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概要編集

渦流式または予備燃焼室式直列8気筒・排気量17Lの気動車ディーゼル機関車ディーゼルエンジン

1951年に開発され、以後国鉄や日本国内の私鉄気動車の標準型エンジンとして全国の非電化路線の無煙化・動力近代化に貢献した。

輸出向けも含めると1980年代頃までの新造車に使われていたようである。


国鉄の命名則でDM(ディーゼルエンジン) H(8気筒) 17(排気量17L)を意味する。

開発編集

このエンジンは開発の途中で太平洋戦争が勃発、開発中断の憂き目に遭っており、終戦後実用に供するディーゼルエンジンが早急に求められたため残存していた資料と試作品を基に開発を再開し実用化にこぎつけた。そのため実用化当時の技術水準からみても設計が旧く、非力で重いという残念なエンジンとなってしまった。

シリンダーブロックなどは同一排気量のガソリンエンジン・GMH17から流用された。これも戦前の製品で、出力値は150PS・1,500rpm(但し鉄道用エンジンはいずれも1時間定格であり、自動車用(大体15分定格)の2/3程度の数値で表される)とほとんど同一数値を示した。


非力以外の難点は排気温度が高く高負荷運転が続くと火災のリスクが有る、燃料消費量や黒煙が多い等の問題を抱えていたが、採用から20年以上に渡って製造され現在も少数が現役である。


機構編集

最初に制作されたDMH17(サフィックス無し)は過流式、A型以降は予燃焼室式で弁機構はOHV


出力170PSのB型からインジェクターの設計変更を経たC型への改良で180PSまで増加したが、機関車に使われた過給器付き機関を除き、これ以上の出力向上は見送られた。

DMH17H編集

DMH17Cまでのディーゼルエンジンはシリンダが直立しているため床板のすぐ下にヘッドカバーがあり、これを開ける整備作業を行うために客室床に点検口を設ける必要があった。


この点検口からは騒音、潤滑油や排気ガスの臭いが客室内に侵入するため一般型のキハ20系や準急向けのキハ55系などはともかく、特急形では床板に点検口を設けないことが求められた。

そのため、特急用のキハ80系向けに水平シリンダのDMH17Hが開発され、以後はキハ20系などにも搭載された。


変速機編集

国鉄ではキハ10系以降に新造された本エンジンを搭載する一般型気動車の場合、変速機は液体式のTC2(A)かDF115(A)のいずれかの組み合わせが標準となった。前者は振鋼造機、後者は新潟コンバータで開発されたもので、クラッチなどの構造はやや異なるが性能はそれぞれほぼ同等である。


発車や低速時、登坂時に使う変速段と、45km/hを目安に速度が乗ってから入れる直結段、惰行や減速時に使用する中立の3段あり、それぞれ手動で切り替える。


惰行状態から再加速する場合は速度によって直結段か変速段のどちらかを判断し、(特に変速段の場合)一旦マスコンでエンジンを吹かして回転数を合わせてからでなければ入れることができず、機械式ほどではないものの熟練を要した。


一般型では、後に登場したキハ40系でエンジンや変速機が変更されて変速が自動化されたが、在来車の変速機を操作するためのレバーや表示灯は残され、互いに連結して走らせることができた。逆に民生品のエンジンを採用した国鉄末期の気動車は廃車再生品のTC2A・DF115Aが再活用されたため、国鉄末期や民営化直後はこれらの幅広い世代の気動車が編成を組む姿が度々目撃されている。


問題編集

既に述べたとおり出力は不足気味で、キハ10系では軽量化のため車体や台車の造りを大きく妥協せざるを得ず、キハ20系で車体の設計が全面的に見直されてようやく通常の客車や電車と同程度の規模となった。


予燃焼室式は、燃焼が穏やかで騒音や振動が比較的抑えられるとされ、多少質の悪い燃料でも確実に燃焼されることができるなどの利点があるが、その反面で熱効率が悪く、寒冷時の始動性が劣るという欠点がある。

