劇場版AIR
げきじょうばんえあ
Keyが制作した恋愛アドベンチャーゲーム『AIR』の劇場版。2005年2月5日に公開(夏が舞台の作品なのに冬公開な理由に関しては後述)。
制作はTVアニメ版を手掛けた京都アニメーション…ではなく、東映アニメーション。
TV版では主人公・国崎往人の声は小野大輔氏が担当しているが、本作ではPS2版ゲームと同一の緑川光氏が演じている。観鈴の実父・橘敬介の声優もTV版では津田健次郎が演じていたが、こちらもPS2版同様に三木眞一郎が演じている。
本作では原作ヒロインの神尾観鈴が実質的な主人公として描かれ、キャスト紹介も一番上である(緑川氏も「主役は観鈴」と言っている)。
(以下、東映アニメーション公式サイトからの引用。)
海と空が眩しい小さな町に、神尾観鈴という少女が住んでいた。
病気がちな彼女は学校にも行けず、友達も一人もいない。
ただ夏の風に長い髪をたなびかせながら、遥か昔より町に伝わる物語に思いをはせる日々を送っていた。
千年前、ひとりの姫君がこの地にいた。
彼女は白い羽根と不思議な力を持つゆえに忌み嫌われ、屋敷に閉じ込められていた。
生まれてから一度も外の世界を見たことが無く、遠く離れた地にいるという母に会いに行くこともかなわない。
そんな彼女を警護する青年は、喜ばせてあげようと外の世界の出来事を語って聞かせる。
やがて恋に落ちてゆく二人。
しかし羽根を持つ"翼人"には、決して恋をしてはならないという呪いがかけられていた…。
ある日、観鈴の前に国崎往人という旅の青年が現れる。
彼は母親からある遺言を託されていた。
「空にいる少女を救って」、と。
羽ばたこうとした姫君と、羽ばたく翼を無くした少女。
運命の夏が始まり、恋と宿命が千年の時を超えて交錯してゆく。
『AIR』は難解かつとても伏線が多い作品で、しかも全3部構成になっている上に第2部は1000年前の平安時代が舞台である。こうした尺の長さを無理やり90分の映画にまとめた弊害もあり、かなり駆け足な展開になっている。
- まず全三部構成を順番にやるなど90分では不可能だったため、苦肉の策として第1部「DREAM編」と第2部「SUMMER編」をぶつ切りにして同時並行で進めている。よく類似性が指摘される『火の鳥 太陽編』の壬申の乱パートと21世紀パートのようなものである。
- 原作『AIR』はサブヒロイン2名の√もあるが、勿論尺を割く余裕などないのでその2人はほぼチョイ役で台詞ゼロ。
- もののついでのようにみちるも近所の子供たちのうちのネームドみたいな扱いになっている。原作のことを考えるとその方がよかったかもしれん
- 往人の性格が原作に比べややヒネている。
- 往人の人形のデザインや人形劇の内容が異なる。しかもTV版の往人が見たら卒倒しそうなほど子供たちから大人気。
- 原作では観鈴√では終盤の終盤まで殆ど出てこない「夏祭り」が往人にとって非常に思い入れの強いものになっている(原作では夏祭りをやるころには往人は既にそらになっている)。
- 観鈴が普通に喋る。精神年齢が原作より高く、恋愛にも積極的である。
- 『あしたのジョー』名物黄金ゲロが出てくる。しかも往人がそのことに言及している。
- 観鈴が原作よりさらに病弱で、1学期に1度も登校していない。
- 当然というか主治医は霧島聖。本作では佳乃より出番が多い。
- TV版より観鈴がやや精神年齢が高い為、「もっと彼氏っぽくしてもいいのだよ」の台詞からわかる通り往人に対する好意がTV版に比べ掘り下げられている(まあ元はエロゲだし…)
- 観鈴の部屋が畳張りではなく絨毯が敷いてある。
- TV版で一切登場しない、観鈴が昔通っていた小学校(廃校)が何回か舞台となる。
- しかもそこで観鈴はある「決別」に着手している。
- 翼人の呪いが原作と違う。
