ピクシブ百科事典は2024年5月28日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

解説

西暦1246年頃にカンボジアアンコール王朝から独立し、シーインタラテット王がスコータイに国を築いたのがタイ王国の始まり。

1939年までは『シャム王国』と呼ばれ、この「シャム(Siam、暹羅)」と言う語は歴史が古く、1050年にチャンパ王国が建造したポーナガル塔にあるチャム語の碑文や、ビルマ(現:ミャンマー)のバガンに1120年に建てられた碑文、アンコールワットの刻文などにその原型を見ることができるという。

タイ人は中国南部がルーツで、ラオス人も同系。現在のタイ北部に定着したタイ人が、先住のモン人やクメール人(カンボジア人)を同化したり南方に追いやって現在のタイ文化圏(タイとラオス)が成立した。また東南アジア諸国の例にもれず15世紀以降中国人が大量に流入し、現在のタイ人はモン・クメール系や中国系、マレー系との混血である。国教は仏教上座部仏教)だがヒンドゥー教道教の影響もあり、南部にはムスリムクリスチャンもいる。

立憲君主制で、現在の王はチャクリー王朝のラーマ10世(ワチラーロンコーン)。

カンボジアやミャンマーマレーシア等と陸続きで小競り合いが起こる事もある。

ちなみにバンコクは、ASA(東南アジア連合)を発展的に解消する形で、現在のASEAN(東南アジア諸国連合)が設立された場所でもある。

カンボジアとは現在、国境にあるヒンズー仏教美術の遺跡「カオプラウィーハン」を巡っては何度も問題が起こっている。一応、国際司法裁判所ではカンボジア側の物と判定されたが、タイ側は不服としている。同様に近年はカンボジア側が寺院を世界遺産に認定すべく動いた為に、タイ側の遺跡見学の入り口は閉鎖された状態になっている。

又、南部のマレーシア側の方ではマレーシア方面からやって来て遠い昔に定住したムスリムと仏教徒の争いが現在も絶えず、近年はイスラム過激派によるテロが多発し治安の悪化が加速しており、ムスリムも多数死亡している。

国境地帯や南部には行ってはいけない。

タイの国旗の話

タイの国旗は昔は「白象」を描いた物だったが、現在は「赤・白・青」の三色を使った旗になっている。「赤は国民」「白は仏教」「青は王族」を意味する。

タイの食事文化の話

昔はタイではスプーンフォークを使う文化は無かったが、中国人や西洋人が訪れてタイに定住する様になってからは良く使われる。

だが、現在でも「手で食事を食べる文化」を守っている地域もある。

タイ、特にバンコクなどタイ中部の食事は基本「甘い」「辛い」「すっぱい」の三つの味を大切にしている為、日本人が食べると妙な感覚を覚える人も居る。又、タイでは食べる人が出された食事に対して自分の好みに味付けをしても失礼にならない為、麺料理店などでは「唐辛子入りの」「(ときに唐辛子入りの)ナンプラー」「砂糖」「唐辛子」の入った調味料入れがテーブルに常備されている。

他にもタイの食事は一般的に「辛い」と言われているが、近年は他のアジア民族との混血化も影響してか、あり辛くない料理も増えているという。

タイの気候について

タイでは「季」「乾季(冬)」「夏」と三つに季節を分けている。

タイの治安について

よくタイは治安が悪いと誤解されているが、それは日本と比較した場合であり、確かに日本には及ばないものの、アジア諸国をはじめ他の多くの国と比べると、タイは治安が良いとされている。

タイでは女性の社会進出が盛んであり、夜中のコンビニやガソリンスタンドにおいて、女性が一人で店番をしていることもあり、これは治安が悪く強盗や強姦などが多発しているならば、あり得ないことである。

ただ、スリやひったくり、詐欺などの犯罪は多々起きるようなので、その点では注意が必要とされる。

詳細⇒リンク

タイの祭り

タイの祭りで有名なのが4月13日から三日間開催される通称「水かけ祭り(ソンクラーン)」がある。タイでは「お正月」と「敬老の日」を意味する(タイでは60歳以上の高齢者のみ、この日は「敬老」と言う事もありバンコクでは電車の乗車料金がタダになる)。

