東京都新宿区)納戸町出身。
本名は池端清亮(いけはた きよあき)。
加山雄三の父。戦前・戦後の日本映画界を代表する二枚目スターの一人である。
豪族禰寝氏(根占・小松氏)の一庶流に生まれる。父は陸軍大佐の池端清武だが、上原が中学生の頃に死亡。直後に本家の当主である伯父が亡くなり、伯父に男子がいなかったため伯父の娘が婿である鹿児島市長・上野篤の東京出張についていき、跡取りにするため養子として迎える話を取り付けたが、上野夫妻が乗っていた特急第1列車(後の「富士」)が安芸中野駅~海田市駅間で崩壊した築堤に突入し脱線(山陽本線特急列車脱線事故)、上野篤は死亡、伯母も両足切断の重傷を負い養子の話は立ち消えとなってしまった。
1929年に立教大学に入学。在学中はオーケストラでトランペットを吹き活躍。1933年に松竹蒲田の新人応募の広告に複数の学友が無断で上原の写真を送り、その美男子ぶりから採用された。
1935年に大学を卒業後、松竹に入社し、新人作りの名手清水宏監督の『若旦那・春爛漫』でデビュー。続く『彼と彼女と少年達』で初主演し、同作で共演した桑野通子とは「アイアイ・コンビ」と呼ばれ人気を博した。
1936年には清水監督の代表作となる『有りがたうさん』に人のいいバス運転手役で主演を務め、役者として順調なスタートを切る。
この年に兵役となり台中で軍隊生活を送るが、原因不明の発熱で除隊。この間上原の所属部隊には大量のファンレターが送られ、所属部隊はファンレターの山に忙殺されたという。
またこの年に小桜葉子と結婚。当初松竹大船撮影所の城戸四郎所長からは反対されたが、上原の強情さに折れる形となった。
1937年に長男の直亮(後の加山雄三)をもうける。
1936年の五所平之助監督の『新道』で佐分利信、佐野周二と初共演し、「松竹三羽烏」を結成。1937年にはこれを前面に押し出した島津保次郎監督の『婚約三羽烏』が大ヒット。
このころに佐分利、佐野、徳大寺伸、近衛敏明、夏川大二郎と「第八芸術」にちなんだ研究会「8クラブ」を結成、毎月演劇や音楽関係の有識者を呼んで講演会を開いていた。
1938年、川口松太郎原作、野村浩将監督のメロドラマ『愛染かつら』の津村浩三役で田中絹代と共演、霧島昇とミス・コロムビアが歌う主題歌「旅の夜風」と共に、空前の大ヒット作となる。
しかし同作の「理屈では考えられないような展開」をバカバカしく思った上原は役を降りようと思ったと語っており、後年「自分の出演作で最も嫌いな映画」とまで語っている。
その後も役柄が二枚目キャラばかりとなってしまい辟易していた中、陸軍省主導の国策映画『西住戦車長傳』に出演することになる。制作陣はあまり気乗りしなかったと語る一方、上原は二枚目キャラからの脱却を目指し人間味のある戦車隊長を演じた。
1943年には木下恵介の初監督作品にして菊田一夫の戦前の代表作『花咲く港』で東北弁の軽妙なペテン師を演じる。
戦後はいつまでも女性中心主義でいく会社の基本方針に不満を抱き、松竹を退社。映画俳優フリー第1号となり演技派への脱皮を志していく。
1948年には主演した市川崑監督のメロドラマ『三百六十五夜』が空前の大ヒット、翌1949年には既に高額納税者のタレント部門トップに躍り出る活躍ぶりであった。
1951年、成瀬巳喜男監督の『めし』で原節子と中年夫婦を演じて以降、名作への出演が相次ぎ、1953年に『煙突の見える場所』、1954年に『晩菊』『山の音』、1956年の『夜の河』では若手第一のスターであった山本富士子との恋愛を演じた。
1957年に東宝と本数契約してからは脇にまわるが、1959年に舞台上でメニエール症候群で倒れる。
1960年に息子の加山雄三がデビューしてからは父親というイメージから今までの二枚目役を得ることが困難となる。
加山とは若大将シリーズの第1作『大学の若大将』で初共演。その後も主に若大将に惚れるお嬢様の父親役で出演している。
同時期には『モスラ』など特撮映画にも出演している。
1965年、神奈川県茅ヶ崎市に義弟の岩倉具憲とともにパシフィックパークホテルを建てたことで有名。
しかし1970年に小桜と死別して数カ月後にパシフィックパークホテルが倒産し、息子の加山ともども莫大な負債を抱えた。
1973年には義母の江間光子が死去するなど不幸が続く。
東宝を退社した後の1973年に38歳年下のクラブ歌手大林雅美と再婚しメディアを賑わせた。
大林との間に生まれた娘の芽英子は上原芽英子の名でデビュー。その後上原凌と改名し、現在は仁美凌の名で活動している。
1980年代には松竹時代からの共演者である高峰三枝子と共演した国鉄の「フルムーンキャンペーン」CMで話題となる。
