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大東諸島

だいとうしょとう

沖縄県東端の島嶼群。有人の北大東島、南大東島と、無人島の沖大東島で構成される。
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概要編集

沖縄県の東部、沖縄本島から見て東に340km離れた場所に位置する。三島の周囲100km四方に隣接する島の無い「絶海の孤島群」である。


人口は南大東島に1,400人、北大東島に700人ほど。沖大東島(別名ラサ島。「ラサ」とは、ラテン語で「平坦な」という意味の「rasa」に由来。)は現在は無人島。


主力産業は農業サトウキビの栽培)、水産業。握り寿司(大東寿司)、沖縄そば(大東そば)、じゃがめんが名物料理。島内で取れたサトウキビを使ったラム酒も製造されている。和太鼓(大東太鼓)や神輿などの伊豆諸島の文化と、三線エイサーなどの琉球文化が入り混じる。


サトウキビ栽培は農家1戸あたりの耕地面積が広く、日本では例の少ない大型機械を用いた一貫作業体系による徹底した効率化の成果もあり、南大東島・北大東島とも沖縄県内において経済的に最も豊かな島ある。2021年の北大東村の平均所得は463万円で県内首位。南大東島が年収410万円で県内3位。北大東島の平均年収は県平均の234万9千円の2倍以上、県内最低の今帰仁村171万7千円の2.8倍、県内最大の都市である那覇市の所得265万2千円の1.8倍に達する。そのため、沖縄本島や本土から出稼ぎに来る人々も多い。そもそも、明治時代に初めて大東諸島に移住した人々もサトウキビの栽培が目的であった。


歴史編集

日本領となるまで編集

古くは「ウフアガリの島」と呼ばれ、はるか東にある無人島として知られていた。「ウフアガリ」とは琉球語で「東の涯て」を意味し、「大東」の漢字表記は「ウフアガリ」に該当する意味の漢字を当てたものである(これを音読みにして「だいとう」)。沖縄県に属する有人島の中では唯一、琉球王国による統治を受けたことがない歴史を持つ。


1885年、日本が南大東島北大東島の領有を諸外国に宣言。沖縄県に編入される。

1900年、日本がラサ島の領有を諸外国に宣言。沖大東島として沖縄県に編入される。


南大東島編集

1900年、八丈島の豪商だった玉置半右衛門が組織した23人の開拓団が南大東島の西側海岸に到着。断崖を登り島内に入る事に成功した。

1902年、玉置商会黒砂糖の製造を開始。「30年後に土地が与えられる」という約束で入植者を募った。島内では玉置商会の商品券である「南北大東島通用引換券(大東島紙幣)」が通貨として使用された。


1910年、玉置半右衛門が死去し、息子たちは土地を与える約束を反故にした。遺産を巡る争いから玉置商会は経営難となり、1916年に東洋精糖と合併。

1927年、親会社鈴木商店が経営破綻したため東洋製糖は大日本製糖に吸収合併。

島は大日本製糖の社有地として、会社は強権的に島民を支配し、政府や県の行政がおよばず町村制は施行されなかった。会社は八丈系島民と沖縄からの移民の対立を煽り、分断統治を行った。逃走も難しい絶海の孤島であり、さながら「賭博黙示録カイジ」に出てくる地下強制労働を彷彿とさせる(上記の南北大東島通用引換券(大東島紙幣)は、ペリカの元ネタの一つ)。


太平洋戦争に日本が敗れ沖縄がアメリカの統治下に置かれると、1946年に初の自治行政が施行され「南大東村」が成立した。


1964年、島民が琉球列島高等弁務官ポール・ワイアット・キャラウェイ中将に直訴した結果、会社による支配が終わり、土地は島民に与えられ民主化された。このため島内にはキャラウェイ中将を顕彰する銅像が立てられるなど偉人扱いである。(一方で、沖縄本島では日本本土復帰運動を妨害したため嫌われ者扱い)。


北大東島編集

1903年、南大東島からの開拓団が入植し、玉置商会の社有島となる。こちらの海岸は南大東島以上の断崖絶壁だった。


島の開発は長らく手つかずだったが、1919年に東洋精糖が始めたリン鉱石の採掘が島の主要産業となり、沖縄県出身の鉱夫が島民のほとんどを占めた。


1927年、東洋製糖は大日本製糖に吸収合併され、北大東島のリン鉱山の経営権も大日本製糖へ移った。


1946年、アメリカ軍政の開始により村制が施行され、「北大東村」となる。


リン鉱山は琉球列島米国軍政府の直轄経営となったが、重機による大規模な採掘でリン鉱石の品位が低下し、1950年に閉山。閉山後、島は急速に寂れた。


現在は南大東島と同じくサトウキビ栽培が主要産業である。


沖大東島編集

1543年、スペインベルナルド・デ・ラ・トーレが発見し、「マル・アブリゴ」と命名。

1807年、フランス軍艦カノニエル号が「ラサ島」と命名した。


1900年、中村十作内務省にラサ島の借用願いを提出し、ラサ島が実在の島であることを確認した内務省は沖縄県に訓令を発し、沖大東島として沖縄県島尻郡に編入された。(中村十作の借用願いは却下)

