概要
劇場版『機動戦士ガンダム』めぐりあい宇宙編で追加されたドズル・ザビの台詞。
地球連邦軍の宇宙総攻撃に対し、宇宙攻撃軍司令官のドズルは兄であるジオン軍総帥・ギレン・ザビに増援を要請した。しかし送られてきたのは、ビグ・ザムただ1機。「それさえあれば師団数個に匹敵する戦力があるだろうから連邦の戦艦やMSなど相手にならんだろう(意訳)」というそっけない態度を示したギレンに対し、ドズルが反論したのがこの台詞である。
「ジオンに兵無し」などと言われる通り慢性的な戦力不足に悩むジオン軍にとっては、痛い問題である。
実際、一年戦争においてMSを始め数々の新兵器を開発していったジオンに対して連邦がジムやボールなど生産性の高い兵器群を量産し、最終的に勝利を収めている事からもこの言葉が如何に真理を突いていたかを窺い知ることができる。
ルウム戦役において専用のザクⅡを駆り5隻の戦艦を沈めたシャア・アズナブルを始め一機のMSや一人のエースパイロットが戦況を大きく動かした事例も数多く存在するなど、ギレンの言葉もあながち的外れとも言えないのだが、連邦がパイロットの質をソフトウェアの性能向上で補い、ジオンはエースパイロットを多数喪っている状況を考えればこそのドズルの発言なのであろう。そもそも初期の優位性は質と言うよりも新しい戦法を使いそれが当たりだっただけの節が強い。対策されていなかった事と相手の準備が整っていないところを狙った奇襲によるものだと現場から離れて政争を行っていたギレンにはすでに理解できなかったとも言える。地上に於いてオデッサの戦いがジオンの敗北で終わった時点で戦略が立て直し不可能なほど破綻しているのに戦争を継続した点からも政争が優先になっていたと考えられる
尤も、ビグ・ザム一機だけを投げつけた理由としては、「コンスコンを始めとした決して少なくない戦力を下手に動かした結果撃破され、その結果戦力不足に陥ったドズルに対する説教としての意味もあるのでは?」という説もある。
因みに「戦いは数だよ兄者」は誤り。ドズルは兄弟には意外とフランクな人間である。
余談
劇中でのソロモン戦ではドズルらはソーラ・システムを照射寸前に発見し、迎撃が間に合わずに照射を止められなかったが、
もしMSの数がもう少し多かったらソーラ・システムの発見が早くなり、戦況は一転していた可能性もある。
そう考えるとやはり戦いは数なのかもしれない。
真・ガンダム無双ではこのセリフを意識した特殊ミッションが存在する。
更に、数揃えただけでは勝てないと悟ったドズルが”質”も補うべくデストロイガンダムを大量量産して戦いを挑んでくるミッションもある。
更にはそれでもなお勝てないということを思い知ったドズルの経験から更に士気まで限界まで引き上げて総力戦をジオン軍が仕掛けてくるという集大成ともいえるミッションまである。
なお、後に自分の自分の娘婿になるかもしれない男が1機のMSのチート能力で戦況をひっくり返してこの名セリフを根底から否定することになるのは皮肉である。
ただしこのチートには大量の(モビルスーツの範疇を超えたレベルの量にまで増加した)サイコフレームが必要であり、コレは要するに「アサルトライフル持ってればチンピラが100人居ようが喧嘩には負けない」と宣ってるも同然の戦力過多によるゴリ押しであり、相手の数名が拳銃等多少劣る程度の戦力を持ち始めた瞬間瓦解する(というか例えの時点で犠牲を許容された瞬間押し負けかねない)ので、その点では1から10までドズル理論が否定されたわけではなく「凄まじい気迫で万単位の敵を気絶させる海賊やおはじき感覚で星を破壊する神様の如く、余程圧倒的な差がなければ戦力を決定するのは性能より数だよ兄貴!」と言う事なのである。
関連イラスト
ガンダム関連のみならず、名の通り数で圧倒するイラストにも付けられる。
関連項目
機動戦士ガンダム00:当初こそGNドライブという圧倒的高機動、大火力に通信遮断による連携不能化などのアドバンテージで無双状態だったが、三国が総力を結集した結果、性能で圧倒的に劣る機体にもかかわらず4機のガンダムを生け取りに成功仕掛けていた(横槍で失敗したが)。三国が擬似とはいえGNドライブを手に入れてからは、たった30機で一方的にガンダムを封殺しており、むしろ主人公側が一矢報いる位しか出来ておらず、壊滅の憂き目に遭うことになる。戦いは数の典型例と言える。