始動性の悪さは東北より北の地域で冬季に一度エンジンを止めてしまうと再始動が困難になるという致命的な問題となり、車両基地以外での夜間留置はエンジンを止めずに回し続ける不経済な運用となった。


また熱効率の悪さは出力不足、排気管過熱といった形で現れた。

不足気味の出力から運転の際には必然的に全開の時間を長くせざるを得ず、これに熱効率の悪さが相まって排気管過熱などのトラブルを誘発させた。

これらのトラブルを防ぐため俗に5ノッチ(全開)5分と呼ばれた運転制限がかけられたため、勾配が続く区間で関係者を悩ませ続けた。


一方で、高出力が求められる勾配区間向けや優等列車向けにエンジンを2基載せて出力を確保した車両もあったが、特急列車などではエンジンを2基積んでもなお出力不足に起因する機関故障がたびたび発生し、加えて編成全体で必要なエンジン基数の多さに起因するぎ装スペースの余裕の無さが冷房化の妨げになった。

例えば、冷房完備の特急型 キハ80系は冷房駆動のための発電用エンジンを載せた走行用エンジン1基のキハ80形を一定の割合で組み込む必要があり、逆に急行向けのキハ58系は非冷房とすれば全車2エンジン車で組成するという力技が使えたものの、本エンジンを使用している限りサービス水準と走行性能の両立は難しかった。


後に優等列車向け車両を中心に採用された過給器付き12気筒エンジン DML30H系(400PS~)と、これを6気筒に再設計したDMF15H系(220PS~)が登場。

DML30H系の登場で特急型気動車は充分な設備を備えながらもより高速化を、急行向けのキハ58系には機関出力が強力で電源供給能力があるキハ65形を加えることで冷房化と勾配区間での走行性能の両立を実現させた。


ところが、どちらのエンジンもDMH17と比較すると過給器が追加され、全負荷運転の制限こそ緩和されたものの同時期の民生品ほど洗練されてはおらず過大な燃料消費率など課題を抱えたエンジンであった。


これらの一連の国鉄制式エンジンが抱えた問題が一掃されるのは国鉄最末期から民営化後にかけての民間メーカー製エンジンの導入を待たねばならなかった。


終焉編集

1980年代後半から新潟鐵工所の強馬力エンジンであるDMF13系エンジンが国鉄で採用されると、コマツカミンズも参入し、徐々に本エンジンの淘汰が進んだ。特にJR東日本ではジョイフルトレインのサロンエクスプレスアルカディア(現在のKenji)の火災事故が起きて以降、在来車のエンジンの交換が進み、1992年までにすべて淘汰された。このアルカディアの事故を聞いた当時のJR東日本の会長の山下勇氏(元職が造船技師)は原因と思わしきDMH17系エンジンの設計図を見て「これは戦前のエンジンではないか。まだこんなエンジンを使っていたのか!?」と驚愕した。その結果エンジン交換計画が発動し、短期間ですべて置き換えたという。


他方、JR西日本などでは在来車の換装はさほど積極的ではなく、東海では快速みえ用のキハ58の一部に留まったが、本エンジン搭載車そのものを早期に一掃している。


現在はいすみ鉄道小湊鉄道ひたちなか海浜鉄道にのみ現役車両が存在する。


バリエーション編集

発電用のものは省略する。

形式名出力(ps)備考
DMH17150これのみ渦流室式。他は予燃焼室式
DMH17A160
DMH17B170
DMH17B1180
DMH17BX180
DMH17S250ターボチャージャーを搭載
DMH17SB300ターボチャージャーを搭載
DMH17C180
DMH17H180横置きエンジン

なお、床下スペースの関係で横置きのターボは製造されなかった。


搭載車種編集

太字は現役。斜体は定期運用なし。エンジン換装車のみとなった場合、太字及び斜体にはしない。

国鉄JR編集


私鉄編集

エンジン交換済みの車両を含めた現存車のみを掲載する。


関連タグ編集

国鉄 エンジン ディーゼルエンジン 気動車 ディーゼル機関車 DMF13 カミンズ コマツ

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