概要
無神論とは「神は存在しない」とする哲学、形而上学上の態度のこと。
無神論という名であるが、「神の存在は信じないが、悪魔、天使、精霊、妖精、妖怪、幽霊の類の存在は信じる」という例はまずない。
無神論とは超自然的な事柄全てを否定する立場、ということができる。ある意味では「神はいないという宗教」であるともいえる。
神は存在するという論のことは「有神論」という。英語のAtheismは有神論を意味するTheismに否定を意味する接頭辞aをつけたもの。
神が存在するかどうかは知りえないとする論は「不可知論」である。
たびたび「無宗教」と同一視されるが、無宗教は無神論や不可知論だけでなく、有神論のある立場(神は存在すると考えるが、特定の宗教の立場には立たない)も含まれる。これは、自身は特定の宗教や信仰を持たないが、他者の宗教や信仰は否定しないという考え方である。
現代日本においては無神論優勢。第二次世界大戦において神州不滅と言いながら神仏の加護が得られなかったこと、その反省による合理主義精神の高揚、大都市への人口移動による伝統の断絶などにより、戦後日本では伝統信仰が衰退。一時期は新興宗教の拡大も見られたものの、高度経済成長の終了と同時に陰りをみせ、オウム真理教事件によってとどめを刺された。
伝統的に本人の意志と関係なく檀家や氏子になるシステムがあり、それを統計に計上するため、統計上日本の総人口を超える宗教信者がいることになっている。しかし宗教行事への日常的な参加をしていても、それが信仰というよりは観光や儀礼、ファッションに近いことが多く、実際には超自然的存在を熱烈に信じている人は珍しく、事実上の無神論者が比較的多いとされる。
逆に、もとから信仰心が低いのでわざわざ無神論を唱える必要もなく、積極的に無神論の布教をする人は珍しい。日本において最も戦闘的な無神論者は、神様はいるかいないかで論争をしている小学生あたりだろう。反カルト運動等でも神の存在等には踏み込まず、その団体の組織としての危険性について語られることが多い。更にいえば日本人は神社仏閣に対しては丁重に扱う傾向が現在も脈々と受け継がれており、そういう意味では無神論という神がメインの多神教なのかもしれない。
無神論的
広義には「至高の存在」「世界の中心、上位」としての神を認めない思想を指し、この観点から儒教や仏教を無神論、無神論的宗教と呼ぶ事がある。
例えば仏教は神々(デーヴァ)の存在を支持し、そのメンバーはヒンドゥー教と共通している。しかし創造主や主宰神という考え方を認めず、ヒンドゥー教義において至高の神とされるシヴァやヴィシュヌもまた迷える衆生とみなす。
宗教における扱い
神や超自然を信じるあらゆる立場からすれば虚偽、という事になる。
「(自分達の信じる)神のみわざを信じない」不信心者について言及されることはあるが、明確に理論化され「イズム(論)」の域に至った無神論(アセイズム)が宗教聖典に登場する事はまれである。
後述のアジタ・ケーサカンバリンは仏教聖典に登場するが、たまたま開祖ガウタマ・シッダールタと同時代に活動し、彼とその教団が結果的に記録された事による。アジタ・ケーサカンバリンと弟子たちは当時の社会で存在を認められていたようであり、迫害を受けていたという記述は残されていない。
海外における扱い
この項目を見ている人も「外国では無神論者を名乗るのはまずい」的な文章をネットで見た人もいるかもしれない。
「宗教を持たない」という意味での無宗教もそうだが、神(宗教)という道徳の根本を持たない危険人物、と見る人は世界的にはまだ少なくは無い。ましてや無神論とは、ただの「空白」「ノーコメント」では無く「神の存在を積極的に否定する」ことを意味する。
冷戦時代に激しかったのが無神論=共産主義という意見。そのため必要以上に恐れられた。また、近代思想の生みの親には無神論的思想を持つものが多く、近代思想や近代リベラリズムを無神論と関連づけ、それ以前への回帰を主張する人もいる。
イスラム圏
現代でもイスラム教国など無神論者であることを公言することが法的に制約や処罰の対象となる国々が存在する。
比較的厳格ではないインドネシアでもフェイスブックで「神はいない」と書いた男性が逮捕された。
ただ、トルコのナスレッティン・ホジャの物語では「神の存在をどう証明するのか。自分には信じられない」とモスクで聞いてくるキャラクターが悪役で無いキャラとして登場しており、同じ宗教でも時代と場所によっては無神論的な人物への印象は違ってくる。
ヒンドゥー教圏
ヒンドゥー教至上主義が興っており、現代インドでは物理的な攻撃を受けた例もある。
キリスト教圏
福音派の活動が活発なアメリカ合衆国では、対抗としてセレブを中心に「無神論者」と表明する人も多く、リチャード・ドーキンスの無神論本がベストセラーになる一方、信用できない人物として無神論者をあげる人も多い。戦闘的な無神論者が多いため、要らぬ誤解を受けやすい。
アメリカでも都市部を中心に無宗教化する人々が増え、そこには無神論者も含まれるが、保守的な信仰を守り、無神論に不信感を抱く人もかなりいるということである。
2009年の調査によると、ブラジルでは無神論者が麻薬中毒者並みに嫌われていたという。
無神論である思想
古代の無神論
ギリシャにはデモクリトスやエピクロス、インドにはアジタ・ケーサカンバリンといった無神論者が存在した。
マルクス主義、共産主義
共産主義の始祖カール・マルクスの思想には政治・経済における主張や階級闘争だけでなく、超自然的なものの一切を否定する無神論も含まれる。
ソビエト連邦をはじめとする共産主義国家においては、強烈な宗教への迫害が繰り広げられた。
だが、無神論・唯物論の部分のみを否定していたり、宗教の信者でも、有神論・宗教否定部分以外にはシンパシーを覚える人もいる。
南米で興ったカトリック系の思想「解放の神学」には共産主義の影響がある。イエズス会士が共産主義のシンボルである「鎌とハンマー」に十字架をドッキングさせたシンボルを作った事も。
日本共産党では現在、宗教を否定しない立場をとり、そのためカトリック等の宗教信徒にも党員がいる。日本において共産党が最も強いのは、伝統的にあの宗教都市京都。
新無神論
リチャード・ドーキンスらが掲げる現代の無神論。宗教、とくにアブラハムの宗教に対する強烈な敵対心を持つ。
科学の称揚、女性の人権支持、LGBTへの寛容、動物愛護、菜食主義(ヴィーガン、ベジタリアン)を特徴に持ち、宗教をこれらに反する前近代的なものとする。
実在の無神論者
梶浦由記(実際には無神論者に「近い」としている)
架空の無神論者
関連タグ
クリフォト:「ヘルメティック・カバラ」実践者ウィリアム・G・グレイの解説では構成するクリファの一つに無神論を当てはめている。