魔法(TYPE-MOON)
たいぷむーんのまほう
ここでは、TYPE-MOON(以下「型月」)の作品全体で使用される「魔法」について解説する。
世間一般で認知される魔法や、それを元にしたファンタジー作品で扱われる魔法と比べると、かなり緻密で複雑な理論で設定されている。
型月作品における「魔法」とは、作品内の世界でのあらゆる事象の発生源であり、魔術師達が目指す最終到達地点である「根源の渦」から引き出された神秘の力の発現である。
魔法は根源の渦に直接繋がっているものであるため、根源に到達すれば魔法を得ることができ、逆に魔法を開発することで根源に到達することもできる。後述する魔術協会によって認定された5つの魔法の内、第一と第五が前者であり、第二、第三、第四は後者。
これらのことから根源への到達と魔法の獲得は混同・同一視されるが、「同じ理論、同じ方法で根源に辿り着いても一番目でないなら魔法にはたどり着けない」ためどれほど優れていても2番目以降には意味がない。大昔にはそうでもなかったらしいが、現代においては「一度使われた未知(ルート)は確定(とざ)されてしまう」。
かつて一番初めの魔法使いが「最終的に、人間に残される最後の課題は5つだろう」と発言しており、最後の席である第五魔法が埋まったことで、現代の魔術師達は魔法抜きで根源に辿り着くしかなくなっている。
とはいえ魔法の獲得は本来根源へ到達した魔術師への御褒美のような扱いであり、魔法を使うだけの肉体性能がなくとも根源への路ができただけで魔術的にはやりたい放題であるため、真っ当な魔術師はとうの昔に魔法による根源到達に見切りをつけている。
型月世界では「魔法」と「魔術」は異なるものとして定義されており、その時代の文明の力では、いかに資金や時間を注ぎ込もうとも絶対に実現不可能な”結果”をもたらすものを指して「魔法」と呼ぶ。
対して「魔術」は、一見ありえない奇跡に見えても、”結果”という一点においては別の方法で代用ができる。例えば魔術を用いて何もない虚空に火炎を出現させ敵を攻撃して燃やすことは、一見してありえない奇跡に見えるが、「火で燃やす」という”結果”を問うなら火打ち石でもマッチでもライターでも、火炎放射器でも代用ができる。
魔術では再現できない直死の魔眼ですら、過程ではない、もたらされる”結果”を問えば、単純に「死」であるため、魔法の域にはない。
魔術が人知の及ぶ範囲なら限界はないのに対し、逆に魔法は「天の外の神の摂理」であり、人にも星にも含まれない業。一つのことしかできず汎用性がないため限界だらけだが、誰にもできないことを可能とする時点で、魔術世界にとっては万能とされる。
当然神秘としても強大であり、『魔法使いの夜』においては蒼崎青子が、魔術が太陽からの恩恵を利用しただけものにすぎないなら、魔法は太陽そのものを扱うものであるという喩え方をしている。
(神秘の性質として、詳細を知る者が増えれば増えるほど力が分割されていくため、担い手が一人一代しか存在し得ない魔法は文字通り比類なき神秘ということになる。)
つまり大雑把に言えば、超常的な力によって他の方法では絶対できないことをやってのけるのが「魔法」で、他の方法でも可能なことが「魔術」であると、型月作品の世界では定義されている。
そのため、人類が未熟な時代には数多くの魔法があったが、それらは文明の発達にともなって、殆どが魔術へと格下げされた。
現在、魔術協会から正式に認可されている魔法はわずかに5つ。使い手は第一魔法の使い手が死亡しているため、生きているのは4人、残っているのは5人と言われる。
その内容はたとえ協会の魔術師であろうと末端の人物や、そもそも協会に属してさえいない部外者には知らされていない。また中でも第三魔法は協会でも秘密にされていた禁忌中の禁忌。
また魔法を発動できる管理地は限られており、日本では全国有数の「歪芯霊脈」を持つ三咲町のみ。
田舎の一族やまだ歴史の浅い家系なら魔法使いの定義くらいしか耳にしないが、連綿と続いてきた家系なら、子供のころから魔法の存在・位置づけと、その担い手として最も有名なゼルレッチの名前くらいは教えられる。
時計塔に入ると否応なくゼルレッチの名は耳にするようになり、開位あたりになる頃にはもうひとりの魔法使い・ユミナの事も知るようになるという。
……はじめの一つは全てを変えた。
詳細は全くの不明であり、劇中登場した人物の発言などからの推測しかできないが、『hollow ataraxia』におけるバゼットの「死者の蘇生には『時間旅行』『並行世界の運営』『無の否定』のいずれかが絡む」という発言と、エーテル塊の説明にある「無を生み出す」という一文から「無の否定」ではないかという説が有力視されている。
