6000系
ろくせんけい
東京急行電鉄6000系(初代)
東京急行電鉄(東急)が設計・新製した通勤形電車。試作要素が強く、1960年に4両編成5本、20両が生産された。車体はセミステンレス(台枠や骨組が普通鋼、外板はステンレス鋼)。電装品や構造の違いから3つに大別できるが、それぞれ共通して言えるのは台車中央に主電動機を配置し、歯車や継手を介して2つの車輪を動かすことだった。
上田電鉄6000系
2015年に東急1000系の中間車2両を先頭車化改造して上田電鉄に導入した。6001編成は「さなだどりーむ号」という愛称が付けられている。地元の戦国武将、真田幸村の赤備えをイメージした赤基調の塗装に真田家家紋の「六文銭」をあしらった特徴的な外観となっている。
西武鉄道6000系
西武鉄道(西武)が設計・新製した通勤形電車。1992年より帝都高速度交通営団(現東京メトロ)有楽町線への直通運転を主目的として投入された。前面スタイル・塗装などがそれまでの西武の車両から大きく見直されている。
四国旅客鉄道6000系
四国旅客鉄道が1996年に設計・新製した近郊形電車。車体は211系と同じ軽量ステンレスで、前面はFRP。VVVFインバータ制御を採用した1M2Tの3両編成が2本、6両が製造された。乗務員室の真後ろにあるドアのみ片開き。
営団地下鉄6000系
帝都高速度交通営団(営団)が1968年より千代田線用に新製・投入した通勤形電車。1次試作車3両、2次試作車10両、量産車10両編成34本の合計36編成353両製造された。アルミ合金の車体に緑色の帯を巻き、前面はくの字形に近い形をしている。非常用扉が前面向かって左側に寄せられたスタイルはその後7000系・8000系にも踏襲された。
京王帝都電鉄6000系
京王帝都電鉄(京王)が1972年より京王線系統向けに新製・投入した通勤形電車。車体は普通鋼製。車体前面は中央に貫通扉を設けてあり、助士側の窓が狭く、運転士側(運転台が設けてある方)が車体下側に窓が拡大されている。また、おでこは東急1000系のように、3つの窓(助士側から 列車番号、行き先、列車種別)の周りが黒塗りされている。また、種別灯と尾灯は一体化されている。編成は2両~6・8両。2両は競馬場線のワンマン運転仕様だった。一部の編成(5両編成4本)は関東の私鉄では珍しい5ドア車だったが、動物園線のワンマン運転仕様編成(4両編成1本)を除き4ドアに改造(5両編成2本)または廃車(5両編成1本+中間車1両)となった。現在は事業用車に改造したデワ600を除き全廃となっているが、新型事業用車デヤ900の新造に伴いデワ600も退役へ。
相模鉄道6000系
相模鉄道(相鉄)がかつて製造・運用していた通勤形電車。
1961年より投入。同社新製車両としては初の20m4扉車体を採用した。このうちモハ6021号はアルミ試作車。
1970年より車体幅の拡幅など大幅に設計を変更した新6000系に移行。2003年に定期運用を終了、全廃された。
南海電気鉄道6000系
南海電気鉄道(南海)が製造した通勤形電車。東急7000系(初代)、京王3000系と並ぶ日本電車のオールステンレスカーの先駆けとして知られ、日本初の20m級のオールステンレスカーでもある。側扉は片開き4ドア。1962年の製造から50年以上が経過した2015年現在においても車体の腐食がほとんど見られず、その結果現在まで一両も廃車・譲渡されることなく、冷房化・台車交換を受けて高野線で活躍を続けているという奇跡の電車でもある。産経新聞の記事では「錆びない鉄人」の名で紹介された。
京阪電気鉄道6000系
京阪電気鉄道(京阪)が架線電圧1500V昇圧に伴う旧型車置換えのために1983年より新製・投入した通勤形電車。現在の京阪における最多両数の系列である。非貫通(非常用扉付)前面は当時の京阪では初めての試みであった。ほかにも京阪初というものが多く、登場当初は塗色だけが京阪であると言われたほど。初期の一部編成は1500V昇圧前に宇治線などで運用されていた。
阪急電鉄・能勢電鉄6000系
阪急電鉄(阪急)が1976年より新製・投入した通勤形電車。神戸線・宝塚線(神宝線)方面で運用されている。一部を除きアルミ車体であるが、従来車両からのマルーン塗装は踏襲されている。2014年に6002編成の8両編成1本が能勢電鉄に譲渡されたが、従来通り阪急宝塚線で運用され、能勢電鉄での運用は直通特急日生エクスプレスのみとなっている。