ソンクラーンは本来「目上の人や坊主に目下の人が良い匂いのする水や花を手に掛けて敬う」と言う趣旨があったはずだが…気が付くと現在は若い人を中心に「街中で豪快に水掛け合戦をしても良い日」となってしまっている。

他にもロイカートンと言う祭りがある。此方は「水の精霊に感謝をする日」「一年の汚れを水に流す日」等色々な言われがある仏教とは全く関係無い10月から11月の満月の日に行われる灯篭流し。スコータイの物が有名。チェンマイでは灯篭を川に流す他にコームローイ、コームファイと呼ばれる小型の手作り熱気球を上げる事で有名。

又、タイでは五月から雨季の間、「雨ごい」の儀式として手作りロケットを空に撃ちあげる祭りもある。別名「ブンバンファイ」。

タイの王室の話

タイでは王室は国民に深く敬愛されている為、「国王や王妃の写真」を自宅に飾っている家庭も多い。又、タイでは王と王妃の誕生日が(現在)「父の日(12月5日)」「母の日(8月12日)」になっている。

詳細⇒タイ王室

タイの宗教の話

タイは人口の90パーセントが仏教徒とされているが、タイでは別に仏教以外の宗教が全く認められていないというわけでは無い。数は少ないが仏教以外の宗教を信じている人も居る。元々、タイ南部(マレーシア方面)では大昔に東南アジア圏最大のムスリム国家が過去にあった影響もあり回教徒が多い。

仏陀

又、タイの仏教は日本の仏教と少し違う。日本の仏教は一般的に「大乗仏教」と呼ばれる物で、タイでは「上座部仏教」と呼ばれる(紛らわしいので「南伝仏教」と言う方が解りやすいかもしれない)。「上座部仏教」は「まず自分自身がよく修業し悟りを開く」ことを重視した物であり、「大乗仏教」は「修業すると同時に一般にも広く教えを説き他人も救済も行う」ことを重視している。

とはいえ、タイの仏教は日本の仏教との交流が盛んであり、大乗仏教に理解のある信者も多く、一部の宗派では思想の一部を取り入れている宗派もある。

ちなみに、日本と同様に、独自の精霊信仰ピー信仰』も健在しており、タイの街角には「精霊の家(ピーハウス)」と呼ばれる小型の社の様な物が存在している。タイの仏教は、この信仰が仏教と習合した独自の形となっている。

又、仏教徒が多いのだが、タイとインドが近い為かインドの影響を強く受けているのでヒンズー教の神様も人気が高い。

「プラ・クルアン」と呼ばれるタイのペンダントのお守りには有名な仏教の高僧やブッタを彫り込んだ物以外に、ヒンズーの神様が掘られた物も多い。

又、ヒンズー教の影響を色濃く受けた寺院遺跡もタイには多量に存在しており、例えばタイのピーマイ遺跡等は…どうも寺院を建てる際に「仏教徒とヒンズー教徒で揉め事」があったらしく外部は「ヒンズー教の神様」のモチーフが彫られた物が多い割に、内部は「ブッタ」が主軸になっていたりする。ちなみにタイには「イーサーン」と言う場所があるが、其処の名前の由来になったのもピーマイ遺跡の外部の装飾にあった「多数の名前を持つヒンズー教の破壊神・シヴァ」の化身の一つ「方向神・イスアン」が彫られた方角の方にあった為「イスアン→イーサーン」となったと言う説もある程。

ヒンズー教のシヴァ

又、タイの国章にはヒンズー教で言う「ガルーダ」、仏教で言う「カルラ」が描かれている。

また、各国の世論調査機関が加盟しスイスに本部を置く機関『WINギャロップ・インターナショナル』による『信仰心』に関する調査結果において、タイ「世界で一番信仰心のある国」に選ばれている。

