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神道の編集履歴2015/11/10 14:36:14 版
編集内容:ちょっと追記

神道

しんとう

日本独自の民族信仰。「神の道」などとも呼ばれ、古語では「かんながらのみち」と呼ばれた。

日本の伝統的な信仰である。

概要

発祥紀元前660年頃(解釈によって諸説あり)/日本
開祖自然発生のためなし。天皇祭主ローマ教皇のような存在)
体系アニミズム祖霊信仰などさまざまな多神教汎神教的要素が混在
シンボル鳥居
サカキ・オンコ(イチイ

※元々は名称が存在せず、仏教インドより伝来して以降、区別するために「神の道」などと呼ばれていた。古語では「かんながらのみち」

現在も神道と仏教を信仰している人を合計すると2億人に達すると言われる。特定の教祖教義を有さないが、神社神道から派生した教派神道には教義がある。

日本人にとって神道の思想行事は生活の一部となっているため、風習とも言える。

古来からある民俗的宗教体系がベースとなっているが、平安時代以降の神道は仏教と半ば融合しており(神仏習合)、陰陽道の要素も取り込んで成立したものでもあった。

さらに、江戸時代儒学の影響も受けたとされ、明治時代の国家神道、戦後の神道指令などを経て何度か再編されており、古代の信仰と必ずしも同一ではないが、根本的な思想は変わっていないとされる。

旧皇族宮家出身の作家である竹田恒泰氏によれば、『自然を神とし先祖とする信仰』であるとされ、人間の生み出した文明もいわば自然の恩恵によって作られたもので、文明もまた自然の一部という考えとなる。

後述の特徴にもあるが、古来日本人にとってとは()のような存在で人の目には見えないもののであり、森羅万象に宿るとされている。

特徴

  • 神職修行を必要としない
    • 己を高めるための修行というものは存在しない。神職として奉職するには当然ながら祭祀の作法を学ぶ必要はあるが、修業とは性質が異なる。

思想

八百万の神

「はっぴゃくまん」と書いて「やおよろず」と読み、非常に大きい数の例えとして用いられる。

古来、日本ではは神聖な数字で、かつ漠然と数が大きいことを表す数字であるとされる(八咫鏡など)。

同じく漠然と数の大きいことを表す、さらにを合わせていることから、途方も無く大きい数を表す言葉となっている。

神道では神の数を表す時に最もよく使われ、「神は万物に宿る」(アニミズム)と考えられていることから、それを総括して言い表すため、「八百万の神」という言い方を用いる。

産霊

『産霊(むすび)』とは、「万物を生み育てる霊的な働き」のことであり、 神道において、この世のありとあらゆるものは、この「むすび(「むすひ」とも)」の霊的な働きによって生み出され、発展し、完成するものと考えられ、神道における重要な観念の一つである。

日本における『創造』『生成』『生殖』『成長』の思想はここから生まれたとされ、明治維新後の殖産興業にも繋がり、人と人とを結びつけるを育み、日本人日本文化の寛容性を育てたとされている。

穢れ

『穢れ(けがれ)』の概念は難しく、決して「悪」というわけではない。

「人が生まれる」「人の死」「止まった血液」「女性の月経」といったものも「穢れ」とされているため、これらを「悪か?」と言うと決してそうではない。

「穢れ」『気枯(けがれ)』とも言われ、「気が枯れる」という意味とされており、「気力(元気)が失われている」もしくは「気(心)が汚れている」といった状態を指しているとされている。

禊祓

『禊祓(みそぎはらえ)』とは、神道における唯一の戒律とも言える思想であり、神々「清浄」を愛し 「穢れ」「汚れ」を嫌うとされ、迎えるためには人は身体を清めて綺麗にし、掃除で場所の汚れを落とし、社会環境さえも清らかでなくてはならないとされている。

豊かな森と清流は穢れを忌み嫌い、清浄を尊ぶ心を育て、日本文化を育む風土となり、世界で最も清潔と言われる日本の国民国土を育んだ思想とも言われており、ここから日本語「水に流す」という言葉考えが生まれたとされている。

国家神道と神社神道

明治維新に神道が大きな役割を果たしたこともあり、維新当時の明治政府では、当初神道を国教化しようとする動きも活発であった。

だがまもなく、アニミズム(精霊信仰)的信仰である神道で近代国家を統合することの不可能性が認識され、英語が堪能で欧州にて憲法を学び、現地の国教をめぐる宗教戦争の歴史をよく知っていた伊藤博文は、国教の制定化よりも日本の自由で穏やかな多神教的風土に基づくべきであるとした。

その後、政府は帝国憲法で信仰の自由を認め、「神道は宗教ではない」と位置づけ、神社を国家機関の末端として再編をはかった。

これはのちに国家神道といわれるようになるが、誤解がないように言うとこれは宗教でなく、国家が神社を管理する行政上のシステムのことである。

これにより、国教を制定せずに国民の統合が計られ、国家神道はその支柱となり、日本では国教をめぐった宗教戦争が引き起こることはなかった。

だが、そのために国民を地域固有の祭祀の伝統から切り離してしまうことを余儀なくされ、明治期に政府が神道を統制するために行われた神社合祀などの政策は、地域の神道には傷跡を残した。

神社神道は、戦後の神道指令によって政府の統制から離れ、旧神祗庁の関係者が中心となって全国の神社を管理する神社本庁が作られた。

政府(文部科学省)との関係が強い宗教法人として全国の神社の多く(被包括神)を統括している最大の神社組織だが、唯一の組織ではなく、法律上は自由な活動ができるようになったため、他団体に属する神社も数多い。

しかし、これを「国家神道の枠組みが形を変えて現在も継続している」とする声もあり、伊勢神宮を本宗と仰ぐことから、「中央集権の色合いが強い」「各地域固有の伝統を軽視する国家神道的な神道観を持っている」などとも言われている。

被包括の神社に対し鎮守の森を伐採し売却することを迫ったり、宮司人事に口を出したなどとして、しばしば裁判沙汰になったこともある。

外部リンク

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