担い手はユミナ。時計塔における植物科の創立者であり、人間とは違う生き物である「魔女」と呼ばれる超自然的な存在。純血の魔女マインスターである久遠寺有珠はその直系にあたる。
青子によると、ユミナは影も形もない程に死んだが、その死を以て逆にほぼ殺せない存在となったと言う。肉体はともかく、形而上の概念的な存在としては生存しているのかもしれない。
またある妖精が「起きた事を本にして、それを魔術として会得する」ことを「汎人類史の魔術師たちは忘れてしまった、一番目の神秘の在り方」と称しており、第一魔法かそれに近いものではないかとも話題になった。
後に有珠が自らの使い魔であるプロイキッシャーについてそのような魔術に近く、第一魔法の応用であるとも語っている。
成立自体は第三魔法より後であるものの、第一魔法が「第一」と分類されるのは、その特性も関与しているとされる。また、事件簿マテリアルの「時計塔の年表」において第一魔法の担い手が誕生したのは西暦前夜となっている。
……つぎの二つは多くを認めた。
キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグの到達した魔法。あるときのAではなくBを選んでいたら、世界は別の道筋を歩む。そういった、数限りなく存在する並行世界を行き来するというもの。
ただし、並行世界の「移動」ではなく「運営」であるため、応用も含めて並行世界に関係するあらゆる事象を引き起こせると思われ、それこそ「ほぼ限りなく存在する並行世界からありったけ魔力をかき集め、その莫大な魔力を運用する」という無法すら、本人にそれだけの魔力を運用する実力がありさえすれば可能である。
長らくその詳細は不明であったが、その具体的な内容が公開された型月稿本では「並行世界の証明と運用」と、表記がやや変更されている。
並行世界への移動を可能としたゼルレッチは“このように、世界には違う展開を迎える余地がある”ことを証明し、夢を失いつつあった星に対して「我々の歴史は失敗し、自滅するが、他に成功した我々がいるかもしれない」という概念によって希望を与えたことで、世界はその寿命を延ばしたという。
現在のところ、最も触れられる機会の多い魔法であり、第二魔法そのものではないものの、その応用や一部再現とされるものも多く登場している(代表例は某喫茶店)。
……受けて三つは未来を示した。
魂の物質化またの名を「天の杯」。
使用者については『西暦が始まる前夜』にこの世から去っており不明だが、アインツベルン家はその魔法使いの弟子が起こした工房である。しかし、ユスティーツァの代には既に失われていたことが確認されている。
物質界において唯一永劫不滅でありながら、肉体に引きずられ、劣化していく魂をそれ単体で存続できるよう固定する真の不老不死を実現させる魔法。魂そのものを生き物にして、次の段階に向かう生命体として確立する。
また、魂を別人の肉体に定着させたり、永久機関とすることで魂のエネルギーを魔力として無尽蔵に汲み出す事すらも可能。
冬木における聖杯戦争は第三魔法を再現させるための大規模な魔術儀式であり、現在シリーズ定番のサーヴァントもこの産物。同様の原理で進化を遂げた未来もあり得る模様。
……繋ぐ四つは姿を隠した。
使い手、内容ともに全くの不明であり、第一魔法のように手がかりがあるわけでもない。しかし、「存在すること」そのものは確かなようで、他の魔法使いたちは「第四はある」と明言している。
メタな話においても、奈須きのこと親しい一部の作家等は第四魔法の概要を開示されているとの発言があり、設定そのものはちゃんと存在するようである。
そして終わりの五つ目は、とっくに意義を失っていた。
蒼崎の三代前の当主が道を開き、蒼崎青子が継承した魔法。『MELTY BLOOD Actress Again』の時点でまだ30年程の歴史しかない。
内容について詳しいことは今だ判らないが、『魔法使いの夜』の描写によれば時間旅行を可能とし、死をもなかったことにできるが、同時に同作内では「時間旅行の概念は、既に第二魔法に含まれている」「記録の改竄、事象の書き換え等は、すなわち並行世界の運営にあたる。いまさらそんなものが第五魔法と呼ばれる筈もない」とされており、第五魔法が時間旅行である可能性は事実上否定されている。
前述の描写もこの魔法の本質ではないらしく、あくまで副産物に過ぎないもののようである。