- 特に2度目の呪いが全カットされている上「空の夢」がほとんど語られないので、なんで観鈴が病弱なのかが、1回映画を見ただけだとわかりづらい。
- ゆえに晴子と観鈴が初っ端から仲良しで、最初から観鈴のこと大好きで好感度が振り切れている。TV版視聴者からすると泣ける一方で「それは何か違う」という意見も
- 晴子の職業。
- 晴子が「叔母」ではなく「伯母(観鈴母の姉)」。あのプロポーションで本当は何歳なんだ…。
- 美凪√で出てくる駅が廃線になってない。しかも劇中1回も美凪とみちるが駅に居ない
- SUMMER編の舞台がどう見ても春で桜が舞い散っている。
- 八百比丘尼が監禁されていた祠が神尾家のすぐ近く。宅地造成にもほどがある。
- しかも死因が原作と全く違う。
- 神奈備命がツンデレ・お転婆ではない。原作からは考えられないほど穏やかで女性的な性格になっている。
- しかも生涯一度も八百比丘尼に会わないままその短い生涯を終える。あんまりだ
- 柳也の全てが原作と違う。
- まず髪型がセンター分けであり、ワイルドな原作の面影は殆ど無い。『ヒカルの碁』の藤原佐為みたいな風貌になっている。
- 口調も丁寧であり神奈をイジったりしない。
- しょっぱなから法術を使っている。
- 神奈とは相思相愛で濡れ場もある。その事が、原作とは異なる「破戒」を迎えることとなる。
- 柳也が朝兵との戦いでめった刺しにされてしまう。(監督は本当にこのシーンで柳也を戦死させるつもりだったらしいが、プロデューサーから「それだけは絶対にやめろ」と言われ、オーディオコメンタリーで「この時はまだ柳也は死んでいない」と明言している)
- さらに子孫を残した形跡がない。つまり国崎家は柳也の血を引いていない可能性がある。(劇場版の描写を見る限り往人はおそらく柳也の転生体)
- ネタバレになるから細かい事は言えないがAIR編のなにもかもが違う。
ほぼ「全部」じゃないかって? いやまあホントにそうなのだが、それでも原作を完全に逸脱した内容ではないので、ちゃんと原作のノルマを消化はしている。いわば「もう一つの『AIR』」としての完成度が高いのは事実である。
『AIR』を「異邦人の青年と病弱な少女と血のつながらない母親の、ひと夏の思い出を描いた闘病もの」みたいな話だと勘違いしている人は多い(原作は実はセカイ系かつ多重構造の難解な物語であり、上記の説明はその一番表層に当たる部分である)が、本当にそのイメージそのまんまで作ったのが本作といえる。
観鈴役の川上とも子氏は、もう既にPS2版とTVアニメの収録をやっているので日本中の誰よりも『AIR』のオチを知っているにもかかわらず、本作のDVDを家で鑑賞して飼い犬がビックリするほど大泣きしてしまったとオーディオコメンタリーで語っている。
かくして原作の雰囲気を残しつつ、出﨑監督の原作付き作品に見られる、大幅にアレンジした脚本や演出(強すぎる透過光や斜光、しつこい3回パン、多用される魚眼レンズや劇画風の止め絵、あまりにも強調しすぎな和太鼓や雅楽の音響etc...)のために、ファンの間では賛否両論分かれ、当時存在した出﨑監督のファンサイトの掲示板は荒らしに遭い、一時閉鎖の上、運営体制を大幅に刷新せざるを得なくなった。
こうした内容となったのは、出﨑の制作方針もあるが、テレビアニメ版の制作も決まっていたためにある程度監督の采配で作ってよいというプロデュース方針があったためである。が、脚本が6度も描き直されるなど、劇場版の制作が遅延したため、本来は劇場版⇒TV版という順番だったのが公開の予定が逆転してしまう。結果的に高評価だったTV版を見た後で劇場に足を運んだ人が多かったためこのような評価となった。
一方で、キャラクターデザインはTV版よりも良いという評価をされている。
興行成績としてはそれなりの結果を残しており、後の劇場版CLANNAD制作に繋がった。
ちなみに出崎監督は本ゲームをプレイしたことが無かったらしい。