世界65カ国を対象としたマーケット調査による回答で、1位に選ばれたタイ94%が「信仰心がある」と認定され、アルメニアバングラデシュグルジアモロッコは、93%で同一2位となった。

ちなみに日本は「信仰心がある」とするが13%、「無神論者」とするが31%という結果となったが、残りの大半は「わからない」といった曖昧な回答だったという。

逆に「世界で一番信仰心が薄い国」は、「信仰心がある」とするが7%、「無神論者」とするが61%中国だった。

タイの「曜日」占いについての話

タイでは何故か日本で一般的な「干支」「星座」「血液型」等の占いよりも、身近になっているのが「生まれた曜日での占い」である。子供の命名の時や結婚や葬式の日取りを決める時等の「人生の節目」に、お坊さんの所に行って「生まれ曜日」を言って占って吉凶を教えてもらう事が重要視されている。

又、タイでは生まれ曜日によってお寺では個別に拝む仏像が違う場合もある程である。

同様に、各自生まれた曜日によって「縁起の良い色」が決まっており…

  • 月曜日が黄色
  • 火曜日が桃色
  • 水曜日が緑色
  • 木曜日がオレンジ色
  • 金曜日が青色
  • 土曜日が紫色
  • 日曜日が赤色

となっている。ちなみに現・国王であるプミポン国王(ラーマ9世)は生まれた曜日が月曜日の為「黄色」、その為、王様の誕生日が近くなるとタイでは黄色を身に付けた老若男女が街に溢れる状態になるし、又、シリキット王妃様の誕生日も同様である(王妃様は金曜日生まれの為に青い服を来た人が街にあふれる)。

タイのエンターティメントの話

タイの音楽

タイではヒップホップや明るい親しみやすいポップス音楽等もあるが、政治家の腐敗批判や民衆の苦しい生活等をテーマに歌ったメッセージ性の強いプアチーウィット(生きるための歌)と言うジャンルがある。日本で言えばフォークソングに近い。又、民族音楽は日本人が聞くと「あれ?音がずれているよ?」と感じる事があるが、調整ミス等で演奏する楽器の「音がずれている」のではなく「タイじゃソレが正常な音階」だから演奏者に注意したり聞く際に音階のズレを気にする必要は無い。ちなみにタイでは「7音階」で演奏するが、本来の西洋の音階は「12音階」で演奏している。

民族音楽

芸能音楽

タイの映画

詳細はタイ映画の記事にて。

タイの格闘技「ムエタイ」の話

タイではムエタイは「ムエイ」「ムエイ・タイ」等と呼ばれている。インドの古典文学ラーマヤーナ(※タイでは「ラーマキエン(ラーマの栄光)」と呼ばれている)の主人公であるラーマ王子が始めたと言われる格闘技で、キチンとした接近戦での戦争でも通用する格闘技にムエタイを纏めたのがアユタヤの王ナレスワンだったと言われている。

当時のムエタイは現代的なグローブ等全く無い時代だった為に、縄を腕や拳に巻いてグローブの代用にした。此方のグローブを別名「ムエチュクル」と呼ぶ。又、近代になってキチンとしたグローブを使う前のムエタイは「ムアイ・カート・チュクル(縛る格闘技)」と呼ばれていた。

ちなみに、ムエチュクルや二の腕に巻いている腕飾りの様な紐には自分の母親や妻や恋人の衣服の切れ端や髪の毛を「遠方に居ても互いに守りあっている」と言う意味を含め、お守りの様に、それらの装備品に巻き込んで使用する事も多い。

同様に近代的なムエタイで見られる冠の様な頭飾りは「戦いの精霊を宿している」為、決して足元等に置く事は無い。K-1等でも殆どの場合「肩に引っ掛けている」場合も多い。

又、ムエタイをする前に「ワイクルー」と言う踊りを踊るシーンが見受けられるが、それらは師匠や戦いの神への「感謝や戦闘に勝てる様に等の祈り」を表現すると同時に、近代の戦争等で接近戦でムエタイを使う必要が無くなった世では完全にタイでのムエタイは公営ギャンブルの一つになっている為、観客は「選手のコンディションをワイクルー時に見極める」のもポイントにもなっている。