奈須きのこからは、本来の継承者だった蒼崎橙子の魔術回路は業界屈指のものであったが、第五魔法にそんなものは必要なく、むしろ青子のように単純な魔術回路の方が最も適していたことや、『魔法使いの夜』のテーマである「進む文明」にも関りがあり、青子がどうして“最新の”魔法使いなのか、その答えも第五の中にあるといった発言がこれまでに為されている。
外部にもその原理を把握している者はおり、魔術王は己の計画に青子のラストアークと同じ「逆行運河」の名を付け、オシリスの砂は第五魔法を「星の命に何の利益も齎さない力」と評していた。
特にゲーティアの行いは青子の痕跡や第五魔法の一端を知ることができる逆の伏線・ファンサービスにあたるとされている。有珠曰く「死者蘇生ではなく時間詐欺、ペテンのようなものだからノーカウント」らしいが…。
使い手は未だ存在せず、詳細も全くの不明。第六法、「Program No.6」とも言われる。
かつてアトラス院の錬金術師、ズェピア・エルトナム・オべローンが挑み、そして敗れたもの。
黒桐幹也の言によれば「みんなを幸せにする」ではないか、と度々話題になるが、黒桐は魔術に関しては全くの素人であるため、的を射てすらいるのかもわからない。
『鋼の大地』に登場する「六人姉妹」は魔法使いだとされているため、星が寿命を迎えるまでには誰かが到達するようである。
魔術協会が正式に認可している魔法は上記の5つのみだが、その他にも「実現不可能なもの」が無いわけではない。「現代の文明では実現不可能なもの」は五つとは言わず、幾つもある。5つの魔法には該当しないが、その奇跡を指して「魔法の域」と言わしめる現象は他にも存在する。
以下は『Fate/complete material III』に記されている「魔法級の効果」を持つもの。
- アサシンの「燕返し」(同一存在の偏在)
- キャスターの「魔術(柳洞寺限定)」(神代神秘の運用)
- 全て遠き理想郷(異世界との接続)
- ライダーのペガサスなどの幻想種(千年クラスの幻獣・聖獣)
- 固有結界(世界のテクスチャの個人、集団による上書き)
- サーヴァントの「空間転移」
- ゼルレッチの宝箱
Fate本編では「純粋な空間転移は現代においては魔法」と言い切っているが、これも魔法級の魔術と捉えるのが妥当だろう。(手段はともかく結果は「目的地への到達」であるため)
また、死者の“完全な”蘇生は魔法ですら叶えていない奇跡であるとされる。この理由は蒼崎橙子やテスカトリポカによると、「体を復元したところで“死”は覆らない」ためであるらしい。バゼットが「死者の蘇生には無の否定、並行世界の運営、時間旅行のいずれかが絡む」と発言したのも、この辺りの事情の為と思われる。
補足として、『魔法使いの夜』内で時間旅行は並行世界の運営に含まれる事柄であり魔法ではないこと、世界を換えずに行う時間旅行ではそもそも過去を変えられず、効果が切れれば蘇生対象も死体に戻ってしまうことが言及されている。
これは裏を返せば世界を換える、もしくはそもそも世界の外側にいるのならばその限りではないとも捉えられ、実際にガイアの獣は時間軸から隔絶された空間で死者蘇生を行っている。
一方で久遠寺有珠は死者蘇生に関して「まだ青子には無理なのか、それとも、今回も日和ったのか」と発言しており、叶えていないだけで不可能ではないことが暗に示されて、『隈乃温泉殺人事件』では有珠がマシュに「死者蘇生は世界崩壊のワールドエンドに繋がる」と語っている。
理屈としては以下のようになる。
①死人Aを生き返らせると、その時点で世界に『死人は生き返っていいもの』という法則ができる。
↓
②そうなるといずれ世界各地で死人B、死人C、死人Dが生き返るレアケースが発生する。
↓
③レアケースが多く発現すればするほどルールは強固になり、レアではなくなって常識になる。
↓
④あっという間に『生死の境界や命の循環が壊れた世界』のできあがり。
ファンの間で、現代に残された5つの魔法と何かしらの関係があるのではと言われているものがいくつか存在している。
以下は、その一例である。
ビースト
様々な作品でゼルレッチや青子が世界、もしくは人類の滅亡を食い止めるべく奔走する様子が描かれているが、魔法使いの夜では『明白な罪科。魔法とは、人類の敵そのもの』と書かれており、型月稿本ではゼルレッチは死徒化によって人類の敵となってしまったものの、もともと人類の味方でもないしそろそろ隠居したいという理由で表舞台から姿を消したとされている他、ユミナの直系である久遠寺有珠はFGOで実装された際の宝具ボイスの中に「いつまで人間の味方をするの?」というものがあるなど、魔法や魔法使いが(立場上は)人類の敵であることが示唆されている。
