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福浦和也

ふくうらかずや

千葉の誇り。千葉ロッテマリーンズでプレーしたプロ野球選手。2019年、現役引退。
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概要編集

1975年12月14日出生。千葉県習志野市出身。左投げ左打ち。

習志野高校出身で、高校時代は投手だったが、プロ入団後に内野手に転向。メインポジションは一塁手

千葉に生まれ千葉に育ち、千葉のチームで入団から引退まで活躍し続けた、最狭義のフランチャイズ・プレイヤー


プレースタイルは巧打堅守の好選手で一塁守備は球界トップクラス。チャンスに滅法強く、1ケタの本塁打数で70打点以上を稼いだこともある。スマートなスタイルに反して鈍足であるにもかかわらず、二塁打が非常に多い打者としても知られる。

イチロー振り子打法ケン・グリフィー・ジュニアを参考にしたバッティングフォームで、とくにフォロースルーが美しい。デッドボールのよけ方が独特。


略歴編集

1993年、千葉ロッテマリーンズ投手として7位指名を受けて入団。この年のドラフト会議に於いて指名された全64人中64番目、最後の最後に指名された選手。つまり「最も期待されていない」選手だった。入団時の背番号は「70」。これも「支配下登録選手70人中70位」と、全く期待されていないことの現れだった。


入団後、致命的に体力がなかったこともあってプロの練習に全く耐えられず、半年で3回肩を壊すなど、苦しむ。そんな時、同じくドラフト6位だった同級生・小野晋吾とともに二軍監督だった山本功児から「バッティングをしてみろ」と言われ、そこで柵越え弾を連発。それを見た山本から「すぐ打者に転向しろ」と強引に迫られ、ルーキーシーズン途中から野手に転向する。


近藤昭仁監督就任1年目の1997年シーズンの途中で、一軍初昇格。以降は一軍に定着し、翌1998年に背番号が「9」に変わり、以降現役引退まで背負い続けることになる。

外国人選手が入って来やすい一塁手ということもあって、一軍定着後しばらくは外野手も兼任していたが、2001年の一塁再定着以降は才能が開花し、同年にキャリアハイとなる打率.346で首位打者のタイトルを獲得した。盗塁0での首位打者獲得は史上初。

この年から6年連続で打率3割をマーク。2003年にはNPB史上2位となる「シーズン50二塁打」を記録し、2002~2004年にかけてNPB史上唯一の記録となる「3年連続40二塁打」を達成する。

リーグ優勝&日本一を果たした2005年にはボビー・バレンタイン監督の日替わり打線にあって唯一、スタメン3番に固定されていた。


プロ入り後に猛特訓で身につけた一塁守備は球界トップクラスにまで成長し、ゴールデングラブを3回(03、05、07)獲得。守備範囲が広く打球反応もよいが、特に多少の暴投はすべてカバーしてしまえる捕球技術の上手さに定評がある。球界最高峰の遊撃手だった名手・小坂誠をして「自分の守備が巧いと言われるのは福浦さんのおかげ」とまで言わしめるほどだった。


しかし、2007年に骨折して以降は怪我や慢性化した腰痛などに苦しむようになり、徐々にスタメン出場が減少。指名打者での出場も増えてくる。

2010年、金泰均の加入もあって主戦場を指名打者に転向すると、往年の打棒が復活。通算100号を含む6年ぶりの二桁本塁打を記録した他、クライマックスシリーズではファーストステージ第1戦で延長11回表、埼玉西武ライオンズ土肥義弘から決勝ホームランを放つなど活躍。チームは勢いに乗って下剋上日本一を達成し、福浦自身は指名打者で初のベストナインを受賞した。


その後は徐々に衰えが見え始め、腰痛やケガにも苦しみ、代打の切り札的な起用が増えていくが、コツコツと安打を積み重ねていく。

そして2018年9月22日埼玉西武小川龍也から右中間へのツーベースヒットを放ち、2000本安打を達成。同級生の松井稼頭央から祝福の花束を受け取った。


翌2019年、二軍打撃コーチ兼任選手となり、シーズン開始前に今季限りでの現役引退を発表。

二軍打撃コーチとしての仕事がメインであったため、一軍での試合は2019年9月23日の引退試合のみとなった。2000本安打達成の試合以来1年ぶりとなる一軍の試合に7番指名打者でスタメン出場。4打数0安打に終わるが、9回に指名打者を解除して慣れ親しんだ一塁守備につく。

そして2死から北海道日本ハムファイターズ平沼翔太が放ったライナーを横っ飛びでキャッチし、自らの引退試合のウイニングボールを掴んで有終の美を飾った。

そして史上初めて「現役通算安打が2000本ちょうど」という初にして唯一(2022年4月現在)の選手となった。


現役生活は千葉ロッテマリーンズのファンの背番号と同じ26年。実働22年。

1993年ドラフト指名選手の中で誰よりも期待されていなかった男は名球会に名を連ね、誰よりも長く現役であり続けた。


記録編集

生涯成績:2235試合 7955打席 7039打数 2000安打 118本塁打 打率.284 OPS.748

タイトル:首位打者1回 ゴールデングラブ賞3回 ベストナイン1回

オールスター出場3回 日米野球出場2回


【主な記録】

  • 2000安打(史上52人目)
  • シーズン50二塁打(NPB2位、パ・リーグ2位)
  • 3年連続40二塁打(NPB記録)
  • 6年連続打率3割(史上11人目)
  • 通算サヨナラ打12本(球団記録)
  • 通算試合数2235(球団記録)
  • 通算犠飛78(球団記録)
  • 通算死球95(球団記録)
  • 同期入団同級生コンビ20年(NPB最長記録。小野晋吾と)

関連タグ編集

千葉ロッテマリーンズ 引退したプロ野球選手一覧

小野晋吾 諸積兼司 大塚明 立川隆史(ドラフト同期)

清水直行 松井稼頭央 上原浩治 高橋由伸 金子誠(主な同級生)

サブロー(親友)

里崎智也 大松尚逸 塀内久雄(弟子組)

王貞治 (左投左打、ルーキーイヤーに投手から野手(一塁手)に転向して活躍する、フランチャイズ・プレーヤー等、何かと共通点が多い)

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