曖昧さ回避
姓
日本語における音読みは「チン」、訓読みは「つらねる」、「ならべる」、「のべる」、「ふるい」。
姓のとしての陳は中国語では「チェン/チャン」、韓国語では「チン」、ベトナム語では「チャン/トラン」と読む。
pixiv百科事典に記事のある「陳」姓の人物
実在の人物
- 陳宮:後漢末期(呂布軍)の智将。
- 陳珪:後漢末期の官僚。
- 陳登:後漢末期の武将。陳珪の息子。
- 陳羣(陳群とも):魏の智将。
- 陳泰:魏の武将。陳羣の息子。
- 陳武:呉の武将。
- 陳寿:正史『三国志』の著者。
- 陳舜臣:歴史小説家。
- 陳港生:香港出身の俳優。
- 陳美齡:香港出身のタレント。
- 陳偉殷:台湾出身のメジャーリーガー。
- 陳建民:中華料理の料理人。
- 陳建一:中華料理の料理人。建民の息子。
架空のキャラクター
諸侯・王朝
諸侯国の「陳」
紀元前1046年、周の武王が舜の子孫・嬀満を見つけ出し、これを陳(現代の河南省周口市)に封じ陳君とした。
紀元前489年、呉の侵攻を受けた。楚の昭王が救援の軍を出し、呉軍は撤退した。
紀元前486年、陳の湣公が呉に寝返り、陳は楚の攻撃を受けた。
紀元前485年、楚の公子結が軍を率いて侵攻。呉が陳を救援した。
紀元前479年、湣公は楚の内乱に乗じて楚に侵攻。
紀元前478年、楚の恵王が公孫朝に軍を与え陳を包囲させた。湣公は殺され、陳が滅亡した。
南朝の「陳」
梁の武将だった、陳覇先が梁を事実上滅ぼした候景を倒して建国。しかし、当時は北朝に押されっぱなしで蜀(四川)を失い、その圧力を一身に受け止める状況で、さらに長江流域に後梁(梁の一族が打ち立てた政権。北朝の傀儡政権で勢力は小さかった)もあり、勢力圏はかなり小さかった。
そんな状況下で最後の皇帝、陳淑宝は酒色に溺れ、政治を省みなかった。陳の攻略を目指す隋にその隙を突かれ、侵攻を受ける。上記の有り様でこれを受け止めきることは出来ず、あっさり滅亡したのだった。淑宝は長安に連行されたが、赦された。