そして“罪”や“人類の敵”で連想されるもののひとつとしてビーストが挙げられるが、このビーストもまた、魔法と関わる設定が多い。
ゲーティアの最終目的は魔法に近いものであるとされており、ティアマト のデザインコンセプトは「桜系ヒロインの究極形」と、第三魔法との関わりが深い黒桜がモチーフになっている。また、ビーストⅢ/Rに関連するものとして第三魔法の亜種がある他、ビーストⅢ/Lの依代となっているのは間桐桜である。
さらに、『HF』で第三魔法の成功例になりつつあるとされたアンリマユはTVアニメ版UBWではギルガメッシュから人類悪と呼ばれており、劇場版HF第三章の一問一答では生贄の青年ではないサーヴァント・アンリマユは人類悪に含まれ(あえて言うなら『報復』の人類悪)、桜と一体化していたらビーストになっていたとされている。
また、人類悪とは“人類が”滅ぼすべき悪でありいわば試練のようなものだが、魔法使いの夜では魔法=人類に残される課題と表現されるなど、偶然とは思えない類似性のある描写も見られ、これらの事から魔法と人類悪ないしビーストには何かしらの関係があるのではないかと考察されている。
権能、神代の魔術
型月作品の中でも初期の作品である空の境界で蒼崎橙子が「魔術とて、もとは魔法だった」と言い切っているように、現代では魔術とされている神秘もかつては魔法だったというのがファンの間での常識であった。
……が、近年の作品である『ロード・エルメロイⅡ世の冒険』ではエルゴが自身にかけられた神喰らいの術式について『神喰らいは二千年以上前、つまりは神代にかけられた魔術である。神代の魔術とは、魔法だったらしい。さっきの例でいうと、まだライターもエアコンもないのだから、理屈としては理解できる。だったら、神喰らいは魔法の産物、ということになるのだろうか?』と疑問形の独白をしており、神代の魔術=魔法ではない可能性があるようにもとれる描写がされるようになっている。
そしてこのような描写が為される以前から一部のファンの間では、「かつて魔術は魔法だった」という表現が実はミスリードや叙述トリックの類なのではないかと考察されていた。
この説は、それぞれの用語を以下のように並べると分かりやすい。
- 現代の五大魔法
根源直結の神秘。根源へ到達する事で獲得できる他、魔法の開発によって根源へ到達できる。
- 神代の魔術
根源と繋がった存在である神、または神霊の権能のごく一部を借り受けるもの。神代の魔術師は神を中継して間接的に根源と繋がっている状態であり、あまりに身近に感じられる事から根源への到達という発想が浮かばない。
- 魔法
その時代の文明や技術では再現不可能な神秘。
魔法の定義は区分について言及したものであり、具体的な仕組みについては語っていない。そして仕組みに目を向けた場合、神代において根源と直接繋がっているのは神、または神霊である。
これらを踏まえると、根源と直結している現代の五大魔法は神代の魔術というより神の権能に近いもの、あるいは人造の権能なのではないかという可能性が浮上するのである。
また、『ロード・エルメロイⅡ世の事件簿』では時任次郎坊清玄がドクター・ハートレスの最終目的を
「神代の魔術なら、直接神霊の権能にアクセスすることになる。神霊が根源と強く結びついている以上、そうなれば根源に届かなくてもええ、か」
「魔術師二千年の悲願を叶えたりはしない——代わりに、叶えなくてもいいっていう逃げ道をくれる。現実の痛みを散らす夢(ますい)としてはこれ以上のものはそうそうないやろ」
と要約しているが、仮に“魔法だった”とされる神代の魔術と現代の魔法が同じようなものだとすると、この発言はおかしい。現代に残された5つの魔法はその獲得が根源への到達と同一視されるものであり、実際に魔法使いの夜では第五魔法を行使した蒼崎青子が生身で根源に到達しているからである。
加えて『Fate/complete material』のFAQでは、第五次聖杯戦争のキャスターは魔法が当たり前だった時代の魔術師であり、“現代の五大魔法”とはそもそも相容れないので彼女が魔法を習得する事はできないという内容が記載されている。
第五次のキャスターは魔術師としての技量が魔法使いに匹敵するどころか上回る程なのだが、その技量を以てしても埋まらない断絶が存在するようである。
なお、移植版の魔法使いの夜公式ホームページでは用語解説として『現代では別の手法を用いれば実現可能な事象が《魔術》、実現不可能なものが《魔法》と呼ばれる』という、魔術と魔法の区分そのものがある時を境として生まれたかのような書かれ方をしている。