余談だが、ムエタイが時に優美さを持って見られる時があるのはフランス等で発達した踊り・バレエの動きとリンクする場合も多い為である。

タイの服装の話

タイでは洋服を着る様になったのは大体100年位前からだと言われている。中華系タイ人や外国人を除くと100年位前のタイでは上半身裸で下半身に布を巻いている場合が多かった。

ちなみに、その腰布だが…男性の場合「パーカーマー」と呼ばれ、女性の場合は「パートゥン」と呼ばれている。男性の場合は「唯、腰に巻いた一枚の布」であるのに対し、女性の場合は「筒状」に縫われているらしく「パー(布)・トゥン(筒)」と言う名が付いた理由にもなっている。

また、布と言えば「タイシルク」も有名だが…戦後にタイシルクは他の国からの安い大量生産の布の輸入により生産が激減したものの、アメリカ人の元諜報員と言う肩書を持っていたジム・トンプソン氏がタイシルクの良さを海外に売り込みタイシルク消滅の危機を救ったと言う話がある。

ちなみに…そのトンプソン氏は、後に自分の「別荘に行く」と言ったが最後に行方不明になってしまって現在に至る状態だったりする。巷では「元・諜報員だから国家の機密保持の為に殺されたのでは説」やら「別荘の近くの森で遭難した説」等囁かれているが…どれも証明されていない。

タイの公共交通の話

タイでは一般的に日本同様に「バス」や「鉄道」が利用可能である。長距離バスステーションはバスを運営している公社の略称をそのまま使って「ボーコーソー」と呼ばれる。バンコク都内を走る短距離バスでも、日本と違い運転手と車掌の二人が居るバスがほとんどである。また、熱帯モンスーン気候の国の為か「冷房バス」と「非冷房バス」が存在している。冷房が利いているバスは距離制運賃だが、非冷房のバスならば賃金は均一である。

バンコク以外では、短距離バスはソンテオと言ってトラックの荷台に屋根と座席をつけたものが普及している。車掌はいない場合が多く、地域によってはタクシーの用途も兼用していることもある。

また、鉄道はバンコク中央駅であるファラムポーン駅からタイ国中に四つの路線が伸びているほか、数本の支線がある。ラオスやマレーシアへは電車で入る事も可能である。昔は日本軍が作ったミャンマー方面行の泰緬鉄道が走っていたし、カンボジアにも線路が延びていた時期もあったが…現在は両方とも廃線になっている。

短距離では、バンコクでは高架鉄道や地下鉄が現在次々と建設されており、渋滞を避けての移動がしやすくなっている。

タイの舟の話

タイでは元々水路利用が活発であったが…戦後の著しい車利用の増加で水路が埋め立てられてしまった為に昔よりは舟の利用は減ってはいるが、現在でも舟は地域によっては活発に利用されている。日本と違いタイの舟は小型で小回りの利く物が多いのも特徴である。タイの場合は日本と違い「舟に乗る事」を陸や自宅よりも下の方にある河川に浮かぶ舟に乗る為なのか「舟(ルア)に降りる(ロイ)→ロイルア」と表現する。又、「舟から降りる」事を、舟より上にある陸や自宅に戻る行動から「舟(ルア)から登る(クン)→クンルア」と表現している。

タイの農業の話

タイ中央部(バンコク周辺)のチャオプラヤー川流域では、川に流されてきた栄養分が豊富であり、水にも困らないので三毛作が可能。刈り取りをしている田んぼの隣で田植えをしているような風景が普通に見られる。農業には途方もなく恵まれた地域であり、国内で自給してもなおありあまるほどの米がとれる。こういうわけで、タイ米は米の国際市場の大半を占めている。

