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概要編集

イギリス(イングランド)出身の、神秘主義者あるいは魔術師。近代西洋儀式魔術の秘密結社「黄金の夜明け団」から独立した。


pixiv内では彼のイラストはほとんど投稿されていない。アニメ等で彼をモチーフにしたキャラクターがいるため、そのタグとしてよく付けられている。


略歴・人物編集

1875年10月12日、イングランドの酒造会社の家に生まれ、エドワード・アレグザンダー・クロウリーと名づけられる。父死亡の後、彼はその遺産で暮らしていくことになる。


しばらくしてオカルトにかぶれたため、あまり途中の学歴が良くない。ケンブリッジ大学在学中(後に中退)、黄金の夜明け団に入信するものの、2年後に同結社が内紛状態になったことを機に脱退。


1900年に世界各国をめぐる旅に出て、日本にも来訪し日本文化に関心も寄せた。この際、各地を旅している内にヨガ登山に目覚めたようであり、その後登山家を目指す。ちなみに二つの山へ登攀に挑み、どちらも失敗したものの到達の記録は残している。

登山に飽きたのか、「銀の星」という名の魔術結社を立ち上げる。この頃から彼自身の派手な活動アピールが始まったと推測される。また、東方聖堂騎士団(O.T.O)に接近する。


アメリカ夜逃げし、第一次世界大戦が発生し帰れなくなったり、イタリアシチリアに魔術の学校のようなものを建てたものの、トラブルを起こして追放されたりしているうちに、イギリスにおいて彼の悪名が広まる。

彼はヨーロッパ植民地であるアフリカを転々とした後、フランスに入る。そして接近していた東方聖堂騎士団の総帥に指名され、その後はフランスも追放され、イギリスに戻る。


1947年12月1日、死亡。享年72歳。


両性愛者だったとされる。また、彼の有名なポーズとしては、「三角の帽子をかぶり、両手のこぶしを甲側を見せ、のあたりに持っていく」というものがある。



功績編集

彼の功績は多岐にわたる。

登山編集

  • カラコルム・K2(当時の)未到達地域に達する。
  • ヒマラヤ・カンチェンジュンガ 初の挑戦、なだれにより失敗(4人死亡)、この件により「仲間を捨てて逃げた」といわれることになる。

魔術その他編集

小説の執筆編集

  • 主に怪奇幻想文学が中心、興味のある方は図書館で借りてみてはいかがだろうか。

モチーフにしたキャラクター編集


関連タグ編集

魔術師 オカルト 黒魔術 イギリス セレマ クロウリーの六芒星

エイワス コロンゾン


関連外部リンク編集

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