概要
女性の姿をした悪魔としては、リリス、リリム、サキュバス、グレモリーなどが挙げられる。
ただし、グレモリーはゴエティアではHeと書かれる。神や天使といった性別の無い霊的存在もhe(彼)と呼ばれる慣例があるため、天使から堕天使となった悪魔であるグレモリーがheと呼ばれるのも不自然なことではない。
18世紀のフランスの作家ジャック・カゾットの小説『悪魔の恋』では通常「彼」と書かれる悪魔ベルゼビュート(ベルゼブブ)が美女に変身し、召喚した主人公と恋愛劇を繰り広げる。
これを嚆矢として既存の男性的な悪魔を女性化(女体化)した作品も多く見られる。
近年のフィクション作品に登場するオリジナルの女悪魔については悪魔っ娘を参照。
宗教・神話における女悪魔
アブラハムの宗教
ユダヤ教、キリスト教においては天使に性別が存在しないため、そこから堕落した堕天使にも性別はない。聖書には女の悪魔や悪霊と特定できる存在は登場しない。
イスラム教においても女性の天使について否定的である。クルアーンには「主はお前たちに男を授け、自分は天使の中から女を取られたというのか。本当にお前たちは途方もない言葉を口にするものだ」(17:40) 「多神教徒は慈悲深きお方の僕である天使を女性にしたりする。お前たちは天使の創造に立ち会ったのか」(43:19)という章句がある。
いずれも「不信心者」「異教徒」の天使観について言及し、否定した物である。
イスラム教においては悪魔(シャイターン)は精霊ジン(ジーニー)もなるものである。ジンには人間同様性別があるため、「女性の悪魔」は存在できることになる。
実際、不信仰な悪性のジンの一種であるイフリートには女性形であるイフリータが存在する。
(日本では堕天使である魔王イブリースの娘とされる「バイザク」という女悪魔の存在が語られ、いくつかの創作にも登場しているが、こちらは一次出典が不明である)
クルアーンには「彼らが神を差し置いて祈るのは女にほかならず、反逆の悪魔に祈っているだけである」(4:117)という章句があり、ここで語られる悪魔は「人間を迷わせ、欲望を掻き立てさせ、家畜の耳を切り取らせる」(4:119)という悪事を働く。
クルアーンには偶像として糾弾する対象としてアッラート、マナート、ウッザーという固有名詞が登場するが(53:19-20)、これらはイスラム教成立以前にアラブで「アラーの娘」として信じられていた女神である。
リリスは聖書のイザヤ書34:14や、ユダヤ伝承に登場する女悪魔だが、メソポタミア神話に原型を持つ存在で、悪魔というよりは悪霊、女怪といった風情である。日本の新共同訳聖書では「夜の魔女」と訳されている。
ユダヤ伝承にはリリスの他にもアグラト・バト・マーラト(Agrat bat Mahlat)という女悪魔が登場する。
サキュバスもキリスト教が広まったヨーロッパにおける伝説上の存在である。中世ヨーロッパの劇や悪魔学ではローマ神話の女神プロセルピナが女悪魔、デーモンの女王として扱われたりもしている。
ゾロアスター教
魔王アンラ・マンユの妃にして彼の被造物のうち最強とも言われるジャヒー、虚偽を体現するダエーワであるドゥルジ、眠りの怠惰に人々を引きとどめるブーシュヤンスター(ブーシャヤンスタ)、流星が擬人化された女妖術師である女魔パリカーといった女悪魔が語られている。
ダルマの宗教
ヒンドゥー教や仏教でもクリシュナ、ゴータマ・シッダールタのような聖者や神々の妨害者、誘惑者としての悪魔が登場する。
種族的にはアスラ(阿修羅)やラークシャサ(羅刹)、ヤクシャ(夜叉)であることが多い。
しかし、彼らの中には神や聖者を信仰し、ダルマを護持するというスタンスの者もいる。法華経の信徒を守護する十羅刹女などがそうである。
インド神話において「悪魔」とは種族、というより、聖なる存在への立ち位置を評した呼び方(訳語)とも言える。
仏教における魔王マーラにはタンハー(渇愛、執着)、アラティ(不快、嫌悪)、ラガ(快楽、愛欲)という三人の娘がいる。
マーラは種族的にはデーヴァ(神)であり、彼の娘たちはデーヴィー(女神)にして女悪魔ということになる。