ただ、東北部や北部は水にあまり恵まれていないので一毛作しかできず、貧しい農村も多い。

第二次大戦中におけるタイ

1940年の段階でロシアを除くアジア沿岸部では日本と共に2つしかなかった植民地支配を受けていない独立国家であり、同年に発生した現カンボジア領を巡るフランスとの泰仏戦争の際に、調停を担当した日本がタイ有利の裁定を下した経緯から、1941年12月、「日泰攻守条約」を締結して日泰同盟を組み枢軸入りをしている。

1942年、イギリス軍が宣戦なしで首都バンコクを爆撃したため連合国に対し宣戦を布告し参戦。

最終的に日本軍がフィリピン戦に敗北して周囲の制海権を失ったため、単独講和の方向に舵を取り敵国条項適用を逃れた。しかしその一方で、日本が戦争遂行のためタイから借りていた1億バーツ(当時のレートで約2億ドル)の戦時借款(借金)の75%を放棄している。

装備は優秀とは言いがたかったが、タイ王国陸軍の勇敢さが当時の日本軍兵士の談話として残っている。

1945年、オピニオン紙『サイヤム・ラット』の主宰ククリット・プラモード(後の1975~76年のタイ国首相)が、真珠湾攻撃を主題として日本を評価する詩『十二月八日』を掲載している。

タイと日本の話

親日国として知られ、日本タイの両国は互いに友好関係にあり、国家レベルでは120年の修好(修好120年)、国家という枠組みに限らない交流を含めると約600年の歴史がある長い関係である。

詳細⇒日泰友好

その他タイの雑学的あれこれ…

  • の場合は一度は短期出家をする人が多い。
  • 道路は「袋小路の場所が多い」事もあり、渋滞が日常的である。
  • 余りの渋滞の酷さにバイクを使ったタクシーが大人気。唯、運賃は事前交渉の為…観光客は揉める事もある
  • 主食は「ご飯」であるが…「もち米を食べる派」と「うるち米を食べる派」に分かれている。
  • 西暦の他に「仏暦」を使っている。
  • の生産で有名
  • 牛乳緑茶が…「甘く味付けされている」事が多い。
  • 国民の王族の方々への敬意が非常に高い為、夜の8時に何処のテレビ番組も「王室ニュース」を流すらしい…。
  • 合掌をして挨拶をする「ワーイ」と言う動作がある為、マクドナルドドナルド像は合掌ポーズ。
  • クーデターの頻度が多い。クーデターはタイでは「パティワット」と呼ばれる。
  • 「相手が激怒した時には相手を落ち着かせる、相手に許しを乞う意味で微笑む」事がある。その為、外人は「ふざけている」「反省していない」とキレる場合もあるが、文化差なので理解しよう。
  • 温泉が湧きでている場所がある。
  • 電車の切符が磁気カードや特殊なコインだったりするので「記念に」と持ち帰りが出来ない。
  • 韓国との仲は壊滅的。タイには当然700年以上独立を保っている国家としての誇りと自信を持っているが、経済的に立ち遅れているという理由で韓国が見下すことが多い為。仁川アジア競技大会では韓国国内に侮蔑の意味でタイ国旗を路上に描いたり(日本も好意からやってしまい顰蹙を買うことがあるが、最近はWebの普及により日本人の行動パターンが外国に知られつつある為少なくなる傾向である)、タイの国王陛下を侮辱したりしたためタイ国民の対韓感情が悪化、ついにはタイ側が報復措置として“陸路からの韓国人入国禁止”を発動した。ただしメディアが韓国資本の侵入が激しい為国民の頭痛のタネになっている。
  • 首都バンコクの正式名称は『クルンテープマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤーマハーディロック・ポップノッパラット・ラーチャターニーブリーロム・ウドムラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット』という恐ろしく長い名称で、意訳すると『インドラ神がヴィシュヌカルマ神に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、インドラ神の戦争のない平和な、インドラ神の不滅の宝石のような、偉大な天使の都』という意味になる。

関連記事

タイ王国の編集履歴2017/08/14 13:35:59 版