名古屋鉄道6000系
名古屋鉄道(名鉄)が1976年より投入した通勤形電車。従来から運用していた中長距離主体の2ドアクロスシート車両ではラッシュ時の混雑に対応しきれなくなっていたため、名鉄が製造した電車としては初の両開き3ドア車として製造された。収容力と快適性の両立を考え、扉間は集団離反型クロスシートとされた(のちにロングシート化)。この座席配置が評価され、翌年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。車体寸法や断面形状は名鉄7700系に準じている。また、9・10次車は同年に製造された6500系と同様の車体に変更されている。
派生系列として界磁チョッパ制御を採用し回生ブレーキを使用可能とした6500系と同じく回生ブレーキを使用可能としながら制御方式が界磁添加励磁制御となった2両編成の6800系がある。
後述の瀬戸線以外で廃車はなかったが、2016年8月に本線系の6000系として初めて6022編成が廃車された。6022編成は2014年に準急中部国際空港行として金山駅に停車中、抵抗器から出火する事故を起こしていたが修理の上復帰していた。
瀬戸線での運用
1995年、輸送需要が増大した瀬戸線へ5次車から7次車までの車両から2両編成8本が瀬戸線に転属した。瀬戸線転属組は先頭部の貫通路に幌枠が取り付けられ、非常用はしごの搭載、座席モケットの不燃化対応、M式自動解結装置の撤去などが行われた。
転属当初は2両編成2本を連結する形で運用していたが、喜多山検車区の検査ピットが延長されたことで4両固定編成での運用が可能になったことから1996年には5次車・8次車までの車両から中間車2両6組を瀬戸線に転属させ、6本を4両編成化。この時4両化されなかった2本が4両になるのは2000年まで待つことになる。
当時の瀬戸線は6000系含めて回生ブレーキを使用できる車両は皆無で、車両の近代化が急務となった。更に喜多山検車区の移転先である尾張旭検車区には大掛かりな車体塗装設備が周辺環境との兼ね合いにより設置されなかった。このため、2008年からは瀬戸線向けの純新車としては6600系以来およそ30年ぶりとなる4000系が投入され、6750系や6600系が退役した後の2014年4月までに全廃された。
エピソード
- 導入当初に充当された朝の犬山線準急列車は当時混雑がとてもひどく、AL車では最高速度いっぱいで走って定時ぎりぎりだった。6000系導入後は定時運行が可能になった。
- クロスシートを採用したはいいものの横幅が非常に狭く、1.5人がけクロスシートと揶揄された
富士急行6000系
富士山麓電気鉄道(富士急行)が東日本旅客鉄道より205系を3両編成・半自動ドア化改造のうえ譲渡された車両。2012年2月29日より営業開始。車両デザインは水戸岡鋭治率いるドーンデザイン研究所が担当した。富士急行の普通列車用車両で初の3両固定編成。
東武鉄道6000系
東武鉄道が日光線系統の快速に充てられる雑多な旧型車両を置き換えるために昭和39年から昭和41年にかけて製造した近郊形電車。Mc-Tcの2両を基本として、日本車輌製造東京支店やナニワ工機で製造された。前面は5000系列に準じた「東武顔」と称されるものであったが、側面は長距離運用に配慮して、片開き扉が車端寄りに二つに変更されている。この車輌の設計思想を引き継ぐ形で6050系が落成している。
近畿日本鉄道6000系
1963年登場の近畿日本鉄道の通勤型車両。ラビットカーと称される車両群の中の一形式。南大阪線系統で活躍していた。登場時は「6900系」を名乗っていた。
6900系⇒6000系 | Mc-Mc+Tc |
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6000系 | Mc-Mc+Tc+Tc |
登場時の組成。冷房化の時に中間車の運転台は撤去された。
廃車や養老線(⇒養老鉄道)への転用改造で2002年に形式消滅。派生系列として6020系がいる。6020系は機器構成は6000系と同じだが、8000系、8400系、2410系、2430系と同世代である。
なお、近鉄では狭軌(1067mm)の車両は6000番台の形式が付与されている(特急型車両は16000または26000番台)。