曖昧さ回避
本記事では1について記載する。
路線データ(廃止時)
路線名 | 歌志内線 |
---|---|
路線区間 | 砂川〜歌志内 |
路線距離 | 14.5km |
軌間 | 1,067mm |
駅数 | 7駅 |
非電化区間 | 全線 |
単線区間 | 全線 |
閉塞方式 | タブレット閉塞式 |
第一種鉄道事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
第二種鉄道事業者 | 日本貨物鉄道(JR貨物) |
廃止日 | 1988年(昭和63年)4月25日 |
概要
砂川駅(北海道砂川市)と歌志内駅(歌志内市)を結んでいた北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線で、地方交通線。歌志内市を経由する唯一の鉄道路線だった。石炭の運炭の為全線で貨物列車が運行されており、日本貨物鉄道(JR貨物)が第二種鉄道事業者だった。
前述の通り沿線の炭鉱から産出される石炭の運炭の為に建設された路線で、最盛期は営業係数64を叩き出す国鉄有数の超黒字路線だった。
しかしエネルギー政策の転換や石炭の枯渇により炭鉱が廃坑となると、一転して超赤字路線に転落。1984年(昭和59年)6月22日に第二次特定地方交通線として廃止が承認された。その後第三セクター転換も検討されたものの歌志内駅近くの空知炭礦の閉山決定が決め手となり、国鉄民営化後の1988年(昭和63年)4月25日に廃止された。
なお同じく砂川駅を起点とする函館本線上砂川支線がほぼ全区間で並走していた。こちらは歌志内線に比べて旅客・貨物共に利用者数が少なかったものの、特定地方交通線は各路線毎に統計を取っていた為独立路線の歌志内線が先に廃止された。対して函館本線の一部として扱われた上砂川支線は特定地方交通線扱いされず、廃止されたのは歌志内線廃止から6年後の1994年(平成6年)5月14日だった。
廃止後の動き
歌志内線の廃止後に北海道中央バス(中央バス)が「焼山線」の運行を開始した。これにより砂川市と歌志内市を結ぶ路線は廃止前より運行されていた「歌志内線」(途中函館本線上砂川支線沿いを走行。メイン画像の路線)と合わせて2系統となったが沿線の高校が廃校になった事で利用者が激減。国が定めた基準値を大幅に下回った為2018年(平成30年)10月以降の補助金打ち切りが決定打となり、2019年(平成31年)3月31日をもって廃止された。なお「歌志内線」については引き続き運行されており、現在はそちらが歌志内線及び函館本線上砂川支線の代替路線となっている。
- 廃線跡の活用
焼山駅〜歌志内駅間では路盤を活用してサイクリングロードが整備されている。
また歌志内市区間では市内に存在した5駅の跡地に駅名標のレプリカが設置されている。
沿革
- 1891年(明治24年)7月5日:北海道炭礦鉄道の空知線として開通。歌志内駅開業。
- 1896年(明治29年)10月21日:神威駅開業。
- 1901年(明治34年)9月:空知線の支線化。
- 1906年(明治39年)10月1日:鉄道国有法により国有化。
- 1909年(明治42年)10月12日:国有鉄道線路名称制定に伴い歌志内線となる。
- 1946年(昭和21年)11月1日:文殊仮乗降場(後の文殊駅)開業。
- 1947年(昭和22年)2月20日:文殊仮乗降場を駅に昇格。
- 1960年(昭和35年)12月26日:歌神駅開業。
- 1961年(昭和36年)2月10日:西歌駅開業。
- 1961年12月25日:焼山駅開業。
- 1984年6月22日:第二次特定地方交通線として廃止承認。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴いJR北海道が第一種鉄道事業者、JR貨物が第二種鉄道事業者として継承。
- 1988年4月25日:全線廃止。中央バスに転換。
- 2019年3月31日:代替バス路線の中央バス焼山線が廃止。
運行形態
線内運用の普通列車が8往復運行されていた。途中駅発着の列車は無く、一部は焼山駅を通過していた。
この他に石炭輸送の貨物列車が運行されていた。
駅一覧
●:停車 ○:一部通過
使用車両
JR北海道所属
全て苗穂運転所所属。
なお運用されていたキハ40形の塗装はイラストのJR北海道色ではなく首都圏色だった。
廃止時にさよなら運転列車として入線した急行形気動車。
JR貨物所属
鷲別機関区(廃止)所属のディーゼル機関車。
貨物列車牽引機。