仙石線
せんせきせん
あおば通駅(宮城県仙台市青葉区)から仙台駅を経由し石巻駅(同県石巻市)までを結ぶ50.2km(営業キロ)の本線と貨物支線からなる。
私鉄の宮城電気鉄道が1925年に建設した鉄道線が1944年5月1日に国有化された。この経緯により、東北地方のJR線としては現在唯一の直流電化路線となっている。
なお、東北本線などの他の鉄道線と違い、開業当初から電化されている。これには、宮城電気鉄道の親会社が亜鉛の精錬をするため発電事業に着手するも第一次世界大戦終結で需要が激減、せっかく手にした事業を無駄にしないためこの路線を建設した…という事情があるのだとか。
現在、あおば通-陸前原ノ町間が地下線となっているが、宮城電気鉄道開業時はこれとは別に仙台駅(東北本線の仙台駅の西口側)を地下駅とし、ここより数百メートルながら地下線として走らせていた(1952年にホームを東口側へ移動して地上駅化し、2000年に現在の再地下化に至る)。これは東京の銀座線開業より2年早く、そのため「日本で最初の地下(鉄)線」と言われることもある。
なお、当時の地下線のトンネルは再地下化まで他のホームへの連絡通路として、再地下化後は改装され地下自由通路として使われているが、他ホーム側の階段は僅かな痕跡しか残っていない。
2011年10月より次世代型列車保安システムであるATACSがあおば通-東塩釜間に導入されている。
国有化以後輸送力増強や防災を名目に頻繁に線形改良やルート変更が行われており、開業以来の線路や駅が残っている区間は陸前浜田-陸前富山や陸前小野-陸前山下といったごく一部の区間に限られる。
前述の通り本路線は石巻と仙台・あおば通を結ぶ路線であるが、この路線に触れる上で絶対に避けては通れない話がある。それは、本路線の観光的特徴である。本路線の最大の特徴といっても過言ではないのがその沿線に多様さである。宮城県第二の都市石巻から県庁所在地仙台に至るこの路線に乗っていると時がたつのを忘れてしまいそうになるほど魅力的なのだ(多分)。
本路線で石巻からあおば通まで乗り通す場合、初めて乗った乗客はその沿線風景の豊かさに目を奪われることになるだろう。列車が石巻を発車してしばらくの間は、のどかな田園風景が見られる。特に矢本鹿妻間では長い直線の線路に沿って雄大な水田が広がり、見る人の心を癒してくれる。何を隠そう宮城県は日本有数の米どころなのだ。
こうしてローカル線のようなのどかな風景を味わっていると、間もなく沿線の景色が変わり始める。海が見えてくるのだ。そう、松島である。仙石線は日本三景の一つとも詠われた松島を沿線に抱える路線なのである。松島に近づくにつれて列車の中は徐々ににぎわい始め、行楽シーズンになると松島観光に来た人々で大いににぎわい、土産物を持った人々が語らいながら列車に乗るのだ。この区間は重要な観光路線なのだ。その雰囲気に誘われたら松島海岸駅で途中下車してみるのもよいだろう。ちょっぴり懐かしい観光地の空気を噛み締めることができるはずである。
そして松島を過ぎると塩竃の港町を沿線に眺めることになる。昔ながらの街並みを見ながら列車は高架橋を登ってゆく。高い高架橋の上から眺める港町はまさにパノラマと呼ぶにふさわしい。海に目を向ければ活気あふれる漁船や市場がその視界に飛び込んでくる。
そんな塩竃の港町を遠めに見ながら、列車は多賀城市に差し掛かる。多賀城は平安時代、京都の朝廷が蝦夷(エミシ)を侵略する前線基地として建てた城だ。蝦夷は現在の東北人の祖先といわれ、この地で朝廷軍と戦った。ここはかつて戦場だったのだ。日本の繁栄にために戦った朝廷軍の正義、自分たちを守るために戦った蝦夷の正義。二つの正義があった。そして現在でも、その証は多賀城の遺跡として残っている。ここを通った時には、そんな悠久の歴史に思いを馳せてみるのもまた一興かと思われる。
