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概要編集

ヒシマサル(Hishi Masaru)という競走馬は歴史上に3頭いる。

  1. 1955年生まれの初代(58世代)。1958年啓衆社賞最良スプリンター、1959年安田記念勝ち馬。
  2. 1989年生まれの2代目(92世代)。1992年きさらぎ賞など重賞3勝。
  3. 2014年生まれの3代目(17世代)。10戦3勝。

ヒシアマゾンヒシアケボノヒシミラクルなどで有名な冠名「ヒシ」のオーナー一族内にて受け継がれた馬名である。ただし、馬主つながりのみで3頭の間に直接的な血縁関係はない。

初代ヒシマサル編集

生年月日1955年4月5日
死没1962年(旧8歳没)
性別
毛色鹿毛
ライジングフレーム
カツター
母の父月友
調教師矢野幸夫(中山競馬場
競走成績27戦13勝
主要勝鞍札幌記念毎日王冠セントライト記念('58)、安田記念日本経済賞('59)

「ヒシ」初代オーナーの持ち馬。1958年啓衆社賞(現在のJRA賞の前身)最良スプリンター受賞。だが引退後に種牡馬となって間もなく、放牧中に有刺鉄線に絡まる事故により出血多量で亡くなった。

わずか2世代遺された数少ない産駒の中から、ヒシマサヒデが安田記念親子制覇・最良スプリンター親子受賞を達成した。(さらにヒシマサヒデからは、マルゼンスキーと数多く戦ったヒシスピードが出ている。)


2代目ヒシマサル編集

生年月日1989年2月20日
死没2018年3月6日(29歳没)
性別
毛色鹿毛
Secretariat(USA)
クリームンクリムズン
母の父Vaguely Noble(IRE)
調教師佐山優(栗東)
競走成績13戦5勝
主要勝鞍GⅢきさらぎ賞毎日杯・京都4歳特別('92)

92世代。「ヒシ」2代目オーナーの持ち馬。トウカイテイオーメジロパーマーシンコウラブリイなど、この頃の活躍馬の懐かしのレース映像に出てくる「ヒシマサル」は、まずこの2代目である


日本の競走馬の馬名は、その活躍度合いなどに応じ、規定の期間が経過すれば再使用が可能になる。しかし、GⅠ馬や著名な活躍馬の名は解禁されることがない。初代ヒシマサルは競走馬としても種牡馬としても実績を挙げており、その名をもう一度使う許可は普通下りないところであった。


しかし、どうしても期待の持ち馬に父の所有した活躍馬の名を継がせたかったオーナーは、この馬を出生地のアメリカで「Hishi Masaru」として馬名登録し、それから日本に輸入するという手法を取った。

(外国馬が日本に輸入された時、既に同じ馬名登録があった場合は、同名でも認められる。2013年のダービー馬キズナと同名のアイルランド生まれの牝馬「キズナⅡ」の事例が有名。)

こうした経緯から、本馬は血統表などで「ヒシマサルⅡ」と表記されることがある。


当時の外国産馬の規定でクラシック戦線を走ることはできなかったが、4歳(現3歳)春にきさらぎ賞毎日杯・京都4歳特別(現在の京都新聞杯の前身に相当する)とGⅢを3連勝。秋には古馬相手にGⅠに挑戦したが、ジャパンカップトウカイテイオーの5着、有馬記念メジロパーマーの9着に敗れた。翌1993年引退。


種牡馬としては結果が出なかったものの、晩年はうらかわ優駿ビレッジAERUに繋養され、ウイニングチケットニッポーテイオーらの仲間を得て穏やかな余生を送った。


3代目ヒシマサル編集

生年月日2014年2月11日
性別
毛色黒鹿毛
ルーラーシップ
シェリール
母の父サンデーサイレンス
調教師角田晃一(栗東)
競走成績10戦3勝

17世代。「ヒシ」3代目オーナーの持ち馬。2代目ヒシマサルはGⅢ馬なので、規定の期間を経たのちに馬名再使用が解禁され、3代目の命名が可能となった。

全弟にグロンディオーズ(ダイヤモンドS)、半兄にムスカテール(父マヤノトップガン目黒記念)がいる。10勝3敗で2018年に引退し、その後は乗馬となった。

関連タグ編集

競走馬 92世代 17世代

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