シュペルエタンダール
しゅぺるえたんだーる
1954年、NATOは加盟各国の空軍に向けた『軽戦術戦闘攻撃機計画(LWTSF:Light Weight Tactical Strike Fighter)』を開始した。
これに対してフランスが提出したのが、この「エタンダールⅣ」開発計画である。
本来はイギリス製のエンジンを使うように指定されていたが、ダッソー社は構想中の計画を基に提出したため、フランス国産のエンジンを搭載している。
イギリスのエンジンを採用しなかったので空軍の採用には至らなかったが、のちにフランス海軍の目に留まって、こちらは採用を勝ち取った。
1959年に偵察機30機と攻撃機60機が発注され、1962年から実戦配備が開始された。
最高速度はマッハ1.3となっており、同じような目的で開発されたA-7よりも高速である。(艦上機・攻撃機という共通点があり、開発時期も近い)
ただし搭載量はわずか1.3tとなっており、こちらは大幅に差を付けられている。
1970年代、フランス海軍ではエタンダールⅣ(攻撃機型)の後継機を求めていた。
当初はSEPECAT ジャギュアの艦上機を予定してはいたが、開発にはコスト増が予想された為、1973年にダッソー社の提案した改良型エタンダールを採用した。
開発は「エグゾセ」対艦ミサイルと共に進められており、1974年に原型機、1977年に最初の生産機が初飛行している。翌1978年からフランス海軍への引き渡しが始まっており、1983年に生産が終了した。
主武装としては各種爆弾やマトラ社製の「マジック」対空ミサイルだが、エグゾセ対艦ミサイルを運用することも出来る。ただし搭載量そのものは2.1tと少なく、攻撃力そのものは低い。1985年からは近代化改修が行われており、ASMP核巡航ミサイルを運用できるようになった。
イラクに6機が貸与、アルゼンチンには14機輸出されており、中でもアルゼンチンはエグゾセにより艦船2隻(駆逐艦1隻・輸送艦1隻)を撃沈している。
イラクも損害1機を除く5機を返還している。
これはミラージュⅢ引き渡しが遅れた「つなぎ」だった為である。
総生産数は85機。
フォークランドに沈む軍旗
本機がそれなりの知名度を持っているのは、純粋に『フォークランド紛争』での戦果が評価されている、という事に他ならない。
シュペルエタンダールは飛び抜けた性能を持たない(むしろ低い)、平凡な攻撃機である。輸出もわずか2か国と限定されており、生産機も少ない。
この戦争でアルゼンチン空軍は本機を「エグゾセ発射の母機」として使い、前記のとおり2隻を撃沈している。
沈めた方法は実際に行なうのは難しいが文章で書くと簡単で、P-2哨戒機の支援の下でレーダーを切った状態で敵艦のレーダーの死角となる海面近くを低空侵攻し、目標近くで上昇してオンにしたレーダーで目標を捕らえて射程に入ったらエグゾセをぶっ放して逃げる。もちろん戦果確認は出来ないので通信傍受で推測できるのみで、命中を確信できたのはイギリスの報道によってであった。(2発発射されたが、1発は外している)
この戦果は世界中の海軍に衝撃を与え、長射程の対艦ミサイルの有効性や艦隊防空における本格的なレーダー機の必要性、VTOL戦闘機の防空能力の低さが浮き彫りとなった。
当時のイギリス海軍は防空レーダー網をヘリコプター改造機とレーダーピケット艦に頼っており、ヘリは滞空時間・レーダー探知距離に問題があり、レーダーピケット艦はレーダー網の最外周となる為に被害を真っ先に受ける艦となっていた。
艦載機であるハリアーも滞空時間に制限があり、CAP(戦闘空中哨戒)は短時間しか出来ずに哨戒網に穴があった。
更には信頼性に欠けるとしてインヴィンシブルの航空隊以外はレーダーを当てにしておらず、ハーミーズの航空隊に至ってはレーダーは不要とまで言う有様であった。
そして当時のイギリス海軍が使用していた衛星通信装置は使用中はESM(Electronic Support Measures:電子戦支援、レーダー波探知装置)が探知能力を失うという代物であり、HMSグラスゴーは規定を無視して日中は衛星通信の使用を禁じていたが、他の艦は使用していたのでアルゼンチン側航空機の照射したレーダー波を捉える事はグラスゴー以外は不可能であった。しかも規定上ESMはできないので他の艦から警告を受ける事を考えておらず、通信要員が席を外すこともあった。
加えてエグゾセとシュペルエタンダール自体には警戒していたものの、紛争が始まっても一度も実戦運用されておらず、フランス人技術者の居ないアルゼンチンはそれをまともに運用できるはずがないという油断もあった。
また、ミラージュ3とシュペルエタンダールのレーダー特性は似ていたので誤報が多発しており、ミラージュ3と判断した際には攻撃がないので対空戦担当者が席を外す事もあった。
この戦争ではそれらを突かれた事になり、実際にシュペルエタンダールやA-4、IAIダガーは低空飛行でレーダー網を突破し、レーダーピケット任務に就いていたD80 HMSシェフィールド、臨時空母となっていたコンテナ船アトランティック・コンベイヤーをエグゾセで、21型フリゲートF184アーデントとF170アンテロープ、駆逐艦コヴェントリー、補給揚陸艦サー・ガラハッド等を通常爆弾で沈めている。(アトランティック・コンベイヤーを沈めたエグゾセは空母R12 HMSハーミーズを狙ったものであり、シェフィールドに命中したエグゾセは不発であった)
また、近接防空システム(CIWS)が整備されていなかった事も損害を増やした要因である。攻撃機が艦隊に接近しすぎてしまい、ミサイルが使えなかったのだ。
結果、艦隊の近接防空は「甲板にならんだ水兵による一斉射」や「水兵の携行するMANPADS」に頼ることになった。
一方で護衛艦隊や補給艦を防衛網を突破された際に旗艦等を守る盾となる従来の配置をしていたが、結果としてアトランティック・コンベイヤーが盾となり、目標を見失い迷走していたエグゾセからHMSハーミーズを守れた事でミサイル相手でもそれが有効であることを証明している。
本格的な防空レーダー網と艦隊近接防空システム(CIWS)の不備。
これがフォークランドの戦訓だった。
一方、この戦争で大戦果を挙げたとも解釈できるアルゼンチンだが、実際にはそう甘く無かった。本土から遠く離れた艦隊への攻撃は危険が大きかったのだ。
航法の問題だけではない。あまりに離れているので、撃墜された味方の搭乗員を救助できないのだ。救助ヘリの航続距離の外でもあり、搭乗員は結果的に見捨てられる事になった。
また、ブラック・バック作戦の影響でアルゼンチン軍は戦闘機を本土防衛に回していた為攻撃機の多くは護衛戦闘機なしの丸腰で任務に当たっていた。滞空時間の短いハリアーが相手といえども、見つかってしまえば身を守る手立てはほぼ無きに等しかったのである。
ともかく、この戦争でイギリスは空母の意義を問われる事になる。VTOL空母では能力不足が明らかとなり、議会からは余計に注目を失っていく事にもなっていく。要出典
「フォークランド紛争」に参加し「ハリアー」の母艦となった「インヴィンシブル」は、フォークランド紛争前にオーストラリアに売却される予定だったが、小型空母とハリアーの組合せが戦闘で有効であることが判明し、売却は中止され、2005年まで就役した。2010年まで予備役で待機。その後、トルコのスクラップ業者に売却され、解体された。