晩年は大林と夫婦喧嘩が絶えなくなり1991年6月に離婚、その後は加山の家に身を寄せ、1991年8月に親子でニューヨークに旅行したが、年のせいか足腰が弱くなりひとりで風呂に入るのを心配されていた。
11月23日に風呂場でぐったりしているのを家政婦が発見、三鷹市の杏林大学附属病院に搬送されるも午後3時44分に急性心不全で死去(享年82歳)。
会見に応じた加山は「この一年半は心労が続き、静かな老後を送らせたかった」と涙をこらえながら語ったという。
孫は俳優の加山徹、料理研究家の梓真悠子、池端えみ。元娘婿は若山富三郎の長男若山騎一郎。
義父は宮内大臣を歴任した岩倉具定(岩倉具視の次男)の五男岩倉具顕。
主な出演作品
映画
- 有りがたうさん(1936年、松竹蒲田)- 有りがたうさん{有りがとうさん(愛称)}
- 人妻椿(前篇・後篇)(1936年、松竹大船) - 草間俊夫
- 男性対女性(1936年、松竹大船)
- 淑女は何を忘れたか (1937年、松竹大船) - 大船のスター
- 浅草の灯(1937年、松竹大船)
- 婚約三羽烏(1937年、松竹大船)
- 愛染かつら(1938 - 1939年、松竹大船) - 津村浩三
- 西住戦車長伝(1940年、松竹大船) - 西住小次郎
- 櫻の國(1941年、松竹大船)
- 敵機空襲(1943年、松竹大船)
- 花咲く港(1943年、松竹大船)
- 歓呼の町(1944年、松竹大船) - 吉川慎吾
- 君こそ次の荒鷲だ (1944年、松竹大船) - 三好中尉
- 野戦軍楽隊(1944年、松竹京都) - 菅上等兵
- 陸軍(1944年、松竹大船) - 仁科大尉(友彦の戦友)
- そよかぜ(1945年、松竹大船)
- 新釈四谷怪談(1949年、松竹京都)
- 異国の丘(1949年、新東宝)
- めし(1951年、東宝)
- 結婚行進曲(1951年、東宝)
- 東京のえくぼ(1952年、新東宝)
- 煙突の見える場所(1953年、新東宝)
- 山の音(1954年、東宝)
- 風立ちぬ(1954年、東宝)
- 晩菊(1954年、東宝)
- 鶴亀先生(1954年、新東宝)
- 柿の木のある家(1955年、東宝)
- へそくり社長(1956年、東宝)
- ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐(1960年、東宝) - 参謀長
- 大学の山賊たち(1960年、東宝)
- 若大将シリーズ
- 大学の若大将(1961年、東宝)
- 銀座の若大将(1962年、東宝)
- 日本一の若大将(1962年、東宝)
- ハワイの若大将(1963年、東宝)
- エレキの若大将(1966年、東宝)
- モスラ(1961年、東宝) - 原田博士
- 香港の夜 A NIGHT HONGKONG(1961年)
- 世界大戦争(1961年、東宝) - 外務大臣
- 妖星ゴラス(1962年、東宝) - 河野博士
- 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年、東宝) - 清閑寺中納言
- 若い仲間たち うちら祇園の舞妓はん(1963年、東宝)
- クレージー作戦 くたばれ!無責任(1963年、東宝) - 畑中社長
- 海底軍艦(1963年、東宝) - 楠見元技術少将
- おんな6丁目 蜜の味(1982年、東映)
- 時をかける少女(1983年、制作・角川、配給・東映) - 深町正治
- 映画女優(1987年、東宝映画) - 上原謙(本人役)
- 花の季節(1990年、東京ビジュアルネットワーク)
テレビドラマ
- 新・必殺仕置人 第13話「休診無用」(1977年、ABC / 松竹) - 寺岡玄庵
- 新・江戸の旋風 第22話「十年振りの手口」(1980年、フジテレビ / 東宝) - 勘助
- あっけらかん(1982年、日本テレビ) - 松浦完治
- はらぺこ同志(1982年、TBS) - 犬飼成之
- 日曜劇場 夢の鐘(1982年12月19日、中部日本放送) - 桜井正亮
- 土曜ワイド劇場・混浴岩風呂連続殺人(1983年、テレビ朝日)
- フジテレビ開局25周年記念・サザエさんVS意地悪ばあさんVSいじわる看護婦(1984年、フジテレビ / テレパック) - 徳川院長
- いちばん太鼓(1985年 - 1986年、NHK朝の連続テレビ小説)
- 忠臣蔵(1985年、日本テレビ)- 公弁法親王
- 西田敏行の泣いてたまるか 第10話「ぼくの父さんはシェフ」(1986年、TBS / 国際放映、東阪企画)
- 超人機メタルダー 第1話「急げ!百鬼魔界へ」(1987年、テレビ朝日) - 古賀竜一郎
- 青春家族(1989年、NHK連続テレビ小説)
- 春を待つ家(1990年、フジテレビ)