1903年、沖縄県土地整理事務局による沖大東島の探検が行われた。南大東島の南、約160キロメートルにある珊瑚礁の小島で、海岸線は断崖となっているのが分かった。

1906年、玉置半右衛門が送った調査船に乗っていた水谷新六が、島からリン鉱石を持ち帰る。

鉱山の開発権をめぐって泥沼の争いがあったが恒藤規隆が掌握に成功。1910年、日本産業商会が設立された。

1911年、ラサ島鉱業所が創業し、1913年、ラサ島燐礦株式会社が設立された。地方自治が敷かれなかった沖大東島はその支配下に置かれた。


1928年、採掘条件が良い鉱石が減少しラサ島鉱業所は閉鎖される。

1933年、日本が国際的孤立を深め、リン鉱石の輸入が不安視されたためラサ島鉱業所が再開される。

1934年、日本産業商会はラサ工業に改名。

1937年、沖大東島はラサ工業に払い下げられた。

1944年、ラサ島鉱業所が閉鎖。


1946年、アメリカ軍政の開始により沖大東島は「北大東村」に編入された。1950年代には無人島となる。


1956年、アメリカ海軍の訓練を行う沖大東島射爆撃場となった。

1972年、沖縄返還により日本の国有地となるが、ラサ工業の所有権を認め、1973年に民有地に訂正された。その後はラサ工業に基地使用の借地料が支払われている。


地理的事情から来る沖縄本島との隔絶編集

大東諸島は古来ニューギニア島近海にあった海底火山が日本列島付近に徐々に移動し、隆起してサンゴ礁となった後、海上に姿を現したものと考えられており、大陸と繋がったことが無い。大東諸島周辺の海域は島を出るとすぐに海底下4,000mにも及ぶ深海となっており、海中地形的に見ても完全に孤立している。こうした事情により、沖縄本島との間に海底ケーブルが長らく曳かれなかった(2011年にようやく敷設)。


また、沖縄本島からあまりにも遠く離れている上、先島諸島などと違い人口規模も極端に小さかったためにテレビ局や中継局が敷設されず、ケーブルテレビによる地上波放送の再送信で代替している(同様の方式は東京都本土と小笠原諸島間で見られる)。アナログ時代においては前述の海底ケーブル問題もありそれすらままならなかったため、当時小笠原に対して実施されていた難視聴対策用衛星中継回線を利用した中継方式が取られた。これは、東京で実施されていたシステムをそのまま流用したのである。つまり、在沖局ではなく、小笠原向けの関東広域局(キー局)の電波が届いていた


このため、地上デジタル放送もインターネットもない時代は、沖縄の情報を大東の住民が受け取るために文字情報を電話回線を使って送信するという苦肉の策が取られていた。一方、これによりアナログキー局で放送されている首都圏・全国域の番組が何れも全国最速レベルで視聴可能であった。もちろん深夜アニメもである


もっとも大東諸島の住民にそれらの恩恵は殆どメリットが無く、デジタル化と海底ケーブル敷設を機に在沖局のケーブル再送信という形に置き換えられ、大東諸島でのキー局視聴体制は終了。なお、あくまで代替放送という位置づけであり、沖縄県には日本テレビテレビ東京の系列局が無いため、両局を視聴することは不可能であった(TOKYOMXを含め、小笠原向けにはある三局の電波のみ大東向けはカット)。県内の放送局は両局の番組を一部カバーしているため、大東の住人のみこれらの系列番組が視れない状況にあった。


交通手段編集

本土との交通手段は船舶と航空便のみ。船舶はカーフェリーが停泊可能な港が無く、貨客船「だいとう」で沖縄本島と結ばれている。旅客数が少ない上に地形上良港が無いため、旅客を鉄籠に入れてクレーンで釣りあげて上陸するという他に類を見ない乗降方法が体験できる。所要時間15時間・就航日数は週1回のみ。


旅客や生鮮食品、小型貨物の輸送は飛行機が主な交通手段となっている。大東諸島と那覇空港を結ぶ航空路線は所要時間は1時間ほどと、日本のコミューター空路としては最長クラスである。那覇空港〜南大東空港は1日2往復、那覇空港〜北大東島空港は1日1往復が運行されている。


かつては南大東島〜北大東島間を直接結ぶ空路もあり、こちらは距離にして僅か20km、所要時間10分で、遊覧飛行などを除けば日本一、世界的に見ても最短クラスの航空路線であったが、2024年7月に廃止。そのため現在では、両島間の航空機での移動は那覇経由で700km以上も遠回りしなければならない。南大東島〜北大東島を船で行き来する場合は1時間程度だが、本数は1週間にわずか1往復のみ。南大東村と北大東村の村民たちが相互に南北の島を移動することはあまりないとのことだが、地元では観光への影響を懸念する声も出ている。


各村内交通編集

各村内に公共交通機関やタクシーはないため、宿泊施設による送迎が行われている他、レンタカー、レンタルバイク、レンタサイクルがある。


関連タグ編集

沖縄県 離島 八丈島 小笠原諸島

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