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スズマッハ

すずまっは

日本の競走馬、種牡馬。シンボリルドルフと同世代で、善戦するが中々勝ち切れなかった。
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概要編集

日本の競走馬種牡馬

シンボリルドルフと同世代で、善戦するが中々勝ち切れなかった。

主な勝ち鞍はエプソムカップ(1985年)。

同じ馬主、同い年の従弟にスズパレードがいる。


プロフィール編集


略歴編集

1981年

3月10日、荻伏牧場で誕生。

父・ラッキーソブリンはイギリスクラシック三冠を達成したニジンスキーの仔という良血で、日本に輸出されて種牡馬となり、地味だが堅実な成績を残す産駒を多数輩出していた。

母・スズサフランの牝系は小岩井農場が1927年にイギリスから輸入したシアンモアから続く古い血統であった。

横浜倉庫社長の小紫芳夫が馬主となる。


1983年

美浦の仲住芳雄厩舎に入厩。

12月11日、大崎昭一騎手を鞍上に中山競馬場の新馬戦(芝1200m)でデビューし、ビストラキッドの5着に敗れた。

12月11日、中山競馬場の新馬戦(芝1600m)に出走し初勝利を飾る。


1984年

1月8日、若竹賞(400万下)に出走し1着。

3月25日、スプリングステークスGⅡ)に出走しビゼンニシキの3着に敗れた。

4月15日、皐月賞GⅠ)に出走しシンボリルドルフの7着に敗れた。

5月6日、NHK杯(GⅡ)に出走しビゼンニシキの6着に敗れた。

5月27日、東京優駿(GⅠ)に出走しシンボリルドルフの2着に敗れたが、最後の1ハロンまで逃げねばった。秋まで休養に入る。

9月30日、セントライト記念GⅢ)に出走しシンボリルドルフの3着に敗れた。

10月21日、京都新聞杯(GⅡ)に出走しニシノライデンの3着に敗れた。

11月11日、菊花賞(GⅠ)に出走しシンボリルドルフの4着に敗れた。

12月23日、有馬記念(GⅠ)に出走しシンボリルドルフの4着に敗れた。休養に入る。


1985年

5月12日、半年ぶりに復帰して安田記念(GⅠ)に出走し、ニホンピロウイナーの2着に敗れた。

6月9日、エプソムカップ(GⅢ)に出走し1着。初の重賞勝利を上げる。この後は成績が下降する。

6月23日、高松宮杯(GⅡ)に出走しメジロモンスニーの10着に敗れた。秋まで休養に入る。

10月27日、菅原泰夫騎手に乗り替わって天皇賞(秋)(GⅠ)に出走しギャロップダイナの14着に敗れた。

11月17日、アルゼンチン共和国杯(GⅡ)に出走しイナノラバージョンの4着に敗れた。


1986年

1月5日、大崎昭一騎手に乗り替わって中山金杯(GⅢ)に出走しクシロキングの7着に敗れた。

1月19日、アメリカジョッキークラブカップ(GⅡ)に出走しスダホークの4着に敗れた。

2月16日、目黒記念(GⅡ)に出走しビンゴチムールの12着に敗れた。長期の休養に入る。

10月5日、8ヶ月ぶりに復帰。菅原泰夫騎手に乗り替わって毎日王冠(GⅡ)に出走しサクラユタカオーの7着に敗れた。

10月26日、天皇賞(秋)に出走しサクラユタカオーの13着に敗れた。現役引退が決まる。


1987年

イーストスタッド(浦河町)で種牡馬となるが、牝馬が集まらず、産駒の数は少なかった。


1989年

従弟のスズパレードもイーストスタッドで種牡馬となり、隣の放牧地を宛がわれた。


2000年

種付けを行う事もなくなり、功労馬として余生を送る。最晩年まで元気に過ごしていた。


2010年

3月24日、死亡(29歳)。


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競走馬 JRA 84世代

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