多賀城を過ぎるといよいよ列車は仙台に入ってくる。杜の都の雅称を持つ仙台では、その名の通り緑豊かな大都会を眺めることができる。高層ビルを遠めに見ながら列車は進んでゆく。その光景はさながら東京の大都市を行く電車のようである。そして仙台の中心街に入り、いよいよ終点が近くなると、列車は地下区間に入る。暗い地下のトンネルの中を列車はライトを煌々と輝かせ、轟音を立てて駆け抜ける。それはさながら都会の喧騒を離れ颯爽と地下を駆ける地下鉄のようである。そして列車は終点のあおば通に到着する。そこでふと我に返って列車を降り、階段を歩いて地上に出れば、そこには整然とした杜の都が広がっているはずだ。
このように、仙石線とはある時はのどかなローカル線、またある時は観光路線、はたまたある時は都会の通勤電車、そしてある時は地下鉄と、本当に様々な顔と沿線を持つ路線なのである。
- 205系3100番台
それまで使用されていた103系を置き換えるために2002年から2004年にかけて山手線で使用されていた車両を改造して投入された電車。
南武線の1000番台・1200番台、鶴見線の1100番台、川越線・八高線の3000番台と同じく中間車を先頭車に改造して作られたため従来の205系とは前面形状が異なっている。
この他、半自動ドアボタンと車内トイレの取り付けも施されている。
M2~M5編成とM8編成にはクロスシートとロングシートへの転換が可能な「2wayシート」を装備しており、帯の色も石巻方から赤、オレンジ、紫、緑となっている。
2wayシート装備車のうちM2編成とM8編成は石ノ森章太郎氏が執筆した漫画作品のキャラクターのラッピング列車「マンガッタンライナー」として運行中。
2015年5月30日の仙石東北ライン開業に伴い高城町~石巻間で快速及び特別快速として運行中の気動車。
なお、気動車が使用されているのは直通先の東北本線と仙石線では架線電圧が異なるため。
205系と同様一部編成は「マンガッタンライナー」のラッピングが施されている。
ジョイフルトレイン。2024年12月7日より臨時列車「だてSATONO」として復路のみ石巻~高城町間に入線する気動車。
※全線Suica仙台エリア。
2011年3月11日に発生した東日本大震災で特に津波により大きな被害を受けており、2012年4月現在も高城町駅~陸前小野駅間については復旧のめどがたっていない状態であった。
なお、陸前小野~石巻間は津波により変電所が損壊したため、石巻線で使用している気動車(キハ110系)が運用されていた。
一部区間を内陸に移設した上の復旧計画により、2015年5月30日全線で運転を再開。東北本線から連絡線経由で石巻方面へ直通する仙石東北ラインも同日に開業している。
- 沿岸部を走行するため車両への塩害が避けられず、老朽化の進行が早くなるため車両更新が10数年単位と比較的短いサイクルで行われる。これが新車投入を躊躇させる原因となっており、首都圏の通勤型の中古車両を転属させることが続いている。このうち103系電車は1970年代後半と1993年と2回置き換えがなされている。
- 国有化された後も施設などはほぼそのまま使われ続けたため、再地下化された2000年台になっても他路線との直通列車がなかった。2015年になって前述の仙石東北ラインが開業し、2016年からは女川〜仙台で仙石線経由の直通運転を開始している。
- 上記の理由故か、はたまた用地の問題か、両端のターミナル駅である仙台駅・石巻駅とも、仙石線のホームだけが駅舎からやたらに遠い。
- 国有化される前の宮城電気鉄道は、この路線に加えてもうひとつ、廃線の危機にあった私鉄路線・松島電車を戦時中に買収・営業しようとしたが、諸々の事情により幻に終わった。その後この路線はあえなく廃線となっている。ちなみにこの路線は、宮城県で初めて(宮電や仙台市電よりも先に)「電車」を走らせた路線でもあった。
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